麻雀エトセトラ
麻雀というゲームがあるのを知ったのは、たぶん小学生くらいだろうが、いまだに卓を囲んだことがない。コンピューターゲームだけです。点数の計算もできない。まあ、他のもろもろと同じく、人生史が〇輪なことの反映だろう。ボクは、だいたい、結婚式や葬式にも一、二度しか出席していない。だから「村十分」でもぜんぜん差し支えない。拗ねているというより事実そうなのです。
麻雀は、室内ゲームの中では、親炙?している部類です。
ゲーム、?…テレビゲームは別ですが、将棋、囲碁、トランプ、花札、百人一首、ボードゲーム、オセロ、昔ながらのそういう素朴な遊びは、いろいろとバリエーションに富んでいて、Unless 、ずいぶん人生が味気なくなるとも思います。
それぞれに無数の思い出やエピソードがあり、まあ、当然ですが?楽しい思い出が多い。無数なので、詳細は省くが、麻雀に限ると、二十代の後半、パソコンとかゲーム機とかに嵌り始めて、平行してだんだんに社会の正常なラインから逸脱し始めたころに、麻雀のルールを覚えて、テレビゲームだけで四六時中やっていたという印象が強いせいか?、個人の記憶の中で、麻雀はネガティヴな、反社会性の?象徴みたいになっている。プログラミングに凝っていたころに、麻雀ゲームを作ったりして、かなり複雑で詳細な入り組んだ論理演算とか人工知能とかを応用して、長い長いプログラムを作っていた。趣味の世界ですが、ああいうことをしていると、どうしても世間離れしていかざるを得なかった…多分、なーんにも考えていなかったんだと思う。が?
阿佐田哲也さん、という麻雀小説の泰斗がいて、「放浪記」で有名だが、ユニークな作家で、対談とか読んでいると部屋の中で小さな野球ゲームを一人でルールを作って、いろんな手作りの人形とかコマとかそういうもので、ままごと見たいな”小宇宙”を作って遊んでいたとか、そういう話をしていた。
観客の数とか、収益金とか、果てはそういうものまで仮構して、「ここからバスの停留所で、こう観客が歩いてきて…そういうのまで細かく設定した」とか話していた。どんだけ暇や?とも思うが、凝り性というか熱意というか、凄いなーと感嘆する。
麻雀が強いのは有名で、プロだからイカサマもお手の物で、その賭けマージャンで暮らしていたらしい。正しい生活というのが嫌いだったのだろう。
が、色川武大の別名では純文学の大家でもあって、「狂人日記」という小説は古今東西に類を見ない奇書で、読売文学賞受賞していた。
ボクはそれほど熱心な読者ではないですが、阿佐だ哲也…色川武大さんの世間からの逸脱の仕方は、麻雀というゲームの胡散臭い感じ、頽廃堕落感、に絶妙にマッチしている。
「中国語のお勉強」と称して、ひそかに集まってじゃらじゃら牌をかき回す、この音が雀のさえずりに似ているので「麻”雀”」というそうですが、背徳感は愉快の極致かな?とも思う。
一度、岡田紗佳さん?とかと現実に麻雀してみたいなあ。
ジャンジャン!
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