7作目:時をかけたちょんまげ
過去から武士がやってきた。
「ここはどこじゃ?」
ちょんまげを結った和服姿の中年男性だ。
引き締まった体は武芸をたしなんでいることがうかがえる。
どうやら見知らぬ光景に戸惑っているようだ。
「……ここはとある研究施設です」
彼の案内を任された俺は言う。
「貴様、何奴!」
武士は刀を抜こうとした。
「あ、ちょっと。そういうの禁止されてるので」
慌てかけたが冷静に止める。
「危険な時に刀を抜かぬなど、何のための刀なのだ」
「いや、時代が違うんですよね」
「時代?」
武士は刀の持ち手に手をかけたまま、俺の話を聞いている。
隙あらば切り伏せられそうだ。
「今はあなたが居た時代の、一千年と数百年先の未来です」
「な、なんと!」
武士は信じられない様子。
「しかし、抜刀が禁じられているとはどういうことじゃ?」
「決まり事とかそういうのができて、武器は基本的に持っちゃ駄目なんですよ」
俺はあらましを話した。
「ふむ。しかし、我の時代ではみな帯刀していたぞ」
「ええ。でも、今の世の中ではみんな武器は持ちません」
「そうか」
武士はようやく刀から手を放した。
昔の人にも「みんなそうしてる」という言葉は効き目があるらしい。
西暦2XXX年。
人類が待ちに待ったタイムマシンの技術革新がめざましい。
とは言え、まだ試験段階だ。
武士を過去から呼び出したのは、まさに試験的な試みである。
過去から呼び出した人間の案内役には研究機関の成績優秀者が選ばれる。
まずは施設を案内しながら、この時代のことを少し話す。
武士はある程度慣れてきたようだ。
「おぬし、なかなかに賢い者であると見た」
不意に俺に関してのことを言われて驚く。
「いえ、それほどでは……」
謙遜しつつも、俺は思う。
確かに俺はそれなりに勉強ができる。
地頭も良い方だろう。しかし、何かが足りないと思っている。
「ふむ、何か抱えていることでもあるのか?」
「そうですね。しかし、それが何か分からないのです」
***
せっかくなので昔の人にも現代社会を味わってほしい。
まずは街中へ。
「なんだこれは!? 皆が奇天烈な衣服を来ているではないか!」
町に出たとたん、驚愕の表情を浮かべている。
「ええ。今はみんな、洋服を着ていることがほとんどです」
「和服を着るものはおらぬのか?」
「今でも着る人はいます。お祭りや行事などで、特別な衣装として着る人は多いですね」
あなたも洋服を着てみますか、と勧めてみる。
「ふむ。せっかくである、試してみるとしよう」
立ち寄ったアパレル。
多様な服装のマネキンが所々に並んでいる。
もちろん、ちょんまげ姿のマネキンは居ないけれど。
「なんと不思議な光景よ。さらし首ならぬさらし胴とは」
しかも肌の色が不自然に白いではないか! などと騒いでいる。
「それは置物です」
一千年と数百年前に、マネキンの文化は無い。驚くのも当然だ。
「なぜ置物が服を着ておるのだ?」
「人間が服を着た時のイメージを作るためのものです」
ふむふむ、と感心しながら俺の話を聞いている。
しばらくして、何かに目が留まった様子。
「拙者はあれが良いでござる」
***
続いて近場のラーメン屋さんに連れてきた。
「いやはや、わが身ではないようでござる」
洋服を身にまとった武士。
白いTシャツにグレーのパーカーを羽織った状態だ。
「お似合いですよ、昔の人には見えません」
……頭のちょんまげさえなければ。
当人の希望でそのままにしてあるのだ。
「拙者としては、そもそも昔の人間と言う感覚は無いのだが」
