第4話 神官セレナは病を見抜く

 地平線の向こう側へと沈みゆく太陽のオレンジ色がセレナの目に飛び込んできて……思わず彼女は目を細める。


 そんなセレナの横を歩いていたルーネはまっすぐ道の先に見えた小さな屋根を指差した。


「見えてきましたわ。あれが『西の果て』の中でももっとも私たちの近くにあるバラド村ですの」

「む、村かぁ……。頑張らないと……」


 そういって拳を握りしめるセレナは自分の荷持を片手に、かろうじて整備された道を歩きながら進んでいく。いや、徒歩なのはセレナだけではない。ルーネもカノンも同じように徒歩である。


 これは村人たちを馬車で威圧させないようにと、セレナが提案したのだ。

 

 『果て』とは、王都との交流のない土地のことを指す。

 そうなると馬車のように乗り物で集落に入った場合、村人たちから心理的な距離を取られる恐れがある。その心理的な壁をなるべく取り除くように、彼女たちは歩くことにしたのだ。


 移動してきた馬車は最寄りの教会に預けておいた。

 ちなみにだが、ルーネの防具も威圧感を感じさせないようにという理由で預けてある。


「ど、どんな感じで話しかけよう……」

「教会の神官です、で良いんじゃないの?」

「反感かわないかな……」

「それで買ったら、その時よ」

「だ、ダメだよ! なるべく仲良くやらないと……!」


 セレナがカノンをたしなめる。


「私は教会の神官と名乗って良いと思いますわ。『果て』のところまで教会の名前は届いていないですし、名乗ったところで分からないと思いますの。自分たちの素性を偽るよりも、最初から素性を名乗りあげておく方が良いですわ」

