第4話 亡き廃都
屋根が丸みを帯びた、宮殿に次ぐ宮殿。その隙間を埋めるように四角い建造物があちこちで立ち並び、途端に露わになった壮大な都の光景に、思わず喉を鳴らした。
風に舞う
持ち前の警戒心を始め、唐突な景色の変化も相まって、つい躊躇してしまったものの、フーっと一息吐けば、恐る恐る眼前に広がる階段を降りていった。
ペタペタ足音を立て、その間も周囲を忙しなく見回すが、生前を通してこの情景には慣れないからだろう。階段の幅は軍隊が通れそうなほど広いのに、ロットは中央を肩身が狭そうに歩いていた。
「体が大きければ、もっと堂々と歩くことができたんでしょうか?……いずれにしても1人で使うには広すぎますね」
“誰に”告げるでもなく、一瞬振り向きかけた首を前に戻せば、ポツリと独り言を零す。それから空を見上げるが、いまだ上空は永遠の夜に覆われ、都の周りも切り立った巨大な山々が囲んでいる。
秘密の入口を通らねば、外からはまず辿り着けなかったろう空間に改めて感嘆し、やがて広い踊り場に到着すると、左右2つに分かれた、どちらかの階段を選ぼうとした。
しかし選択肢の材料は殆ど皆無。手すりに取りつき、都を見回しても、特に目指したい建物があるわけでもない。どちらにも大きな建造物がそびえ立ち、ひとまず杖を持つ手の方――すなわち右手の階段を進むことに決め、前方に立つ塔を回り込むように段差を降りていく。
その間も思考は止まず、まず脳裏に浮かんだのは、都の広さに対する人気の無さ。何度周囲に視線を移しても、人が生活している気配が感じられなかった。
「ボクたちのように建物が飛ばされてきた可能性…は除外してもよさそうですね。こんなに綺麗な形で収まるとも思えませんし……もしかすると、本来は英雄の療養所だったとか…?」
小首を傾げながら憶測を述べるが、ザッと外から捉えた建物内の様相からは、とても安らげる設備があるようには見えなかった。
あるいはもっと奥に行けば――そう思いながら、ふと視線をズラした時だった。
「あぅ…!!?」
突如右肩に鋭い痛みが走るや、殴られたような衝撃と共に体が回転。そのままバランスを崩し、勢いよく階段を転がり落ちていった。
それからは夜空。階段。時に手すりが目の端に映るが、それも最後は小さな踊り場へ転がり込むことで、ようやく視界も落ち着いてくれた。
打ち付けた体もあちこちで悲鳴を上げていたが、全ては観光気分で歩いていた自分の落ち度。痛みと自分のマヌケさに歯を食いしばるも、おかげで意識がハッキリすれば、即座に杖を握り締めて『
それから肩口に突き刺さった矢を一瞥すると、引き抜く前に、刺さっていた向きから撃ってきた場所を特定する。
直後に視線の先で“キラリ”と。奥の建物、その屋根を支える柱の影が一瞬光ったのが見えるや、目と鼻の先で1本の矢が炎に包まれた。
お返しに杖先から炎の球をすぐさま放つも、物影へ隠れた射手の反応は早い。
しかし柱を過ぎたあたりで途端に爆発すれば、流石に避けている暇もなかったのだろう。燃えた人影が踊るように崩れゆく様が見え、建物の端から落下していく姿に、思わず笑みがこぼれた。
「ふふっ、子供相手でもやっぱり容赦はしてくれませんね……くぅッッ!!」
少しでも痛みを和らげようと、無理に笑顔を作ってはみた。それでも矢を引き抜いた反動で笑みは歪み、何度目とも分からない炎の結界を作動させたのも束の間。
むくりと立ち上がったロットの背後で、弾けるような音と共に、火花が激しく散りだした。
炎の残滓は宙をひらひら舞い、その合間を縫うように視界へ映ったのは、粉々に砕けた槍の破片。
例え広大な都市に降り立とうとも、
「…ほんっと、最低な場所ですねココは!ジンさんも早く来ないと置いてっちゃうんですからねッ」
現実逃避も同然の捨て台詞なのは分かっていた。それでも足を動かすには十分な原動力になり、すぐさま視界に入った建物へ走っていくと、物陰へ一気に飛び込んだ。
勢いあまって着地は失敗し、顎をしたたかに打ち付けたが、ただで転ぶ
そのまま転がって奥へ移動し、痛みに悶える暇もなく足を動かした刹那――ッッボン!!
