4-33【外伝•アスラン暗殺指令②】
「ああ……、面倒臭いことになってしまったぞ……」
男は酒場の隅の席で頭を抱えていた。
カウンター席の一番隅の席である。
男は並々に注がれたエール酒のジョッキを片手に考え込んでいる。
エール酒を注文してから一時間は過ぎているが、酒の水面はほとんど減っていない。
「面倒臭いことになっちまった……。なんでこの町にあの女が居やがるんだよ……。聞いてねぇ~よ……」
男の名前はラングレイ。
今年で18歳になる。
外見は地味な顔立ちに、地味な髪型。
体型も中肉中背。
醸し出す存在感も地味である。
居たって普通──。
それが、彼が見せる第一印象だ。
だが、彼のスキルは違う。
彼はゴモラタウンの冒険者ギルドでは毒蠍のラングレイと呼ばれるほどの毒使いである。
そんな彼が暇な休日を隣町のソドムタウンで過ごしていた晩の話である。
昔の知人に出会ったのだ。
彼女の話を聞けば、彼女は現在このソドムタウンで天秤と呼ばれているらしい。
ラングレイが天秤と呼ばれる女性と知り合ったのは、子供のころだった。
ラングレイが産まれ育った田舎での幼馴染である。
その村は痩せた大地で細々とした農作業に取り組む人々で支えられた長閑な山岳地帯だった。
周囲は岩場が多く、とても農地には向いていない土地だったが、それでも村の人々は支え合いながら暮らしていたのだ。
ラングレイの家も、そんな貧乏農村の一軒だった。
そして、彼が5歳のころに、現在ところ天秤と名乗る彼女が村に越してきたのだ。
それがラングレイの初恋だった。
当時の天秤は健康美に溢れる美少女だった。
肌は小麦色に焼けて、男の子たちと裸足で駆け回るワンパクな女の子だった。
周りの子供たちの中でも人気者である。
まだ幼かったころのラングレイには、そんな彼女が眩しく見えた。
異性に免疫のない幼少期だ。
そんな眩しい女の子が村に越して来れば恋の一つや二つは生まれてしまうだろう。
そう、彼女に恋をしたのはラングレイだけではなかったのだ。
村の男の子たちの多くが天秤に恋をしてしまう。
ラングレイも、そんな一人であった。
しかし、夏祭りを境に天秤に恋した男の子たちの間で、少しずつ異変が発生し始める。
「オラ、大きくなったら、この村を旅立つズラ……」
「オラも町に出てお金を稼いでオットウやオッカアに楽させるベサ」
そんな感じで、口々に真っ当な夢を語り始めたのだ。
夏祭り前までは、皆が話すことと言えば天秤の話ばかりだったのに……。
ラングレイ少年は首を傾げた。
だが、何故に村の子供たちが真っ当になったかが理解出来なかった。
そんな不思議な思いを抱きながらも月日は流れる。
そして、ラングレイが10歳の夏祭りの晩であった。
なんと今年はラングレイ少年が天秤に呼び出されたのだ。
その晩ラングレイは心をウキウキさせながらスキップで夏祭りに参加した。
今年の夏祭りも例年通り順調に進み最後の最後でラングレイは天秤と二人っきりになれたのだ。
月夜の晩の裏山で、村の篝火を眺めながらの二人っきり。
10歳の少年には少しまだ早いかも知れないが、それでもラングレイの心は踊っていた。
美少女と二人で真ん丸い月を見上げるラングレイ少年。
何も話さなかった。
何も話せなかった。
ただただ、月が美しかった。
その月明かりに照らされる少女も美しかった。
それだけだった。
それだけで十分だった。
そんな一時、終止符を打ったのは彼女の一言だった。
「ねえ、ラングレイちゃん」
「な、なに……?」
「ラングレイちゃんって私を好きかな?」
「えっ!?」
ラングレイは口から心臓が飛び出るかと思った。
告白──。
それも愛の告白だ。
そんなロマンチックなハプニングは、貧乏な村でも起きる。
だがそれが、自分に起きるとはラングレイ少年は想像すらしていなかった。
