第2話 砂漠葬送

 右に左。そしてまた右と、足を高く持ち上げれば、降ろした矢先にずぶずぶと足元が沈んでいく。地平線に見える光の柱を目指して、亡者同然の足取りを繰り返しているが、経てど進めど辿り着く様子はおろか、近付いている気配すら感じられない。

 まるで太陽に向かっているような途方も無さに、焦燥と苛立ちを度々覚えるも、灰の荒野でほかにやれることなど限られている。

 

 全てを諦めて怪物と化すか、永劫の闘争に身を焼き尽くすか、だ。


「…はぁ、はぁ…か、かと言って……歩き続けるだけ、というのも味気ないものですね」


 頬を伝った汗をグッと拭い、今いる自分の状況を嘲笑しようとしたが、直後に足元が膝まで沈むと、笑みもすぐ苛立ちへと変わった。

 それが体力の消耗だけで済むならまだしも、時に転ぶこともあれば、丘をごろごろ落ちていくこともあった。その度に亡者との戦いに比べればマシだと、呪文のように自分へ言い聞かせていたが、もっともロットをイラつかせたのは他でもない。

 

「――おい、ちんたら歩いてるとまた襲われるだろうが。もっと足を上げて体を起こせや」


 額の汗を拭いかけるも、ふと聞こえた気怠そうな声に眉をしかめれば、ジロリと前を歩く協力者ジンを睨みつけた。子供ロットの歩幅や移動速度を考えず、がんがん進んでくれるおかげで、心も体も休まる暇がない。


「ぜー、はー、ぜー…な、何度でも言いますけど、もっと速度を落としてください!2人以上で行動する時は、周りにもっと目を向けて…」


「へいへい。1番足の遅い奴に合わせりゃいいんだろ?……本当にこんなのが“選ばれし者”だったのかね」


 吐き捨てるように零れるセリフに、思わず杖を強く握りしめたが、心なしか彼の足取りも遅くなった気がする。先ほどの言葉もそれで相殺――と簡単に切り替えられるはずもなく、殺伐とした空気が以前として2人の間に漂っていた。



 会話が途絶えたのも、とうに昔のこと。互いの自己意思のみを共通点に組んだとはいえ、それでも行動を共にしているのは、亡者の襲撃時に敵戦力を分散できるから。うまくいけば片方の集団を始末したのち、挟み撃ちの形で残りも撃退できていた。


 ただ問題があるとするなら、それはやはりジンとの体力差。休憩も無しに移動できる彼と違い、すぐに息切れするロットの天敵は疲労そのもの。

 歩けばジンに置いていかれ、戦闘になればピンチに陥ることもしばしばあった。


 もちろん協力者を見捨てるのは、彼としても本意では無いのだろう。“自分の相手”をそっちのけに、途中抜けして助太刀に入ってくれることは何度もあったが、それもきっとロットに利用価値がある間だけ。

 何も言わずとも視線は明らかに怪訝けげんそうに向けられ、今は離れた場所で足を止めてくれてはいても、ひざを押さえて呼吸を整え、次に顔を上げた時には視界から消えているのも時間の問題だった。

  

「…休憩、とは言いませんけど、せめてゆっくり進めたなら戦闘にも少しは余裕がでるはず。そうすれば彼だってわざわざボクの援護に向かってくる必要も…」


 移動も再開され、さっそく疲れを覚えてくると、文句がぶつぶつと溢れてきた。もちろん同盟を申し出たのは自分で、足を引っ張っているのがロットであることも紛れもない事実。子供の身だからと言って甘えが許されないことも頭では分かっても、感情を理屈で片付けられるほど人間ができてはいない。

 愚痴ぐちをこぼすことで少しは心の均衡きんこうを保とうと試みるが、一方で同じ景色がずっと続いている状況もまた、ロットを焦燥させていた。


 光の柱に近付く気配も一向になく、砂漠同然の荒野のせいで、あるいは蜃気楼の類ではないかと疑いたくなるも、幸い暑さを感じることはない。むしろ薄っすらと寒気すら伝わり、食料も無いこの世界では、亡者だけが生き延びられる死の国でもあった。


「――おい」


 再び息を切らし始めると、聞き慣れた声に思わずムスッとなる。反射的に顔を上げるが、ジンの視線はロットに向けられず、だらりと脇からぶら下がった双剣に力が籠もるのが分かった。

 

「…来るぞ。準備の方はいいか?」


「ふー、ふぅー…んっ、いつでもどうぞ…」


 まだ疲れは取れていないが、ロットの回復を待ってくれるはずもない。地中から“先輩方”が次々と姿を現せば、先陣を切ったジンが1体の頭部を斬り飛ばす。一方でロットは杖を横に振り、扇状おうぎじょうに広げた炎の波が、亡者たちを一気に焼き尽くした――かのように見えたものの、餌食になったのは数体だけ。ほかは屈むなり、跳び上がるなりして魔法をかわし、すぐさまジンたちに襲い掛かってきた。