途端に後方が赤く光り、僅かに聞こえたうめき声をかき消す爆音が、煙となってロットまで迫った。
「もぉ、なんでそんなに殺意が高いんですか!『ファイアウォール』!!」
走りながら飛び上がれば、くるっと背後に反転しながら杖を一振り。ぶんっと横に勢いよく回せば、杖先の軌道を追うように炎が宙に引かれる。
赤く灯った一閃はやがて膨らみ、凝縮されたエネルギーが一気に噴き出すや、ロットの背後には炎のカーテンが壁の端から端まで、瞬く間に広がっていった。
追跡を撒けることはもちろんのこと。視界も遮断できる勝手の良い魔術ではあるが、所詮は時間稼ぎ。槍を投げてきた亡者を仕留められたかはともかく、爆発音を聞いてまた追手がやってくるかもしれない。
だからこそ足は止めず、時折壁の隅に積もった灰をすくえば、掌がいっぱいになったところで、グッと肩に押し当てた。できれば全身の打撲も治したいが、今はこれだけで我慢するしかない。
「…1本道で隠れる場所もない、と。外観よりもう少し内装を凝ってもらえれば、この都市の評価も何段階か上げてあげても……ん?」
変哲のない回廊をぺたぺた走り、一息つけそうな場所を探して、右に左に。視線を忙しなく動かしていると、ふいに遠くから異音が聞こえてきた。
集中してみれば、なんということはない。到底耳にしたいものではなかったが、向かっている先から聞こえては、確認する以外に手立てはなかった。
1度背後をチラッと振り返り、追跡者がいないことが分かれば、ゆっくりと歩幅を緩める。なるべく足音を押し殺し、程なく暗い回廊へ光が差し込んできた時。突き出たヘリに半壊した手すり。
そして天井の一部だった物だろう、瓦礫の山が床に広がり、ぽっかり空いた屋根から覗く夜空が一帯を照らしていた。
家具も何も無い空間とはいえ、朽ちた宮殿内が神秘的に見えたのも一瞬だけ。直後に先ほど耳にした異音に身を屈めれば、尻尾を立てた猫のように、忍び足でヘリに近付いた。
すると階下からは案の定、これまで幾度となく聞いてきた戦闘音が咆哮を上げ、臆することなく――むしろ興味半分、そして“期待半分”で、ソッと手すりの隙間から顔を覗かせた。
「……ジンさん?」
小声で、無意識に。ついその名を口にしてしまったが、遥か階下にいるのは全くの別人。たとえ動くミイラであっても、ジンと見分けがつく程度には、肩を並べて戦ってきたのかもしれない。
そのことで、ついクスッと笑みを浮かべてしまったが、悠長に眺めている場合でもなかった。
何段もの階層が底へと続くなか、亡者が武器を向けていた相手は“巨大なハエ”。最期にジンと共に対峙した怪物そのもので、6本もの黒い剛毛に覆われた腕の1つが、振り下ろされた剣を受け止めた……かに思われたが、切っ先はズブズブとめり込んでいく。
相手が元英雄ゆえか。あるいは怪物の耐久性か、剣の鋭さの問題か。いずれにせよ、ハエの腕からは緑の血が溢れ、異様な鳴き声が一帯に轟いた。
この場合、どちらを応援すべきか迷うところではあったが、怪物とてただやられているわけではない。凶腕を振るえば、亡者はすぐさま背後に飛びずさるも、ハエが“掌”を相手に向けて広げた時。
不気味な
無数の羽音は否応なくそれらが小さなハエの群れである事を知らせ、まとわりつかれた亡者も、後退しながら脅威を薙ぎ払っていた。
それでも威力。そして速度ともども足りず、やがて人影はみるみる暗闇に飲み込まれていく。見えなくなった姿が、ジンの最期と重なり、思わず目を逸らしそうになったが、再び奇声が轟いたからだろう。
咄嗟に視線を戻せば、巨大なハエは背後から別の亡者に斬りつけられていた。
