第7話 神官セレナは救いたい

 夜が、明けた。


 本来であればまだ寝静まっているはずの村からは、しかしパチパチと水を沸かすために爆ぜる薪の音が響く。いや、音を立てているのは薪だけではない。


 そこには一睡もせずに、水を沸かし続ける村の者たちの姿があった。


「調子はいかがですか、セレナ様。カノン様」

「……ちょっと、休憩」

「くたびれたわ……。少し休ませて……」


 そんな村人たちから距離を取るように端っこの方で疲れ果てたセレナは建物に背をもたれさせて座り込んでいた。夜通し動きっぱなしで、患者に水を飲ませたり『人戻し』を使うことで人間に戻したりと、大活躍のセレナだったが流石にその顔色は疲労に包まれている。


 いかに彼女が優れていようとも神経を張り詰め続ける作業を延々と続けられるはずもなく、今はコップに入ったお湯をゆっくりと飲み干していた。


 そして、ふぅ……とその小さい口で息を吐き出すと、ルーネに尋ね返した。


「ルーネちゃんたちの方は、どんな感じ?」

「最初に毒を吐き出した8名は、もう動けるようになっていますわ。夜の間、水を沸かしたり、毒を灰と混ぜてもらったりとお手伝いしてもらっていましたわ」

「そ、それは良かった。元気なのが、一番だよ……」

「セレナ様のおかげですわ」


 そういって微笑んだルーネだったが……その顔はすぐにけわしいものになる。

 何しろ50人いる村人たちの内、動けるようになっているのはまだ10人もいないのだ。


 いくら病を時間が解決してくれると言っても、それは毒を吐き出せた者たちの話で、


「それで、セレナ様。薬の方は……」

「『人戻し』にはまだ余裕があるんだけど」


 そういってセレナが懐から取り出したのは2本の瓶。

 片方は黒く、墨のような液体がまだ3分の1くらいは残っていたが、残るもう1本は青い液体が入っていた痕跡を残して空っぽになっていた。


「『嘔吐薬』はもうダメ。無くなっちゃった」

「それがないと毒を吐かせられないのですか? 口の中に指を入れたりしてもダメなのでしょうか?」

「それだと、通常の嘔吐反応はでるけど……毒は吐き出せない。ちゃんと、『嘔吐薬』じゃないと……」

「ですが、もう在庫は無いのですよね?」

「……うん。もう、無い」


 そう言ってセレナは空瓶を困った顔のまま懐にしまい込む。


 そもそも通常の治療で『嘔吐薬』も『人戻し』も使うことなんて無いのだ。

 これはセレナが念には念を入れる性格だから運良く持っていただけであり……この村全てをカバーできるような量を持ち込んでいないことを責めるようなことはできるはずもない。


「でも、全員助ける。それが、神官だから」


 しかし、頼りの綱である薬が無いというのにセレナの顔は曇っていない。

 彼女はそれでもまだ先を見ている。


「どうなさいますの? 薬を作りますの?」

「うん、そのつもり……だよ」

「薬、作れるんですの!?」


 まさかと思って聞いたのだが、本当に作れると返ってきてルーネは思わず目を見開いた。


「作れるよ。私が二等神官だったとき……よく、一等神官様のお手伝いで作らされたりしたから」


 セレナがそういうと、カノンがその横で頷いた。


「セレナの言う通りよ。私たち神官は、最初から医療にたずさわれるわけじゃない。見習いのころは薬の作り方とか、包帯の巻き方とか、治癒魔法による簡単な怪我の治療とか……そういう、補佐の仕事をするの」

