第3話 石の墓標
「おら…よっとッ」
斬りかかってきた亡者を紙一重で躱し、すかさずジンが相手を切り刻む。その間に彼の背後でボンっと爆発音を響かせれば、ロットの周りには黒焦げた死体の山が積み上がっていた。
「…はぁ、はぁ、はぁ……守備は、どうですか?」
「見ての通りだよ。それにしても相変わらず体力の無い英雄様だな、おい」
「だから同盟を組んだんじゃないですか。それに倒した数では、まだボクの方が多いんですからねっ」
時と場合を選ばず、また言葉も選ばないジンにムッとなるも、荒い呼吸を繰り返しながら見回せば敵の姿はない。ひと段落したところでゆっくり深呼吸し、砂埃を払いつつ
敵を焼くのは慣れているが、不快な臭いはもちろん。いつ見ても死に様としては悲惨すぎる。顔をしかめながらプイっと視線を逸らせば、嫌な思い出を忘れるように口を動かした。
「……彼らは何を想ってボクたちを襲ってくるんでしょうね。この世界にいるだけでも十分
あてもなく流していた視線がピタッと止まると、死体の傍で屈みこむジンを否応なく捉えた。まるで何かを漁っているような様相を
指摘しかけた言葉をグッと飲み込めば、小さな咳払いで誤魔化した。
「…何か分かりましたか?」
「まったくだ。さんざん切り刻んでみたが、
ただでさえ険しい表情をさらにしかめ、自分の首を
敵が同じミイラの体であるのなら、相手の弱点はジンの弱点も同然。だからこそ手がかりを求めているのだろうが、その知性的な立ち振る舞いが普段の粗暴な彼と似ても似つかず、流石は“元”英雄と言ったところか、と。そんなことを口走りそうになって、再び咳払いで誤魔化した。
するとジンがスッと立ち上がり、まるで急き立ててしまった気がして、一瞬だけ罪悪感に襲われた。言い訳の数々を瞬時に思い浮かべるも、直後に聞こえたため息で、思考もまた瞬時に霧散していく。
「…周りは死人だらけで、まともに話せんのも俺らだけなんだ。だってのにわざわざ“服”を着る必要があんのか?」
呆れたように彼がチラッと振り返れば、その先に映るのは胸と下半身を敵から
股間のイチモツを見られていなければ、この場で性別を言及されていたかもしれないものの、彼の怪訝そうな視線を受けると、咄嗟に手足でキュッと隠してしまった。
「し、親しき仲にも礼儀あり、って言うじゃありませんか。人前に立つからには相応の装いをするのも大切ですし、野蛮な土地に降り立ったからと言って、野蛮人のように振る舞う必要もありません」
「親しき仲…ねぇ」
「……そういえばジンさんは武器を変更されたりしないんですか?接近戦に特化しているなら、もっと上質なものを先輩方からいくらでも拝借できると思うんですが……考えてみればボクたちが死んだ時って、武器も一緒に手元で復活してますよね」
「使い慣れた武器をいまさら手放す気はねえな。それを言うなら杖で防いでばっかのテメェこそ変えたらどうなんだ」
「魔術師が杖を手放すなんてとんでもありません」
緩くなった腰と胸回りの布をキュッと縛り、鼻で笑うように再びジンが歩き出せば、すかさずロットも後をついていく。彼と違い、まだ生身があるからこその装いではあったが、何も羞恥心だけが理由で体を隠しているわけではない。
光の柱から吹き込んでくる風が布切れをなびかせ、変わらない景色に少しだけ
それがたとえ城のような、高い登り坂に行き着くことになったとしても、汗水流しながら膝を持ち上げていれば、いずれ頂上についたところで風がきっと心も体も癒してくれるはず。
そう自分に言い聞かせながら汗をぬぐい、必死に足を動かし続けた。転がり落ちないよう杖に体重をかけ、やがて視界の端に立ち止まったジンを捉えると、これ幸いとばかりに小休憩を挟んだ――その時だった。
「…おい」
ぶっきらぼうな一声に
だが一呼吸を置いている暇もない。頂上の景色を堪能する間もなく、ジンの視線を追わずとも見えた、巨大な岩。これまでもそこら中に転がっているところを幾度も見かけてきたが、よくよく目を凝らせば、入口らしき穴がぽっかりと開いている。