虫けらが如く、新たに現れた刺客の相手をすべく、怪物は振り返って次の戦いを始める。
「……少なくともあのハエは“英雄”ではなさそうですね。恐らくこの土地に生息する魔物の類なのでしょう…それにしてもあの魔法陣、というよりもあの小バエの群れ。魔法で出現してたんですか」
一部始終を観戦しつつ、ひとまず怪物が“英雄”ではなかった事にホッとする。同時にアレらが敵対関係にある事を理解するも、ハエからすれば亡者たちに棲み処を侵入されて、迷惑もいい所だろう。
あるいは英雄の道から外れた罪人を罰するために存在する、女神が遣わしたおぞましい怪物なのであれば、また違った姿が見えてくるのかもしれない。
だがそうなると1つ。疑問が否応なく生じてくる。
「この街は…明らかに
生前に聞いた物語。“千年の未来を約束された砂塵の都”を一時は彷彿させたものの、話に出てくる踊り子や大道芸で歓迎してくれる住人たちはいない。仮にいたとしても、当時の栄光は灰に埋もれ、今や怪物と英雄になれなかった亡者で溢れ返っている。
「……こんな場所でも、ジンさんを待って留まるべきなんでしょうか。それとも光の柱を目指して…」
荒野とはまた異なる光景に、しばし考察を捗らせていたのも束の間。ようやく現実に目を向け始めた矢先に響いた、一段と猛々しい戦闘音に、思わず階下を再び覗いた。
どうやら新たなハエの魔物たちが、別の部屋で戦っていた英雄たちを引き連れ、今や眼下は地獄絵図。ジンと共闘していた頃とは打って変わり、さながら戦場の様相が宮殿内に広がっていた。
耳を傾けずとも、雄たけびや
無論、警告されずともそのつもりだった。戦闘ができる、できないに関わらず、争いから華麗に退いてこそ、長生きもできるというもの。
しかしなまじ実力がある魔術師で――それも“元英雄”の肩書を持ち合わせていると、如何せん思考も荒っぽくなってしまうのだろう。気付けば各階層で暴れる敵を視線で追い、どれから倒せば効率よく
杖をぐっと握り締めながら、慎重に標的を絞っていく。
一騎打ちをしている輩は、まず論外。3体で固まっているものも、無しではないが、できれば5から6体くらいまとまっているモノが望ましい。
魔術師、とは広範囲かつ大勢の相手を1度にすることを得意とし、大技を放つ爽快感と大義名分に酔いしれていると言われてしまえば、それを否定する材料は無かった。
だからこそ入り組んだ地形や、少数相手の戦闘は、実力が上がるほど苦手な傾向に陥りやすい。敵の数に合わせて本能的に注ぎ込む魔力を減らし、仕留めきれない可能性も出てきてしまう。
強大な力をもつがゆえの“貧乏性”であったが、そういった欠点を補う上で、ジンの存在は大いに頼りになっていた。
少数を彼が。多数をロットが。憎まれ口こそジンに叩いても、おかげで光の柱を目指す旅も順調に進んでいたことは、火を見るよりも明らか。
失って初めて覚える後悔に、つい溜息を零した時だった――ジャリっと。背後で聞こえた足音に、すぐさま反転すれば、咄嗟に構えた杖で斧の一撃を食い止める。
ジンに似ても似つかない大柄なミイラに襲撃され、すぐさま反撃しようとしたが、接近戦では相手の方が一枚上手。すかさず追撃の蹴りを腹に入れられ、重い一撃に胃液を吐きそうになった。
だが、その前に。背中を突き抜けた衝撃は、手すりを粉々に砕き、破片は折れ曲がったロットの体ともども、虚空へと弾き飛ばされる。
「く……はっ…!!」
激痛の余韻が体の前後で渦巻き、いまだに強張りが抜けていかない。それでも確かにまとわりつく浮遊感に、弱音や反吐を零している暇などなかった。
