英雄堕ち

第5話 業火雷人

　狭い排水口にすっぽり収まり、勢いのまま滑っていくと、初めはビー玉のように通路を転がっていった。

　全身を縦横無尽に振り回され、やがて広い坂道に出ても、ロットの体が止まることはない。天地が分からなくなり、壁にも時折ぶつかり、勢いで宙に弾かれることさえあった。

　吐き気は辛うじて鈍痛で相殺され、ようやくそれらの悪夢が終わったのも、最後に壁から吐き出されるように、ロットが射出されたあとのことだった。

「――――――ぁぁぁぁあああああああああ゛あ゛あ゛ッッ、ぐぇ！！？」

　虚空に浮かんでいたのも、僅かな間だけ。相変わらず受け身を取れず、容赦なく小さな体は地面を転がっていった。

　度重なる鈍痛に、起き上がるのにも時間はかかったが、ふと聞こえた異音に周囲を見回し、出所を探って振り返った刹那。カラカラ響いていた音は、ロットと同じように壁から吐き出され、そのまま額に杖が直撃。再び地面に力なく倒れ込んでしまう。

　新しくこさえたケガにしばし苦悶の声を上げていたが、泣き言を零している暇はない。うっすら涙を浮かべていた最中、徐々に瞳が暗闇に慣れてきたからだろう。やがて遠くに天井が見えるや、杖で体重を支えながら、ゆっくり体を起こした。

「……『ホワイトアウト』」

　天井から目を離さないまま、コツンっと杖床で地面を叩く。すると杖先がほんのり明かりを灯し、高い天井を支える数々の太い柱や、どこまでも続く広い空洞に囲まれていることに気付かされる。

　まるで宮殿の一角にいるような錯覚に陥らされるが、下り坂を転がり続けてきた道のりに加えて、足裏に伝わるサラサラとした触感。そしてこれまでに無く感じる冷気から、辿り着いたのは恐らく下水道。

　灰の都が覆う、この世界の底の底に、どうやら降り立ってしまったらしい。

「…これ、下手をしたら再スタートしたジンさんよりも目的地が遠のいたんじゃないですか？」　

　思わぬ出遅れについ溜息を零してしまったが、周囲を見回しても景色に変化はない。そこで掌を上に向ければ、ポッと火の球を出現させた。

　ネズミを焼くことすら心許ない小ささだったが、目的を果たすには十分な大きさだった。しばらくジッと眺めていれば、やがて火が僅かに揺らめいて、ロットの目を見開かせる。

「…あっちですか」

　フッと消えた火を惜しむことなく、最後に風が吹いてきた方角に視線を向ける。どこまでも続く暗闇に、一体どれほど歩かされるのか。皆目見当もつかない状況ではあったが、構わず歩き始めれば、広大な空洞にぺたぺた足音を響かせた。

　いずれ出口に辿り着くだろうと深くは考えず、いくつもの太い柱と、優に１００は超える歩数を進んだ頃だったか。いい加減景色にも飽き、もう１度火を灯して、風の流れを調べようとした時だった。

　ふと柱の傍に見えた異物が、その場でロットの足を止めさせた。街中であれば、泥酔した町人の姿でも映ったのだろうが、灰の荒野にそんなものは期待できない。時間を置かず、かと言って呪文を唱えることもなく、すかさず掌を人影にかざせば、火の球を目標に向かって飛ばした。

　すると着弾した炎は人影――もとい柱に寄りかかっていた死体を燃やし、警戒して向けていた杖をソッと肩に担ぐ。炎が焚き火の如く揺らめくおかげで、一帯はますます明るくなり、景観そのものは変わることが無かったものの、それでも１つ。また１つと、視界に映る死体の数が増えていけば、自ずと表情も険しくなっていく。