「どうするよ」
「……行ってみましょう。何か役立つモノがあれば上々です」
ただの岩にしては不自然で、側面を掘られた洞窟と考えた方がしっくりくる。砂丘の
2人が通った道には灰の
おかげで岩の前に着いた時には
近くにくれば、人為的に掘られた形跡がよりはっきり見て取れ、ようやく訪れた景色の変化に期待半分。そしてジン以外の英雄すべてと敵対している今、警戒半分で踏み込んでみるも、特別喜べる要素は何1つない。世界をくりぬいたような空洞が延々続き、冷たい床をぺたぺた歩く足音が、落ちた
「…なんなんだ、さっきから振り返ってよ?」
そんな静寂の
無論、ジンに襲われる心配は一切していない。ただロットと違って、足音を全く立てないせいで、本当についてきているのか不安を覚えてしまうのだ。
無音で移動しているのがミイラの特性なのか。それとも“そういう歩き方”を日頃から心掛けているのか。いずれにしても選ぶ言葉を
「後ろから
「テメェを始末するんだったら、とっくの昔に殺ってるっての。ビクビクしてんじゃねえ」
「
冷静に対応しようとしてもジンが相手だと、どうしても声に力が入ってしまう。咄嗟に体まで反転させかけたが、それも彼の視線がロットから外れ、進行方向に移されたことでピタッと止められた。
再びゆっくりと足先を前方に向け、通路の奥を凝視してみるも、見えるのは延々と続く暗闇だけで、耳を澄ませても
そこでようやく杖で明かりを灯してみるが、結果が得に変わるわけでもない。暗がりは奥へ一層追い詰められ、謎も深まるばかりだった。
「何が見えているんですか?」
「…嫌な気配がするだけだ。んなことより、まだ進む気か?これ以上探ったところで、何が見つかるとも思えねえがな」
「結論を語れるまでが愚者の道…師匠の受け売りですが、時間に囚われているわけでも無いんです。始めにも話した通り、役立つモノがあれば上々。何もなくて引き返すことになったとしても、それはそれで十分な情報と言えるでしょう」
「気になったらとことん調べる、ってか。難儀な性分だな」
「ふふっ、“冒険”なんてそんなものじゃないですか?」
振り返りながらにっこり笑みを浮かべれば、ジンのしかめっ面がますます険しくなる。そんな些細なやり取りでも初めて勝てた気がして、油断すれば浮足だって歩いていたかもしれない。
しかし直前に警戒を示していたジンの気迫を思い出し、改めて気を引き締めようとした時だった。ふいに足を止めれば、おもむろに
一瞬暗闇が
背後もジンが守ってくれているからこそ、いざ眼前に
「…ジンさんには、何が見えていますか?」
「首の無ぇ死体がごろごろ転がってんな。わざわざ俺に確認するまでもねえだろ」
「異様な光景を2人して認識できているのなら、それは紛れもない現実ってことですよ。ココまで先輩方が来ていたことも十分警戒に値しますが、それよりもこんな死に様はこれまで見たことがありません。もしかすれば頭を落とすことで敵を無力化できることを知った先駆者が…ボクたち以外にも自我を保った
「そのわりには、まるで
一瞬抱いた期待も、ジンの言葉ですぐに雲行きが怪しくなり、よく見れば確かに死体の首の切れ目が荒い。仮に生還者が怪力無双を誇ったとしても敵は複数いて、武器もそれぞれ脇に落ちているところから、呑気に頭を引き千切っている暇など無かったはずだろう。
何よりも死体の体が虫食いのように穴が開いており、気になって近くで調べようとした矢先。
「――おい」
いつもの声音。いつもの警告。ジンのぶっきらぼうな文言にすぐさま足を止めれば、直ちに1歩下がって前方に杖を構えた。声の聞こえ方から察するに、彼は後ろではなく、前を見ながら言葉を発したはず。