「な、なるほど。うん。なら、そうしよっか」


 ルーネの説明を受けて、セレナは方針を定めた。

 何しろこのチームの中で立場が一番高いのはセレナである。


 したがって彼女がリーダーであり、彼女の指示がチームの進行方向を定めるのだから。


 そうして決意を固めたセレナの視線の先には、丘の上にある小さな集落が入ってきた。

 やや傾斜のある道を登った先にあり、近くには畑と森が見える。そして、家々の距離はとても近い。


 こういうのを塊村って言うんだよね、とセレナは教会で習った知識を思い出しながら“果て”の村へと足を踏み入れた。


 だが、


「……だ、誰もいない、ね」

「畑仕事でもしてるのかしら? でももう夕方よね」


 不思議そうにセレナとカノンは周囲を見渡す。

 建物が30軒近くある集落だが、不気味なことに人っ子1人いない。


「ねぇ、ルーネ。この村、廃村とかじゃないのよね?」

「1ヶ月前に上がった報告では、人の影を見たと聞きましたが……」


 そういって周囲を見渡すルーネ。彼女にも何が起きているのか理解できないのだろう。

 その声色には困惑が深く混じっていた。


「なんか生臭くない?」

「こら、カノンちゃん。ダメですよ。失礼です」

「で、でも……。こんな山の中で魚の臭いなんて……」


 セレナに叱られたカノンだったが、それでも不気味そうに周囲を見た。


「山魚のほうが海魚よりも臭みが強いと言われてます。何もおかしなことは無いですよ」

「そ、そうなの? セレナが言うならそうなんだろうけど……」


 納得の言ってなさそうなカノンがそう言った瞬間、


「……んぁ。嬢ちゃんたち、こんな呪われた村に何の用だい」


 足元から声が聞こえた。


「わぁ!?」

「おっと、驚かせて悪かったよぉ……」


 声の主は建物の壁によりかかるようにして座り込んでいる老人だった。

 その顔はとてもやつれており、顔色もひどく悪い。


 老人はセレナたちに謝罪すると、手に持っていた瓶を煽った。

 そして、喉を鳴らして瓶に入った液体を流し込む。


「わ、私たちは『教会』に所属する神官です。何かお手伝いできることはありませんか……?」

「教会……? 聞いたことねぇなぁ。でも、手伝いって言うんなら……。埋葬を手伝ってくれよぉ」

「ま、埋葬、ですか?」


 ただ事ではない言葉にセレナが聞き返すと、老人は静かに首を振った。


「いや……。病気がうつっちまったら行けねぇ……。やっぱり、嬢ちゃんたちは帰りなぁ」

「で、でももう夜になりますよ。良かったらその話、詳しく聞かせていただけませんか? 私たちは医療を学んでいます。良ければその病気を癒せるかも知れません」


 セレナがそういうと、老人はどん、と強く壁を殴った。


「馬鹿言っちゃいけねぇ! 儂らの村は医者どもが匙を投げてんだ! 嬢ちゃんたちに治せるわけがねぇ……!」


 そう叫んだ老人は身体をくの字に折ると、激しく咳き込んで――の血を吐き出した。


「……へっ。み、見えるか。嬢ちゃん。これが、この村の……病気だよ」


 その老人の変色した血を見て息を飲んだのはカノンとルーネ。

 それを見て自嘲気味に老人は笑うと、再び瓶に口を付けた。


 だがそれは、酒ではない。

 アルコールの臭いは1つもしない。


「病気がうつる前によぉ……さっさと、帰りなぁ。この村で、手伝えることなんか、ねぇよ」


 だが、セレナは表情1つを変えなかった。

 そして、尋ねた。


「全体的な倦怠感、震え、熱……異常なまでの喉の乾き。どれかに思い当たることはありませんか?」

「……あぁ? そんなこと聞いて、どうするんだよぉ」

「教えて下さい。どれかに当てはまることは?」

「ぜ、全部だけど、よぉ……」


 老人はそういって地面に座り込んだ。

 まるで、セレナの圧に押されるように。


「最初の症状が出たのは2週間前ですか?」

「覚えてねぇよぉ。けど、そうだった気がするが……」

「なるほど……。2週間前、海か川に潜るような夢を見ましたか? 病気はそれから始まりましたか?」

「み、見たよぉ……。川を潜って、潜って……真っ暗なところまで潜る夢……。気味が悪くて……まだ、覚えてるよぉ」


 今もなお恐怖に震えるかのように老人はしわがれた声でそういうと、震える手を抑え込むように激しく頷いた。


「びょ、病気になったのは、それからだぁ」

「症状が出ているのはこの村全体ですか?」

「あぁ、そうだよぉ。みぃんな、この病気にかかっちまった。ろ、ロックの坊主なんか……死んじまったよ。まだ5歳だったのに!」

 

 そういって泣きはじめた老人に、セレナは優しく問いかけた。


「おじいさん。もしかして、身体のどこかに魚の鱗のようなもの。あるいは、魚のヒレが出てないですか?」

「……な、なんでそれを」

「ヒレは背中、鱗は足先に出てませんか?」

「…………こ、これだよぅ」


 そういって老人が裾をめくった瞬間、ルーネが「ひっ」と、小さく息を飲んだ。

 だが、それも無理はない。何しろそこには、びっしりと魚のような鱗が生えていたのだから。


「やっぱりそうですか」


 セレナは頷くと、カノンたちを振り返った。


「ルーネちゃん。カノンちゃん。今すぐに大量のお湯を沸かして。水はしっかり泡が出るまで沸騰させること」

「わ、分かったわ!」

「承りましたわ。でも、どうしましたの……?」


 ルーネがそう問いかけると、セレナはただ淡々と……しかし、呪いという言葉を弾くように誠実に語った。


「この村は『呪𩵋症じゅぎょしょう』という病気が、蔓延まんえん……してる」

「『呪𩵋症じゅぎょしょう』……ですの? 聞いたことがありませんわ」

「うん。すごく珍しい病気で、血の変色、喉の乾き、そして何よりも魚のように身体が変質していくのが、この病気の症状。感染経路は……汚染された川の水と、言われてる」


 セレナがそういうと、老人が息を呑んだ。


「そ、そうだよぅ……。2週間前に、井戸が枯れちまったから、川の水を飲んで……」


 そんなセレナの言葉を補足するように小さく老人が言った。


「この病気を治すためには、煮沸消毒された清潔な水がたくさん必要なの。でも、病気が発症するまでに汚染された水を飲み、症状の喉の乾きで……患者さんが汚染された水をどんどん身体に取り込む。だから、症状がどんどん進んじゃうんだよ」


 そこまでセレナは一息で言うと、さらに続けた。


「で、でもこれは治る病気なの! 私は薬の準備と、村の人たちの症状を確認するから。2人は、たくさん水を沸かしておいて!」

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