それにしても、と武士。
「この店で飛び交っている、呪文のような言葉はなんなのだ?」
入店客からの「ニンニクマシマシ・ヤサイマシマシ・アブラ」といった言葉に興味を持ったらしい。
「あれは注文です」
「何を注文しているのかまったく分からないでござる」
「やってみましょうか」
片手を上げると、すぐに店員さんが来てくれた。
「ご注文をお伺いします!」
はきはきとした様子でメモを構えている。
「ラーメンの、ニンニク少なめ・ヤサイマシマシ・アブラ少なめ・カラミ少なめでお願いします」
「ラーメンニンニク少なめヤサイマシマシアブラ少なめカラミ少なめで承りました! そちらのお客様はいかがなさいますか?」
武士のオーダーの番だ。
「ラーメンの……に、ニンニクマシマシ・ヤサイマシマシ・アブラマシマシ・カラミマシマシで、よろしく頼むでござる!」
「ラーメンの全部マシマシですね! 承りました!」
店員が略称したのを聞き、武士は頭を掻いた。
どことなく照れくさそうだった。
***
「いや~、腹が膨れたでござる!」
ラーメンは過去の日本人の舌に、意外にもマッチした様子。
「それで、ここは一体どこなのだ?」
ラーメン屋さんの次はメイドカフェ。
「ここは喫茶店です」
概要は省いた。
ちなみにメイドカフェを選んだのは俺の趣味だ。
「なんとも奇天烈な空間なのだな、喫茶店とは」
「スタンダードです」
特に意味も無いが、俺は語気を強めた。
メイドカフェは至高であるがゆえ。
「そうか。しかしながら、こちらでも不可思議な呪文が飛び交っておる」
周囲の席では、オムライスにケチャップで文字を書いてもらい、メイドに魔法をかけてもらう客の様子が見える。
「さっそくやりましょう、みんなやってます」
「う、うむ……」
「お待たせいたしました、ご主人様♡」
オーダー後、しばらくしてメイドがやってきた。
昼食後のコーヒーをオーダーしたのだ。
衣装がこれまた良い。
強調された胸元と、ミニスカートから伸びるすらりとした脚が、何とも耽美だ。
――さておき、さっそくラテアートを施してもらおう。
「今日は特別に、ラテアートで私が思いついたご主人様のニックネームを描いちゃいますね♡」
「おお、いいですね」
どうやらこのメイド特有のサービスらしい。個性があって素晴らしいと思う。
「ニックネーム? なんだ、それは」
「二つ名のようなものですよ」
「おお、それは確かに良いな!」
二つ名と聞くとときめく男子の心は、いつの時代も変わらないのだ。
「ではでは~♡」
メイドはあっという間にラテアートを描いていく。
「できました♡」
完成したラテアート。
俺のコーヒーには……「万乳引力」。
「……バレていたか」
「ふふふ♡」
どうやら先ほどからメイドの胸をチラチラ見ていたことに気付かれていたらしい。
口元では微笑を浮かべつつも、強かなメイドだ。
このラテアートは、「目線に気をつけろ」という遠回しな警告なのだ。
「おぬし、意外とクソであるな」
「なっ!?」
武士も俺の行動に気付いていたらしい。
いや、お前も見てただろ。
「そういうあなたのニックネームはなんだったんですか」
武士のコーヒーカップを覗き見る。
尻ザムライ、と読める。
「なにっ!?」
驚く武士。
メイドは武士の視線にも気付いていたらしい。
「なっ……拙者、見てないでござる!!」
俺は机に顔を突っ伏して、必死で笑いをこらえようとした。
***
夕暮れ時。
あの後、萌えと毒舌な魔法でトッピングされた美味しいコーヒーを飲み干して、メイドと記念写真を撮って喫茶を後にした。