だからこそ目を凝らし、杖先で目いっぱい奥まで照らそうと試みたが、見えているのは闇ばかり。だが光で生み出された影が不自然にうねり、加えて耳障りな音が唐突に沸き上がるや。暗闇は明かりを消さんとばかりに、津波の如く2人に迫ってきた。
「…ふ、『フレイムボール』!」
咄嗟に呪文を唱えれば、杖先から炎の球が射出される。通過する先々を
すかさずジンがロットを抱えて背後に飛びずさろうとするも、ふいに影の侵攻が止まった。闇の中でうねり続け、耳を這うような音を出し続ける様に注意を払っていた矢先、ざわめきがより一層高鳴れば、徐々に道が
すると黒い、枝のような足が――ズシャッ、と。杖先で照らされた光の中に、重々しい音を立てながら姿を現した。一見して巨大な虫の節足を彷彿させられるも、足先は人の手のような鉤爪を模り、ズルズルと引きずられた重たそうな体は、醜悪なハエの外見そのもの。
「…あれがお山の大将ってわけか。周りの羽虫に比べて、ずいぶんとデカく育ったもんだ」
「よくそんな冷静でいられますね。正直不快感がひどすぎて、見たくもないんですけど…それにしてもあの不快な音は、小虫の群れの羽音だったんですね。もしかして
「テメェも人のこと言うわりには余裕そうじゃねえかよ」
「これでも我慢しているんです。察してください……うぇぇっ」
「あんま目を逸らすな。首“もって”かれっぞ」
いつもの気怠そうな声に反し、彼の言葉が鮮明に頭の無い死体の数々を脳裏によぎらせる。それらの傍に武器は落ちていても、首が転がっていなかった事実を考えれば、答えそのものは単純明快。目の前の怪物に収集癖でもない限り、
人の手の形をした鉤爪――の8本のうちの2本が犠牲者の肩を掴み、そのまま巨大なハエの口が頭に…。
「…うっ」
想像するだけで吐き気を覚える光景に嗚咽が込み上げてくるが、ズシリと重い足音がロットの意識を揺さぶった。反射的に火球を杖先から放つも、周りを飛んでいた羽虫が怪物を覆えば、炎が敵に届くことはない。“率いている”よりかは、操っているといった方が正しいのだろう。
「……おい、放火魔」
「…なんですか強盗犯」
この狭さでは、出せる術も限られてくる。苦虫を噛み潰す想いでジンの問いかけに答えたのも束の間。
「――敵に火を点けられんなら、武器を燃やすこともできんのか」
巨大なハエの怪物から、目を逸らすことなく告げたジンを思わず一瞥した。それから敵に再び視線を戻せば、怪物は無数の羽虫を従えながら、ゆっくり2人に向かってきている。
「…『ファイアフュージョン』」
作戦も何も聞かず、指先でひゅっと宙を撫でれば、途端にジンの双剣が真っ赤に燃え上がる。突然自分の武器が燃えれば普通は多少なりとも驚くだろうに、一方のジンは反応も見せず、それが少し負けた気分に陥らせてくれる。
「言っておきますけど、その呪文はあまり長く持ちませんからね。下手をすると所有者にまで火が回ることも…」
「俺に掴まってろ。離した時がテメェの最期だ」
「……知性的な作戦とは言い難いですが、それよりも同盟が一方的に切られそうな環境に置かれていることの方が不快ですね」
ため息を零しながらもジンに近づくが、一瞬
だが彼の話に乗らず、元来た道を戻る選択肢だってある。背後を一瞥すれば暗闇がどこまでも続き、そこを通り抜ければ見慣れた灰の荒野に出て、再び光の柱を目指すこともできる。
「…そうすれば今度は、また先輩方の相手をする羽目になってしまうわけで、硬い床の恩恵も消えるわけですか」
ジンに聞かれないよう、ボソリと呟いたつもりが、ギロッと睨まれたところで咄嗟に愛想笑いを浮かべた。洞窟に入った理由の1つとして、地下から這い出る亡者たちを避ける目的もあったとはいえ、欲を言えば洞窟の先に何かあることを期待していたことも事実。
入り口に帰る選択肢。もとい、これまで歩んできた道を戻る気持ちも薄れると、大きなため息を大袈裟に吐いてから、キュッと目を固く閉じた。
