続・麻雀エトセトラ

 冒頭の「麻雀」という掌編のテーマは、緑一色という役満にまつわる美人雀士・諏訪呂麻弓の身の上やら才知やらの描写でしたが、また感想その他お待ちしています。😊💓

 この掌編では、ヒロインは赤緑色盲という設定で、見えないがゆえに、「緑色一色のでできた緑一色の美しさに憧れる」という話題が出たですが、こういう夢とか虹の儚さ?空想上の世界の美を幻視する蠱惑な感じというのがある。

 

 たとえば、ルールを知らない頃には、麻雀牌のさまざまな図柄、鳳凰やら竹やら一筒やら、色とりどりのそういう意匠がひどく楽しげで、神秘的に見えた。


 で、ルールがわかると、多少神秘的な印象は消えて、ただの記号に見えるようになった。


 これはなんにでもある感覚というか、将棋でも本将棋のルールを覚えるまではいろいろな駒に書かれた文字が、「いったいどういう意味なのか?」を、想像するしかないので、なんだか謎めいた、魔法のスペルのように見えたりした。


 〇ックスでも、(失礼)DTの時には、無上の極楽の天空の遊戯、みたいに素晴らしいものに想像してました。


 SFではセンスオブワンダーとも言いますが、よくいう「砂上の楼閣」Spanish castle であるがゆえに、より理想的な幻惑的なイメージに映る…こういうのが、ポエム、詩とかに繋がる観念や空想の昇華、そういう心的、芸術的プロセスかもしれぬ。

 

 …一日だけ幸福でいたければ、床屋に行け。一週間幸福でいたければ車を買え。一か月なら結婚せよ。一年なら家を買え。一生幸福でいたければ正直でいろ。…そういうことわざがありますが、なんでも新鮮なうちが華で、マンネリになると色あせたものに見える。逆に言うと、欠乏感があって、で、満たされると幸福感が湧くというのもある。ストレスがあって、で、除去されると反動で気分がよくなる。これは錯覚かもしれないし、幸福ホルモンみたいなものが出るのかもしれない。


 ゲーム一般にはこういう力動?がつきものですね?打席に立つバッターにはピッチャーの投げる球がストレス。で、会心の一撃で、ホームラン、となると一挙に爽快になる。


 ストレスがないゲームというのはなりたちにくく、相手があって、複雑なルールがあって、それだから勝った時にはフラストレーションが解消されたという快感が生じる。


 麻雀でも、パチンコでも、RPGでも、釣りやらガールハントでも?ストレス状況から幾多のプロセスがあって、で、成功成就した時には恍惚感のような素晴らしい気分、快感が報酬として得られるのです。で、やみつきになり、時には中毒になる。


 ゲームに典型的ですが、人生の様々な営みはすべてこういう構造で成り立っているという気がします。働くのもそうで、金を貰う快感がなければ労働意欲も湧きにくい。


 あらゆることは、しょせんこういうS-R理論のバリエーションというか、そういう快感報酬の動機付けで説明できて、それが本来的絶対的。


 そういう風に割り切れば、なんでも合理的に楽しくやれそうな気がします。


 嫌な仕事があれば、「ご褒美」を設定するとか、掃除をするのはきれいになった部屋で満足に浸るため、と思うとか。読書は、論理武装で無敵モードになるため、とか?


 そういうことは邪道というより、あらゆる仕事も課題もしょせんそうなっているものなのだ、そういう快感を得るための複雑なゲームとして、すべての苦役や面倒事をも楽しいものに変えていくとか?


 生活の知恵の一つに過ぎないが、ボクは自罰性格というか、わりとなんでも生真面目にストイックに受け止めすぎるので、そういう”王道”?みたいなものをタブーにしないという発想が必要かなと思ったことです。


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掌編小説・『麻雀』 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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