「現世の者よ。なぜ、我らは河原に居るのだ?」
「なんででしょうね。まあ、黄昏時に河原に座るのは定番ですよ」
「そうなのか」
「ええ。皆やってます」
「なるほどなあ」
皆やってるとは言ったものの、俺は河原に座って夕陽に当たる人たちを、そうそう見たことが無い。
ただ、これまで沢山見てきたアニメやドラマでは、皆やっていたような気がする。
「しかし、現世の者よ。我のような昔の人間を呼んで、一体何をするというのだ?」
当然の疑問が武士から出る。
確かに疑問に思うところだろう。
「実は、あなたを呼び出せた時点で目的はほぼ達成です」
「どういうことじゃ?」
武士はあやしむような目で俺を見る。
「これはあくまでも、実地試験です。タイムマシンがちゃんと運用できるかどうか、最終的なテストがこれです」
つまり、過去の人間を現世に呼び出せた時点で、成功したようなものだ。
ただ、呼び出すことの逆、つまり現世の人間が過去に行くことは、まだできないのだけれど。
「そういうことか。しかしのう、拙者は今後どうなるのじゃ?」
恐る恐る武士が尋ねる。逆の立場なら俺も当然気になるところだ。
「過去から呼び出した人間は、数時間経つか、現世で命を落とすと元の時代に戻ります」
これは倫理的な課題と関係しているため、タイムマシンのプロジェクト初期段階でガッチガチに安全性を極めた部分だ。
「そうか……少し安心した」
ほっとしたような表情を浮かべる武士。
その目線の先に、彼の家族や友人たちの顔が見えた気がした。
「現代とは素晴らしいな、現世の者よ」
「? 突然、どうされたのですか」
確かに今と言う時代は素晴らしいと思う。昔の人からすれば、きっと夢でも見ているようだろう。
「ふふ、いや、なんというかのう……」
少し、冷たい風が俺たちの間に吹いた。
「拙者らの時代は、上手くいかないことばかりでな。争いも多い」
昔の我が国の話。歴史通りで言えば、争いは幾度となく繰り返されたはずだ。
「何とかしようとみんなで頑張っていたが、一筋縄では行かなくてな。しかし、現世がこのような平和な世界で良かったと思う」
武士はどこか感慨深げな表情で、沈んでいく太陽を見つめている。
「――現世の者よ」
「なんでしょうか?」
武士は俺の目を見て言う。
その目には力強い光が宿っていた。
「おぬしは大勢がやっていることに合わせる柔軟さも、大きな流れを掴む力もある」
その言葉を、俺は謙遜せずに受け取る。多分その通りではあるのだ。
「しかし、何かが自分には足りないと言っていたな」
「はい」
「それは……」
武士が続きを言いかけた時、ぽつぽつと雨が降り出した。
「――歩きながら話すとしよう」
***
雲が空を覆い、陽が沈むのも手伝って、あたりはあっという間に暗くなった。
「風邪を引きそうよのお」
「そうですね。冷たい風だ」
やや雨風が強くなってきた。
――ふと、武士が立ち止まった。
「……現世の者よ、少し離れておれ」
周囲を見ると、いつの間にかガラの悪そうな和服姿の男たちに囲まれていた。
彼らの手には日本刀が握られている。
武士は俺を背にし、男たちと相対する。
「おう、おっさん! なんや知らんけど、俺らも飛ばされてきたみたいでなあ」
「おぬしら……どこまでもついて来よって」
どうやら因縁があるらしい。
「この人たちは?」
訳知り顔の武士に疑問をぶつけた。
「なに、近所のガキんちょどもよ。拙者としたことが、指導が甘かったようじゃ」
剣術の門下生的な関係だろうことが見て取れた。
しかし、根本的な問題はそこではない。
(なんで他の過去の人間がここにいる?)