浅い呼吸をそれから何度も繰り返し、やがて飛びつくようにジンの腰に両腕を回せば、決して放さないよう力を込めた――その瞬間だった。下半身が置いていかれる錯覚に陥るや、次に感じたのは全身に殴りかかる凶悪な風。
まるで暴れ馬に振り落とされまいと、必死に首に掴まっている情景が浮かぶも、ウサギが潰れたような鳴き声は耳に。焦げついた異臭は鼻につき、咄嗟に片目を開けたのは必然だったのかもしれない。
しかしロットの視界に映ったのは、主に残火の軌道だけ。真っ赤に燃え盛った世界が目まぐるしく回転するなか、
2人と化け物1匹を包囲する小虫も、炎を
小虫の群れを避け、僅かに開いた穴を通すような“投擲”に、ハッとなった時にはすでに手遅れ。怪物と死闘を繰り広げるジンの姿を最後に、
「じ…ジィィイーーーン!!!」
悲痛な叫びを上げるも、ジンには決して届いていないだろう。それでも1人だけ助けられてしまった裏切りに憤りを覚え、あらん限りの声を上げたつもりが、地面にぶつかると二転三転。悲鳴も否応なく潰され、ようやく勢いが止まる頃には、ぐったりと動けなくなっていた。
“暴れ馬”に掴まっていた疲労が一気に出たのだろう。剥き出しの肌もヒリつくように痛んだが、眠っている
しかしジンを覆う漆黒が
「人の心配をさせてもらえる時間もくれませんか…」
姿の見えない
後ろを見返せば追いつかれてしまいそうな気がして、時たま耳元を
1度は炎の壁を形成してみたが、小虫の群れはそれすら突き破り、出来るかぎり闇を払おうとしても、暗がりは足音すら容赦なく
「…あああぁぁ、もうぅ!!“このために”同盟を組んだんじゃないですか!あのっ…自己中男!!!」
自分を
今は逃げ
だからこそ、だろう。汗で何度も塞がれた視界の先で、切り抜かれたような光の筋が見えた時。
「…っっで、出口!!?」
最初は半信半疑だった。徐々に明かりも強くなっていき、ようやく確証を得ると共に浮かべた笑みも、はためく腰布に“何か”が触れる異物感を覚えれば、すぐに
漆黒は、すぐ傍まで迫っていたことは明白。それでもギリギリまで足を止めず、やがて三角に模られた光の中へ飛び込んだ瞬間。
「『ドラゴンブレス』!!」
転がりながら振り返れば、杖から噴きだした業火は瞬く間に暗闇を覆っていく。
最初は押し返そうと群がっていた小虫も、態勢を立て直したロットが構え直し、肩に力を入れるように魔力を集中すると、程なく洞窟の奥へと押し戻される。そのまま竜の
宙が燻る音。空間が歪むほどの熱気。それらもやがて火力と共に少しずつ
「……はぁー…はぁー……手加減、しそびれました…」
体を折り曲げ、それでもグッと顔を上げた先に映ったのは、
無論、出口につくまで極力呪文を控えていたのも、ジンまで燃やしてしまわないため…だったのだが、盛大に
達成感を覚えることも、ましてや助かった実感もない。ただただ思考の片隅に浮かぶ
「…ジン、さん?」
ポツリと。虫のような
「あー……そのぉ…だ、大体同盟を組んでいたのに、あんな勝手なことをするからこんなことになったんですよ!?どんな状況であれ、もっと冷静に話し合えていたら、今頃は…ッッ」
罪悪感から一転。あるいはそれを払いのけるために怒りの炎を灯したが、いくら吠えたところで、それも空洞に虚しく木霊するだけ。行き場のない感情に思考がまとまらず、しかしその反応こそが。
見た目相応に
すると不思議なことに、水底で眠る小石のように思考も
への字に曲げていた口元も
「…でも、もし次に会えた時は1発…いえ一刺しくらいは我慢するので…せめて正気であってくださいね」
暗闇にいくら
燃やされた文句の1つでも言うために、血眼になって探しに来る――彼はそういう男だ。
そんな姿もまた容易に想像できるせいで、思わずクスリと笑ってしまったが、気を取り直して背後に振り返った時。ジンの存在を一瞬で忘れてしまう光景が、ロットの眼前に突如飛び込んできた――。
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