「…こんなところに落ちてまで、互いに殺し合ってたんですかね。つくづく救えない方々ですよ」

　溜息をぽつりと零し、明かり（杖）をかざしながらほかの死体を見下ろせば、それらの落ち窪んだ眼窩と否応なしに目が合った。空洞の中を風が吹き抜ける音すら聞こえそうで、闇を閉じ込めた坩堝（るつぼ）から出来るだけ視線を逸らすと、再度杖をグッと持ち上げる。

　目を凝らせば、奥にいくほど転がる死体の数も増えていくのが分かるが、それらの大きさは全て大人のもの。到底彼らにロットが辿った狭い通路を抜けられるはずがない。

　ほかに入り口があるのなら、そこが新たな出口となる。

「先輩方が起きあがる前に、サッサと逃げるのが吉…と」

　照らした死体を避けるように足を動かし、本来であれば無視しても問題がない存在ではあるものの、この世界が彼らを“突き動かす”ことはよく知っている。

　念には念を入れて警戒を続けるが、一見して傍を通るロットに反応する素振りは見えない。むしろよくよく観察すれば、どの死体も焦げ痕がついているのに、火で焼かれた外傷のようには感じられなかった。

　それどころか、切り刻まれた傷も相まって“死因”がどちらとも取れない。

「……切り傷に加えて、恐らく魔法による一撃。魔物（ハエ）の仕業では無さそうですし、まさかボクたち以外にも２人組で行動している者が…？」

　期待半分。そして消えた相棒（ジン）がいる可能性に一喜一憂するも、彼とはほかの、人間性を保つ第三者と新たな“パーティ”を組むことも悪ではない。ジンに義理立てする必要もなければ、誰と組もうとも結果は同じ。

　所詮はその場しのぎの、互いを利用し合う関係に過ぎない。

　だからこそ気持ちもすぐに切り替え、死体を道標とばかりに辿っていくが、乾いた足音をぺたぺた響かせていた矢先。おもむろに足を止めれば、ぴくりと片耳を傾げた。

　聞き違いかとも考えたが、静寂の中で確かに聞こえる異音に、当初抱いていた希望はさらに半減。怪訝そうに眉をひそめると、杖をぎゅっと握り直し、再び移動を開始した。

　自然と体は屈み、ネズミのような足取りで少しずつ歩を進めていくなか、徐々に耳へ届いていた“咀嚼音”が大きくなる。やがて前方に見える、天井の穴から降り注ぐような光の一筋に、パッと目を見開いた時。その中央に屈みこんでいた人影が、もぞもぞ動いているのが見えた。

「ジっ……！！」

　咄嗟に呼びかけた“知り合いの名”。ただそんなはずは無い、と。すぐに口をつぐんでさらに近付き、光の柱から少し離れた暗闇の中から“ソレ”を眺めた。

　最初はうずくまっているようにも見えたが、観察しているうちに、どうやらソレが頻りに何かを口に運び、腹を満たしていることに気付かされた。

　灰の荒野に、果たして食料などあったろうか？それもこんな都市の底の底で。

　そんな疑問が脳裏に浮かび、体をゆっくりと柱の影から覗かせる。忙しなく揺れる人影が何をしているのか、それを詳しく調べようと首も伸ばせば、自然と足も脇へと歩みだした。

　２歩。３歩と。歩数は数える気にもなれなかったが、仮に数えていたとしても、直後に足へぶつかった死体の山が、一瞬にして思考をかき乱した。

　目で追っていくと、それらは人影を囲うように積み上げられ、さらにロットの視線の先に映った異様な光景に――横たわった死体に覆いかぶさり、ソレを貪欲に食い散らかす様に、一瞬で背筋が凍りついた。

　本能的に硬直した体も、程なく強張りは解けたものの、反動で後ずさった足がドンっと。死体の山に予期せずぶつかり、積まれた屍が瞬く間に崩れ落ちていく。

　それらを止める魔法など知るはずもなく、慌てて両手を突き出しても、もはやあとの祭り。しばらくして雪崩も収まったものの、それまで響いていた咀嚼音もピタリと止まっていた。