「ふ…『フライ・ハイ』!!」
たとえ斬られ、殴られようとも、決して手放すことがなかった杖。それを握りしめた途端、ロットの全身が瞬く間に炎で包まれるが、その勢いはロウソクの灯が如く柔らかい。
ハンカチを落とすようにヒラヒラ舞い、人とは思えない速度で降下していく様に、戦闘中の怪物たちですら、一瞬でも注意を向けざるを得なかったろう。
階下を通過する毎に周囲は優しく照らされ、やがて地の底に着地すると同時。それまでまとっていた炎は、蜘蛛の子を散らすように離れ、かと思えばそれぞれが再び集まって、4つの赤い球体が生み出される。
最初はロットの周りでプカプカ浮かぶだけだったが、杖床でカツンっと地面を叩くや、今度は上へ上へと昇っていく。
まるで風船で降り立ち、それを手放したような光景が広がるも、そんな平穏な景色には程遠い。上空へ浮かんでいく炎の球はもちろん。落下していく様を捉えていた魑魅魍魎たちは、ロットを蹴落とした亡者を始めとして、手の空いた者から次々手すりを乗り越えてきた。
「ふふん、虚空にいては避けることも出来ないでしょう?…って、ゆっくりしてる場合でもありませんね」
勝ち誇ったように、ニコリと笑みを浮かべたのも一瞬だけ。今でこそ燃え落ちる蛾のように亡者たちは降ってくるが、炎の球が階層を通過すれば、遅れて飛び出してくる輩の対処に追われることだろう。
混戦する前に颯爽とその場を離れるも、ふと周囲を見回したところで、通路と呼べるものが無いことに気付かされた。
足裏に伝わる、滑らかな床の感触からも、かつては水場だったのかもしれない。だがそうなると、今のロットはまな板のコイも同然。
全ての怪物たちから注目を集めたおかげで、共通の敵として始末されかねず、急いで視線を右に左に。慌てて周囲を探っていたところで、壁際に小さな穴が床に密接して開いているのが見つかった。
恐らく排水口の類なのだろうが、ほかに抜け出せそうな道もない。遠目に見ても小さな入り口に、果たして子供の大きさとは言え、ロット自身が潜れるかどうか。
「――下手をすれば小さなトンネルの中で、一生身動きが取れなくなるか…最悪自爆して“スタート”からやり直すか…いずれにしても、まともな終わり方はできませんね」
水路で引っかかろうものなら、光の柱が遠ざかるばかりか、二度とジンに再会することもできなくなる。もちろんこの場に留まっても、死を免れることはできないが、結局のところ。どう生きるかではなく“どう死ぬのか”。それこそが英雄に求められる資質とも言えるだろう。
「…でも…今回は死に方が選べる分だけ、だいぶマシですかね」
上階での騒ぎに耳を傾けつつ、ちらっと小さな脱出口を捉えれば、さらに小さなため息をポツリとこぼした。
何度見ても大きさが変わるはずもなく、覚えるのはその先で待ち受ける不安ばかり。
しかし死ぬことも、孤独も、生前から吐き気を覚えるほど慣れている。そして何よりも、敵わない相手に背を向け、恥をかくこともまた同様だった。
「……終わりの無い、最後の冒険へ…いざ!」
昔読んだ絵本のセリフがふと浮かび、思わず口に出して走り出せば、背後に聞こえた着地音――と同時に、抜け目なく張った炎の罠が起爆する音を耳にし、爆風の勢いで一気に排水口へ押し込まれた。
暗闇に飲まれる寸前、先ほど思い出した絵本のタイトルが、何故か脳裏をよぎらなかったことに疑問を抱いたが、そんなくだらない事柄が気になってしまう自分に、つい苦笑してしまった。
もしかすれば自身が登場する
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