第8話 神官セレナは最強である

 目の前にいる化け物たちにバレないように小さな声で、ルーネは漏らした。


「魚の、化け物……?」

「……や、やっぱり、いたね」


 は木を削り出したような槍を持って、森の中を索敵しているように見えた。


 明らかに人の姿を取っているが……しかし、人には思えない生理的な気持ち悪さを脳に刻み込まれるような錯覚を覚える。


 ルーネは自分で目の前の化け物を見てなぜそんなことを考えたのか、自分でも不思議だった。


 何しろ自分は夜の間、ずっと人が魚になっていく不気味な光景を見ていたのだ。

 だからこそ、目の前にいるのが魚が……元が人ではないと思ったのか。


 その直感が不思議だった。

 だが、そんな彼女の疑問に答えるようにセレナが答えた。


「あれは……元々、川にいた魚なの」

「どういうことですの……?」

「『呪𩵋症じゅぎょしょう』は、汚染された水を飲むことで発生するの。だったら、水を汚しているのは……何だと、思う? ルーネちゃん」

「……分かりませんわ」

「変化した魚だって、言われてるの」


 その言葉に、ルーネは静かに息を呑んだ。


「……その話、本当ですの?」

「う、うん。一応ね、『大神殿』にいる神官様が、見つけたんだけど……『突然変異した魚』が川の水を汚染する原因なんだって。その、魚たちが川に血を流せば……それで、水が汚染されるの」

「にわかには信じられませんわね……」

「だからね、ルーネちゃん。あれは……《厄災》なんだよ」


 そう言われたとき、ルーネの中で全てのピースが繋がった。

 なるほど。確かにそう考えれば人が魚になるような変質も納得できる。


 何しろこれまで葬られてきた《厄災》には、動くだけで津波を生み出す巨大な海竜や、地面を踏み抜くだけで巨大な湖を作り出してしまうような巨人がいるという。


 そんなとんでもない《厄災》に比べれば、目の前にいる魚が人の姿を取っている光景なんて……とても、可愛らしいものじゃないか。


 だが、1つ。

 逆に気になることが、ルーネの中で浮上した。


「……で、目の前に《厄災》がいるんですのよね」

「う、うん」

「騎士団は人から神官様を護衛するのであって、《厄災》相手には……その、力不足だとは思うのですが。なぜ、私を護衛に……?」


 ルーネがそう尋ねると、急にセレナはわたわたとしながら答えた。


「あ、あのね……。わ、私……その、本当に、“討伐“が好きじゃなくて……」

「存じておりますが……」


 唐突なカミングアウトに、ルーネは困惑。


 その話は最初、セレナのたちの悪い冗談だと思っていた。

 何しろ、数々の《厄災》を一撃で葬ってきたという伝説の神官が“討伐”を好きではないなど……一体、誰が信じられるというのか。


 そう思っていたのだが、『果て』に向かう途中の馬車で『討伐が嫌い』という話が真実であると、それはもうたくさんの話を聞いたのだ。


 だから、彼女が“討伐”のことが好きでないという話を今では信用している。


 しかし、そのカミングアウトをこのタイミングでしてくることにルーネは困惑したのだ。


「で、でもね。ここで、あの魚たちを……倒さないと。これからも、あの村の人たちはずっと、病気に苦しむことになるの。だから、あの魚たちは倒さないといけなくて……」

「……それは、確かにそうだと思いますが」


 ルーネは木陰よりわずかに顔をだして、魚人の群れを見る。

 5人組……いや、5匹組と言うべきか。どれも魚に思えないほどの筋肉が見えた。


 しかも武器を持っているところから見るに、彼らも白兵戦は行えるのだろう。

 騎士団で訓練を積んできたルーネといえども、1人でそれだけの数を相手にはしたくはない。


「ですが、あの数は私では……」

「あ、えっとね。それは、大丈夫。これから

「はい?」

「え、えっとね。だから、“討伐“は好きじゃないし……。やらなくても、良いって太陽神ソルニア様も言ってくれたんだけど……。状況が、状況だから、”討伐“した方が……良くって。でも、その、もしかしたら、がでるかもしれなくて……」

「……?」

「その時は、ルーネちゃんに助けてもらいたいなって」


 そういってセレナは恥ずかしそうに小さな声で言うと、ゆっくりと立ち上がり木陰から姿を覗かせる。


 その瞬間、セレナを見つけた魚人たちは一斉に奇怪な声を上げて急に襲いかかってきた。

 元が魚だとは思えないほどの脚力でもって《厄災》が迫ってきているというのに、セレナは一つも臆することなく、呟いた。


「【聖典サーラ太陽神の抱擁ソルニア・アンプレス】」


 刹那、彼女の正面に生み出されるのは莫大な光の塊。

 それは燃え盛る小さな炎の玉。否、太陽の権化だ。


「【解釈レナトス溢れる木漏れ日キュレプスキュラ】」


 わずかに遅れて、小さな太陽は薄いベールに変化した。

 ベールは迫ってきた魚人たちに絡みつくと、そのまま優しく包み込む。


 そして、包み込まれた5匹の魚人たちは蒸発。

 跡形も残らず森の中から姿を消した。


「……ん」


 だが、それで終わらない。

 先ほどの魚人の奇声に呼ばれるようにして、森の奥から同じように槍や混紡などの原始的な武装を持った魚人たちが、溢れんばかりにやってきたのだ。


「せ、セレナ様!」

「……うん。大丈夫だよ」


 魚人たちはセレナを危険と判断。

 すぐに腕に力を込めると、手に持っていた木の槍や石を投擲。


 だが、それはセレナの周囲を漂っていた絹のような光の帯に触れた瞬間に全てが夢のように消え去った。


 かつて、太陽神ソルニアは数十年という長い冬を乗り越えた人の子らに慈しみと優しさを持って暖かい陽の光の抱擁を授けたという。春を迎えられた人の子らはその年の秋に、太陽神ソルニアに感謝を込めて多くの作物を贈った……そういう物語が、聖典サーラに残っている。


 だから、セレナはその逸話を切り出した。


 なるほど。ソルニアが冬を追い払うような暖かい陽の光を慈愛とともに授けたのであれば、そこにあるのは厳しい冬を消し飛ばしてしまうような高エネルギーの凝縮体こそがふさわしい。


 そして、セレナは解釈を挟んだ。


 冬を追い払った光の始まりは、雲の隙間から木漏れ日のように差し込んだ陽の光だったのかもしれない。だからこそ、陽光は世界を幕のように包み込んだのだろう……と。


「もう終わるから」


 果たして――彼女の言葉通りに全てが形を自由に変えた太陽の神秘は、魚人たちを一匹残らず蒸発させた。そしてなお、その煌めきを保ったままセレナを……まるで、物語に出てくる天使のようにいろどかざる。


 神話を見ているような光景に圧倒されたルーネは、一匹も残っていない魚たちを見て静かに漏らした。


「……撃ち漏らし、なんていないですわよ」

「よ、良かった。ちゃんと、全部捉えれた……」


 セレナは心の底から安堵したようにそう言うと、神秘を消す。

 そして、何も無かったかのようにルーネに微笑んだ。


「じゃあ、ルーネちゃん。いっしょに探そうか、青花藻せいかも

「……ええ。そうですわね」


 その時、ルーネは……セレナが最強と呼ばれているその理由を知った。

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