さっ、とスマホを見ると、タイムマシン試験でトラブル発生中、と研究所からのメッセージが入っていた。
どうやら目の前の事象と関連があるらしい。
「現世の者よ。先ほど話したことは、本当だな?」
「は、はい」
過去から呼び出された者は、数時間経つか、現世で命を落とすと過去に戻る。
「しかし、現世の者が現世で死んだところで、それはもう帰らぬ命となるのであろう?」
武士が言わんとすることを察し、俺は無力なことに引け目を覚えつつも、武士から距離を取る。
「なに、気に病むことなぞない。拙者はこう見えて、けっこう腕がたつ」
先ほどまで纏っていた温かな空気とは違い、今の武士は、近寄っただけで切り刻まれそうな、冷ややかな殺気を身にまとっている。
「実践経験には丁度良いじゃろう」
「何をごちゃごちゃ言うとるんや? ――かかれっ」
「――死を味わうが良い」
雄たけびを上げながら刀を振り下ろしてくる男たち。
一人目が武士の目前に。
それを一切の無駄のない横薙ぎで切り伏せる。
崩れ落ちた男の身体が、淡い光になって過去へ還っていく。
「甘いのお」
気迫。まさに鬼神だった。
「う、うう……」
ケンカを売った手前、引けないらしい男たち。
「ひるむな、かかれ! 相手は年寄りだ!」
「ふ、確かに拙者は年寄りじゃが――」
一斉に武士へととびかかる男たち。
「――お前らじゃあ、その年寄りにすらまだまだ勝てんのじゃ」
剣をひらり、ひらりと交わし、すぐさま反撃に徹する。
踊るような足さばきから、目にも止まらぬ剣術を繰り出していく。
一人、また一人と男たちが過去へ還っていく。
「う、おのれえ……!」
最後の一人、主犯格の男の首根っこを武士がつかむ。
「出直してこい、過去でな」
一閃。苦しむ間もなく、男は昇天した。
「大丈夫ですか?」
戦いが終わり、俺は武士に駆け寄る。
「拙者は大丈夫……おや」
見ると、彼の身体が薄くなってきている。
「どうやら拙者も時間が来たようじゃの」
時間経過のタイムリミットにより、武士の身体は過去に還ろうとしている。
「……話の続きを、聞かせてください」
過去に還る前に、聞いておきたいのだ。
俺に足りない何かを。
先ほど言いかけていた続きを。
「そうじゃの。今の戦いが、いわば拙者の言いたかったことでもあった」
今の戦いが? どういうことだろう。
「おぬしは『現世では皆武器を持たない』と言っておったな」
「はい、確かにそう言いました」
「しかし、拙者はそう言われてからも刀を腰に差したままじゃった」
そういえば、どうしても持っておきたいと言われた。
そのため特別な許可をもらい、帯刀して街中を歩くことを許可していたのだ。
「……まさか、この襲撃を予期していたと?」
「左様」
だとしたら、いつからだろう。
「タイムマシンの試験であると聞いた時からですか?」
「ふふ、流石に察しが良い」
過去から人間を呼ぶことができる。
であれば、同じ時代から敵が呼び出されることもありうる。
そこまでのことを既に考えていたのだ。
「結果、私は助けられたのですね」
武士の判断が無ければ、今頃俺はどうなっていただろう。
少なくとも、今この場で武士と話せてはいないはずだ。
「反省はさておき、拙者も伝えておきたいことがあるのじゃ」
改まった様子で武士は言う。
「流行りや周りに合わせるのも大事。決まりを守ることもそう。しかしの」
言葉を紡ぐ間にも、彼の身体はどんどん薄くなっていく。
「己自身で「これが大事」と思ったことを貫くことも、時には必要じゃ。
うぬが心からやりたいことで、誰にも成し遂げられぬことを成し遂げるのじゃ」
そう言うと満足げな表情を浮かべた。
その表情もかろうじて確認できる状態だ。
「おぬしと過ごした時間は少しであった。だが、楽しかったぞ。
さらばじゃ、万乳引力」
別れを告げられ、彼は過去に還った。
「最後の別れの言葉がそれかよ……」
雨に打たれながら、ひとりごちた。
ぽっかりと心に穴が空いたようだった。
***
あれから幾月経ったのだろうか。
いっときの夢ならばきっと忘れても良いはずなのに、いまだ頭から消えぬ。
突然見知らぬ景色の中にいて、若い男からそこが未来のわが国であることを告げられた。
しばし街中を歩いた。
あらゆるものがまばゆく、平和で、心躍るような世界だった。
しかし、気が付くと我が家の縁側に居た。
家の者に話しても「夢でも見ていたのではないか」と言われるばかり。
自分でもきっとそうだと思うことにした。
うららかなる春の陽光の中で見た、白昼夢であると。
「師範!」
あの時の夢を思い出していると、門下生がばたばたと駆けてきた。
やんちゃな青年であったが、なぜかあの頃からおとなしくなった。
そういえば夢の中でこやつを叩きのめしたような。
そのあたりの記憶は定かではないが。
「どうした、弟子よ」
「町に、何か奇天烈な店がございます」
奇天烈な店?
「何があるというのだ」
「異国の服装を身にまとった者たちが中におりまして、何やら妙なことを言ったのです。たしか……「ここは尻ザムライを歓迎する喫茶店です」とか」
<了>
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