そんな唐突な出来事に驚き、それと同時に歓喜したのだ。
しかし、そのピュアな思いも次の瞬間には脆くも酷く崩れさる。
「ねえ、ラングレイちゃん。私のことが好きなら──」
「好き、なら……」
ラングレイは心臓が爆発しそうだった。
身体中の血液が沸騰して全身の欠陥が弾けるかと思った。
だがしかし、彼女は、それ以上の言葉を次の瞬間に放ったのだ。
「ラングレイちゃんが私のことを好きなら──」
「好き、なら……」
「あなたのお父さんとお母さんを殺して、土地の権利書を持ってきてくれない」
「はぁ……?」
「だーかーらー。あなたの両親を殺して、私に土地の権利書をちょうだいって言ってるのよ」
ラングレイ少年は少し悩んだ。
言葉の意味が理解出来なかったからだ。
そして、数秒の思考の末に賢明な結論に達する。
それは───。
「ああ、この子、頭が可笑しいんだ……」
こうしてラングレイ少年は天秤少女から逃げ出した。
その後もちょくちょくラングレイ少年は天秤少女に権利書をせがまれる。
もちろん天秤少女は他の子供たちにも権利書を要求していたのだ。
結果、ラングレイ少年は15歳の夏祭りの晩に村を旅立つ。
逃げたのだ。
村から、少女から、逃げたのだ。
そして、廻り廻ってゴモラタウンの冒険者ギルドのメンバーに落ち着くのであった。
そこで、剣技も魔法もほとんど使えないラングレイは毒使いとして開化する。
ギルドのメンバーはラングレイのことを毒蠍とか毒使いとかと呼ぶが、実際の彼のポジションはヒーラーである。
薬草などを使った純粋なヒーラーなのだ。
だが、戦闘では毒の知識のほうが攻撃的で目立ち気味になってしまう。
毒を使った戦いかたのほうが、ヒーラーとしての活躍よりも、他人から見ても印象に残るのだ。
だから仲間たちはラングレイを毒使いと認識している。
ラングレイは、村で習得した薬草の知識から毒学を独学で極めたのだ。
その毒を使い吹き矢で攻撃する。
それが彼の得意分野だった。
毒では即死は難しい。
だから目眩薬、眠り薬、幻覚薬、はたまた精神分列薬。
様々な薬物を使ってパーティーを影から援護した。
そんなこんながあって、彼を毒使いの殺し屋だと勘違いする者も少なくない。
だから、人殺しを依頼されたこともある。
しかし、もちろん断った。
人殺しなんて冗談じゃあない。
彼は冒険者だ。
傭兵でも殺し屋でもないのだ。
そして、今回再会した幼馴染にも殺し屋として誤解されて殺しの依頼を強制させられたのだ。
ラングレイは、ただソドムタウンに羽を伸ばしに来ていただけだったのにだ。
しかも、数年ぶりに再会した天秤は、相変わらず人の話を聞きやしない。
てか、話が噛み合わない。
あの女は、相変わらずDQNのままだったのだ。
しかも今回も脅された。
この依頼を受けなければ、実家の村を燃やすと脅されたのだ。
村の実家を燃やすではないのだ。
実家のある村を燃やすと脅されたのだ。
要するに、あのDQN女は村ごと壊滅させると脅して来たのだ。
父も母も、叔父も叔母も、近所の老人や子供たちまで毒殺すると脅して来たのだ。
流石にラングレイもビビった。
しかも、あのDQN女ならば殺りそうだからだ。
ラングレイはエール酒の注がれたジョッキを眺めながら呟いた。
「アスラン……。それが誰かは知らんが、死んでもらうしかないか……」
冒険者一人の命と、知人である村の皆の命。
どちらが重いか──。
もう、ラングレイの思考も常識も正常には機能していなかった。
天秤への……。
否。
DQN女への恐怖心で判断を誤ったのだ。
「ア、アスラン……。死んでもらう!」
これが、不幸の始まりであった。
いや、ラングレイの不幸は天秤と出会った幼少期から始まっていたのかも知れない。
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