第5話 川の底に沈む
「セレナ、お湯沸かしたわよ」
「ありがとう、カノンちゃん。人が飲める温度まで下がったらお鍋ごともってきて」
「分かったわ」
既に時刻は夜。大きな月が空の端から顔を見せて、星々が輝く。
空にはまるで大きな絵筆でなぞったような星の川が見えた。
セレナが立っているのは集落の中心。つまりは野外である。
そして彼女の前に座り込んでいるのはまだ動ける大人たち8人。
集落全体の人数が50人と言っていたから、動ける人々だけでもどれだけ少ないかが分かるものだ。
「……嬢ちゃんよぉ。治るってのは、本当なのかい?」
「はい、ちゃんと治りますよ。安心してください」
セレナは恐怖に震える老人に、微笑みを向ける。
そう元気づけるセレナとて……実際に『
しかし、そんな不安な顔を村人たちに向けるわけには行かない。
彼らはセレナを最後の救いだと思っているのだから。
「セレナ様。ちゃんとぬるま湯になりましたわ」
「ありがとう、ルーネちゃん。そのお水、もらえる?」
「はい。こちらに」
ルーネが手渡してきたのは鍋のまま。
確かにこれなら温度が下がりづらくて良い。
セレナは鍋を受け取ると、お湯をコップに注ぐと……そっと老人によりそった。
「おじいさん。このお水を飲んでください。消毒された、きれいなお水です」
「あ、ありがとうよぉ……」
セレナからコップを受け取った老人はそのままお湯を飲み込んで、
「げほっげほっ!」
激しく、咳込み始めた。
「じ、嬢ちゃん。こりゃ、本当に水……なのかよぉ!?」
「はい。ただの水です。でも、喉が焼けるように熱い……あってますよね?」
セレナの問いかけに、老人は微かに頷いた。
「それはおじいさんの身体の中にある汚れた水が、きれいな水を身体の中に入れないようにしているんです。まだ飲めますか?」
「の、飲めば治るのかよぉ……」
「おじいさんは軽症です。消毒されたお湯を飲めば、治りますよ」
「……信じ見てるよぅ」
老人はそう言うと、セレナからお湯を受け取って一息に飲み干す。
そして、激しく嘔吐した。
だが、吐き出したものが明らかにおかしい。
それは人の体から出てきたとは思えない……ぶるぶると振動している鉛色のゼリーだ。
「カノンちゃん。このゼリーを回収して」
「わ、私がやるの!?」
「このまま放置したら土壌が汚染される。あとでまとめて処理するから」
「わ、分かったわよ!」
カノンはそう言うと、革の手袋を手にはめてひどく嫌そうな顔をしながら鉛色のゼリーを拾い上げると、セレナが用意させた桶に投げ入れた。
「か、身体の震えが止まった……」
「まだ毒素は身体の中に残っていますが、これで大丈夫です。あとはきれいな水を飲んで脱水にだけ気をつけれていれば、ちゃんと治りますよ」
「ほ、本当かよぉ……。あ、あんたらは女神様だよぉ……」
老人からの感謝の言葉を受け止めると、セレナは残った7人にも素早くお湯を飲ませる。飲んだ量はまちまちだが、全員同じように鉛色のゼリーを吐き出した。
「ルーネちゃん。灰を貰ってきてくれる?」
「灰、ですの? あの炭を燃やした後にでる灰を?」
「うん、それ。あの毒は灰と混ぜて燃やした後に、土に埋めないといけないの。そうしないと土地が汚染されちゃうから」
「厄介ですわね」
「対処法が分かってるだけ、楽だよ」
「それもそうですわね。えぇ、貰ってきますわ」
そう言って、元気を取り戻した村人と一緒に灰を取りに行くルーネを見送ると、セレナは視線をカノンに戻した。
「カノンちゃん。次に行くよ」
「重症患者のとこ?」
「ううん。まずは家の中で動けない村の人たちに、お湯を飲んでもらうの。それで吐いたなら薬は使わなくて良いし、それでもダメならお薬を使わないといけないから」
「持ってきてよかったわね、薬」
「外傷なら治癒魔法で良いんだけどね」
セレナはそういうと、村に持ってきたカバンを開くと、その中に綺麗に陳列してある内の1つ。青色の薬を手にとった。