――ぐるるるるるるるぅぅ…

　天井から差し込む光の中、唸り声をあげながら、ゆっくり人影が振り返ってくる。服に見えた黒い衣（ころも）も、実際は上半身を覆う長い黒髪。パサパサに乾き、乱れた毛髪の隙間から覗く肌は赤紫色に変わり果て、双眸は赤く光ってロットを鋭く捉えていた。

　これまで見てきた、英雄（動く屍）たちの眼差しと同じように。

「……これはもう…ダメそうですね」

　最初に咀嚼音を耳にした時、多少なりとも期待は抱いていた。死体を喰らっていた姿には面食らったが、それも生きようとしている意思の表れの１つ。ミイラ化していない体も相まって、まだ仲間に引き込めた可能性もあったものの、振り返り際に聞こえた唸り声が。

　その瞳。その表情に浮かぶ獣染みた凶暴性が、もはや会話の余地を残してはいなかった。

「『ファイアボール！！』」

　気付けば杖を突きだし、呪文まで唱えていた。業火は瞬く間に着弾点を焼き尽くしたが、激しく揺らめく炎のせいで、一見して標的を始末できたか判別できない。それでも長年、魔術を行使し続けてきたからこそ分かることもある。

　炎の中で踊り狂う人影が見えず、死へと誘（いざな）う断末魔も聞こえなければ、それは敵に躱された合図。加えてそれだけの機動力を持つ相手なら、その先の行動も自ずと予見できる。

　だからこそ瞬時に振り返り、杖を身構えたところで、飛び掛かってきた敵の一撃を受け止めることができた。

　幸い圧し潰されずに済んだのは、相手の武器が短剣だったから。そして衣服だったものを辛うじて腰に引っかけた男が痩せぎすで、体重も下手をすればロットと変わらなかったからだろう。

　振り乱された、手入れがされていない黒髪も、男の顔を殆ど覆っていたが、その鬼のような形相。そして血色（ちいろ）に輝く赤い瞳が覗いていても、いまさら怖気づくロットではなかった。

「ぐるるるらららぁぁぁぁ！！！」

「……言葉を失ったようなら、もう遠慮も手加減もいりませんよね。先（・）輩（・）」

　歯をぎりぎりと噛みしめ、獣のような唸り声をあげる男に、つい不敵な笑みを浮かべてしまった。

　それが不謹慎だと。そんな状況ではないことも頭では分かっていても、これまで幾度となく浴びせられてきた殺意の眼差し。そして敵意を向けてくる相手を容赦なく焼き払ってきた身として、これほど心置きなく倒せる敵はいない。　

　いまだ見下ろしてくる相手を見つめ返し、再び魔術を発動しようとするも、瞬時に敵は杖を蹴って、そのまま背後へ飛びずさった。着地を狙って直後に火炎放射を放ったが、突然相手は眩く光り、轟音を発しながら炎を瞬く間にかき消す。

　強烈な明かりに、思わず瞼（まぶた）を閉じかけたものの、咄嗟に杖で地面を叩けば、ロットを中心に炎の柱が立ち昇った。

　視界は敵の光で一瞬塞がれても、背後に聞こえた微かな足音。そして背筋に走った悪寒に反応できていなければ、今頃は首を斬り落とされていたかもしれない。

「恐ろしく素早い敵は、やたらと背後に回りたがる習性でもあるんですかね？ジンさんもよく使っていた手ですから、おかげで対策もすぐに取れましたが…」

　荒野に降り立ってから“彼”との共闘の日々が浮かび、戦闘中にも関わらず、つい笑みを浮かべそうになる。しかし上空が眩く光るや、パッと見上げた頭上には、武器を構えた男がロットを睨み下ろしていた。

　瞬時に背後へ回り込める機動力を持つ彼のことだろう。おそらく傍の柱にでも駆けのぼり、ロットの周りを覆う『炎のカーテン』の弱点を見事ついてきたわけだが、とても称賛を送る気にはなれなかった。