「なるほど。でしたら、カノン様も同じように薬を作れるのですか?」

「多少はね。『嘔吐薬』くらいだったら作れるわ。でも、『人戻し』は無理。そんな薬があることも知らなかったから」


 そういって困ったようにカノンは言う。

 そんな彼女を慰めるようにセレナは続けた。


「しょうがないよ。これは《厄災》との戦いに備えてるものだから。でも『人戻し』は在庫があるから、大丈夫」


 彼女はそういうと、ルーネを見上げた。


「ルーネちゃん。私、これから『嘔吐薬』の素材を取りに行こうと思うんだけど」

「だ、大丈夫ですの!? 徹夜明けですわよ。それに、セレナ様もカノン様も顔色が悪いですわ」

「……うん。これくらいは、大丈夫。討伐で、1日くらい徹夜するのは……慣れてるから」

「しかし……」


 そういって心配するルーネも徹夜明けなのだが、彼女には2人ほどの疲労は見えなかった。


「というか、ルーネも徹夜してるはずでしょ。なんでそんな元気そうなのよ」

「騎士団の訓練で3日間に渡って眠らずに行進したりしますもの。1日くらいは平気ですわ」


 そういって、本当に余裕そうに微笑むルーネ。

 体力の差というものを感じながら、セレナはゆっくりと身体を起こした。


「そ、それでね。薬の素材を採りに行きたいから……ルーネちゃん、ついてきてくれる?」

「はい、それは構いませんわ。ですが、この村を空けてしまっても良いのですか?」

「ううん。私たちがここに戻ってくるまでは、カノンちゃんに任せるつもりだよ」

「カノン様に?」


 ルーネは未だに座り込んでいるカノンを見つめた。

 彼女は二等神官であり、言ってしまえば補佐役でしかない。


 一等神官の指示の元に動くのが彼女なのだが、


「この“出張”が終わったら、カノンちゃんも一等神官に昇格するって話があるから……ここで、経験を積んでおかないと、ね」

「任せておきなさいよ。アンタ以上にちゃんと回してみせるわよ」


 そう言って不敵に笑ったカノンに、心配そうにセレナはおろおろと続けた。


「昨日教えたことをちゃんと守れば、変なことは起きない、はず……だから。き、気になることとか無い?」

「大丈夫よ! 心配しすぎ! アンタこそ、素材を採りに行く途中で倒れるんじゃないわよ!」

「う、うん。それは、大丈夫だよ……多分」


 それでもセレナは心配そうにカノンを見るものだから、流石にカノンも立ち上がった。


「ほら! 早く行きなさいよ! ルーネもちゃんとカノンを見張っておくのよ。そいつ、体力が無いから歩いている途中に倒れるかも知れないんだから!」

「わ、分かりましたわ!」


 カノンの圧に押し込まれるようにして、2人は慌てて村から出発した。


「どこに向かうんですの?」

「西……かな。そっちに森があって、その中に川があるって、聞いたから」


 しばらく歩くと、本当に小さな森が見えてきた。

 村人たちから聞いたとおりの道を進めていることに安心して、ほっと息をはくと2人は森の中を進んでいく。


「セレナ様。『嘔吐薬』の素材はどんな薬草ですの?」

青花藻せいかもっていう青い花をつける水草なの。川の上流に自生していることが多いかな」

「薬を作るんには、その薬草だけで良いんですの?」


 枝や葉っぱを押しのけながら2人は奥へ奥へと進んでいく。


「うん。それの花と葉っぱを、強い力でごりごり! ってやったら、青いエキスが抽出できるんだけど、それを油に溶かして作るの」

「なるほど……。まるで顔料みたいですわ」

「顔料? お化粧のこと?」

「……違いますわよ」


 セレナ様でも知らないことがあるんですわね、と思いながらルーネは気になっていたことを尋ねた。


「あの、セレナ様。1つ聞いても良いですの?」

「う、うん。どうしたの?」

「どうしてわたくしを同伴させたのです? その、私は青花藻せいかもを見たことがありませんわ。きっとカノン様と一緒に探された方が効率は良いと思いますわ」

「う、うん。それは、そうなんだけど……。でも、ちゃんと護衛が欲しかった……から」

「護衛ですの?」


 並々ならぬ言葉が出てきたことで、嫌でもルーネの注意力は研ぎ澄まされた。


「この先には、『呪𩵋症じゅぎょしょう』のきっかけを作り出すことになった……存在が、いるから」

「……?」


 セレナが何を言っているのか分からなかったので、ルーネは言葉を解釈しようと頭を働かせようとした瞬間、


「……セレナ様っ!」


 とっさに、セレナをその場に伏せさせた。

 それは騎士団として長い間訓練を積んできたことでつちかわれた野生の勘。


 そして、ルーネは低い体勢のまま目の前にいる化け物たちを見た。


「……な、何なんですの。あれ」


 そこにいたのは、カエルの頭に人の身体が生えているようにも、魚の頭に人の身体が生えているようにも見える……不気味な生き物たちだった。

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