その表面には『嘔吐薬』とのラベルが貼られてある。
水を飲んでも吐き出せないのであれば、薬を使って吐き出させるまでだ。
「ちゃんとみんなを助けようね、カノンちゃん」
「そうね。私たちじゃないと、助けられないでしょうし」
カノンはそういって笑うと、鍋を手に持った。
そこからの行動は地道なものだった。
動けるようになった村人の案内に付いて回って、集落の家を回っていく。
最初に入ったのは、足が尾びれに変化してしまい、動けないままベッドの上でじぃっと死を待つ女性の家だった。
「大丈夫です、ただの水ですよ。落ち着いて飲んでください」
「……っづ!!」
患清潔な水を飲んだことによる痛みで顔をしかめる患者の背をそっと撫でる。
そこには、おおよそ人のものとは思えない器官の感触。魚のヒレだ。
「大丈夫。水ですよ。落ち着いて飲んでください」
「の、飲めません。あ、熱すぎます! これじゃあ熱湯じゃないですか!」
「いえ、これは人肌くらいのお湯ですよ。触りますか?」
「ほ、本当だ……」
コップに指を入れて、温度を確かめた女性は恐る恐る水を飲む。
だが、それでも苦しそうに声を漏らすだけで、一向に吐き出す気配がない。
「今からお腹の中のものを吐いちゃうお薬を入れます」
「だ、大丈夫なんですか……?」
「信じてください」
セレナはそう言うと、そっとコップに青色の薬を溶かした。
混ぜ合わせると、とてもきれいな青い液体が完成する。
「さぁ、飲んでください。カノンちゃんは、容器を」
「わ、分かってるわよ」
女性はしばらく薬の入っていたコップを見つめていたが、意を決して水を飲み込んだ。その瞬間、吐き気を催したのか口元を押さえた。
「大丈夫です。思いっきり吐いてください」
そう言ったセレナの声と共に、女性は激しく胃の中の物を吐き出した。
刹那、溢れ出した鉛色のゼリーは女性の体内に入っていたとは思えないほどの質量。
「しばらくキレイなお湯を飲んでください。そうすれば、次第に身体は戻っていくはずです」
「か、身体が楽になりました。本当にありがとうございます……!」
「お大事にしてくださいね」
セレナはそう言うと、すぐに隣の家に入った。
その瞬間、鼻をついたのは……信じられないほどの生臭さ。
まるで釣り上げてから3日間は経った魚のような、異常なまでの悪臭。
思わずセレナですらも鼻を押さえてしまうほどの臭いに、カノンは「うっ」と声をもらした。
「マスクをしましょう」
「そ、そうね……」
この病気は空気感染をしないが……臭いに耐えられないので、2人は懐からマスクを取り出して装着。それでも漂ってくる悪臭の元を追うように進むと、たどり着いたのは寝室だった。
「神官のセレナです。あなた達を治しにきました」
そういってセレナが扉を開けた瞬間、臭いがより強烈になる。
目に染みるような臭いの先にいたのは……人の大きさほどもある、3匹の大きな魚だった。
「……どう、なってるの」
それを見ながら、ぽつりとカノンは漏らした。
魚たちはかろうじて、顔だけが人間だが、全身はぬめぬめとした粘液に覆われており鱗やヒレだけではなく、エラのような器官すらも見える。
「失礼だよ、カノンちゃん。この人たちはちゃんと人だし、治せるの」
そう言ったセレナに、3人は顔だけを向けて何かを言いたげに口をぱくぱくと動かしたが、「ぶるふ、ぐるぷる」と、息が漏れたような音しか聞こえない。
そんな患者を見ながら、セレナは短く指示を出す。
「カノンちゃん。今すぐ走って私のカバンの中にある黒いお薬を持ってきて」
「黒い薬ね? 分かったわ」
「……ここまで進行したらもう、劇薬を使うしか無い」
「劇薬? そんなものがあるの?」
「うん」
こくり、とセレナは頷くと
「……『人戻し』を使うよ」
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