　掲げられた短剣には雷（いかずち）が纏（まと）わりつき、バリバリと凶悪に輝く武器の様相から、次に起こることは容易に想像できる。

　だからこそ一切躊躇せず、周囲で燃え盛っている業火へ自ら飛び込めば、背後で爆発した落雷を辛うじて回避した。

　ロットの体に巻いていた布切れはチリつき、立ち込めた焦げ臭さや、床を転がった鈍痛で思わず顔を歪めたが、すぐさま振り返って杖を構えた刹那、稲光（いなびかり）が新たに放った呪文ともども炎のカーテンを弾き飛ばした。

　熱気が消えると、途端に冷気が一帯に漂い、身震いしそうな寒気が押し寄せてきたが、それはひとえに炎の消滅だけが原因ではなかったろう。

　一体それまでの凶暴性はどこへいったのか。まるで嵐の前の静けさのように、前方でポツンと佇む敵の不気味さ。そして何よりも彼から溢れ出す純然たる殺意が。

　乱れた黒髪を揺らし、その隙間から覗く血色（ちいろ）の瞳が、ロットの心臓を鷲掴みにしているようだった。

「…遠慮……もとい、手加減してもらうのは、ボクの方だったのかもしれませんね」

　冷や汗がこめかみを伝い、自ずと杖を握る手にも力が入る。その間にも数々の呪文が脳裏をよぎり、どうやって相手を仕留めるか。どう立ち回れば傷を負わずに済むか。

　目まぐるしく浮かぶ案に、しかし。突如敵が短剣から雷（いかずち）を発生させれば、一帯が再び明るく照らされる。物言わぬ無数の屍が視界に映し出され、それらに注意を向けたのも一瞬だけ。

　直後に男が武器を横に振るや、電撃を帯びた斬撃が、ロットに向かって飛んできた。

　咄嗟に屈んで避けたが、敵の攻撃はそこで終わらない。さらに短剣が振り回されると、その度に飛んでくる斬撃を身を投げ出すようにして躱し、回避できないものは杖を振って火炎球をぶつけた。

　両者の間で雷と炎が相殺し合い、火花が爆発音と共に次々散っていくが、激しい攻防の末、ふと床に転がった自分の体を起こした瞬間だった。おもむろに落ち着いた戦線に疑問を覚え、ハッと見上げれば、敵が真上で剣を構えていた。

　刃先を突き出すような持ち方から、再び杖で防御態勢に入ったが、今度の一撃は最初に受けた時のものとは別格。杖に触れたのは短剣ではなく、その周囲を迸る雷撃だった。

「ぁぐッッ……！！」

　魔力を帯びた杖で衝撃こそ防げたが、それでも電流が伝って腕にまで響く。威力が肩へ到達する前に振り払えば、あっさり退けることは出来たものの、宙へ軽々と飛んだ男が短剣に渦巻く雷（いかずち）の範囲を拡大するや、バチバチ迸る電流の中へ躊躇なく手を突っ込んだ。

　そのまま引き抜かれた稲妻（いなずま）は轟音を響かせ、槍のようにロットへ投げられるも、躱すには弾速があまりにも早すぎた。

　咄嗟に体をひねって回避を試みたが、雷撃は右肩に被弾。衝撃も相まってその場に崩れ落ちるが、直後に喉元を押さえつけられて、その場から動けなくなった。

　ダメ押しとばかりに、杖を握っていた腕まで短剣で串刺しにされ、首を締めあげる指の力が徐々に強くなる。

　背中を打ち付けた衝撃で、肺に酸素も残っていなかった。

「ぐっ……あっ…」

　肉を締め付ける音が。

　敵が歯を食いしばり、殺意を注いでくるその血色（ちいろ）の瞳が、ロットの苦痛で歪んだ表情を映し込む。

　おどろおどろしく乱れた長髪も、まるで背後に死神が佇んでいるようにさえ見せたが、あるいは僅かに舞った火と雷の残滓が、２人の陰影をそう見せたのか。

　それともロットに最期の時を知らせるべく、朦朧とした意識が映し出した幻だったのかもしれない。