 それから2人はそれぞれ、複数の敵と乱戦を繰り広げたが、特段これまでの戦闘と変わったところは無い。ひたすら全力で対象を殲滅していくも、よくよく観察すれば少しばかり違った点に気付けたことだろう。



 まず手始めにロットの炎が、敵味方問わず放たれるようになったこと。疲労からくる余裕の無さの表れか。それともこれまでの経緯から、協力者に殺意を覚えてしまったのか。

 いずれにしてもジンが咄嗟に躱さなければ、被弾した回数は二桁を超していたろう。

 

 挙句に最初こそロットに注意を払っていたが、迫りくる炎のせいか。はたまた少年に辟易したのか。徐々にジンも自分のことにだけ集中するようになり、戦闘の足並みも揃わなくなる。

 互いに預けていた背中は敵に斬られ、叩かれ、やがて全てが終わった頃には満身創痍。おかげで砂風呂の如く灰に体を埋め、予期せぬ休息を余儀なくされていた。



 亡者だけが生き延びられる死の国。それはもっと厳密にいえば、誰よりも、そして何よりも強い者だけが闊歩かっぽできる地獄のふちだった。

 

「……後半、ボクの方に敵が雪崩れ込んできてませんでしたか?」


 体を埋めた地上は悪夢。それでも星1つ無い、どこまでも澄んだ夜空を眺めながら一言零せば、少し離れた場所で横たわるジンに、否が応でも伝わる。顔を傾ければ彼の様子も覗き見れたのだろうが、“今は”そんな気分ではない。


「はんっ、ようは弱い奴から仕留めようって魂胆こんたんなんだろうよ。足の遅い奴ほど、手軽なカモはいねえからな」


「そうですね。確かにちょこまか動くハエよりも、大物を狙いたくなる気持ちは分からなくもないですよ」


「ガキがいきがったところで、誰も頭を撫でちゃくれねえぜ」


「あなたにれられるくらいなら、家畜小屋で豚と一緒に寝た方がマシです」


「それが担いで連れてってやる、って話を断ったテメェの言い分か?」


 互いに視線も合わせず、空に吸い上げられていく言葉が、ことごとく会話を断ち切っていく。息の合わない戦闘に、足並みの揃わない移動。口を開けばいがみ合いばかりしていては、当然の結果だろう。


 戦い方も雑になっていき、互いをフォローすらしなくなった今。当初組んだ同盟はもはや成立すらしていなかった。


「…すっとろい動きを見てて思ったんだが、よくいままでられたな。こんな場所に堕ちてきたことより、そっちの方がよっぽど不思議でならないぜ」


「愚者は行動し、賢者は思考するからです。体力でばかり物事を考えるような人では、長い道のりを進むことは決して…」


 ゴロツキを諭すように説教し、またいつもの不毛な会話が始まるものとばかり思っていた。しかし言い終える前か否か。突如灰が勢いよくき上がれば、宙に跳んだジンが視界に入ってきた。

 共に砂風呂をしていた手前、その身体能力に改めて驚かされていたものの、彼が振りかざす凶刃がロットに向けられていると知るや、感心も途端に畏怖へと切り替わる。不意打ち同然のやいばは胸をめがけて突き下ろされ、刺さる直前に“炎の壁”を発動すると、火花を散らしながらジンの一撃を食い止めた。


 その様子に彼は動揺する素振りも見せず、身軽な足取りで後退。一方でロットは心臓をバクバク鳴らし、呼吸を乱すまいと精一杯毅然きぜんと振る舞えば、積もった灰を零しながらゆっくり体を起こした。


「とうとう先輩方亡者の仲間入りを果たされたわけですね。とても残念です」


「…テメエを試しただけだ。気にすんな」


「試すって何をです?まさかこの場で仕留めたら、ボクたちが次にどこで復活を果たすか気になった、というわけではないでしょうね」


「口先だけのガキが本当に“選ばれし者”なのかどうかをだよ。今のところ火を振り回してるだけだろ?そのせいで周りの死人どもの方が、よっぽど英雄っぽく見えるんだわ」


 ため息混じりに武器が降ろされると、どうやら本当に敵意はなかったらしい。少なくとも無防備な小僧ではなかった事を知れて、むしろホッとしていたのも束の間。ロットの杖を握り締める音が、否応なく静寂に木霊した。

  

「…ッッボクから言わせれば、あなたのようなチンピラこそ英雄には全く見えませんよ!」


「そいつは同感だ。俺もずっと前からそのことに辟易してる」


「ふんっ、そうやって大人はのらりくらり話題をかわそうとして…そんな事したって、全然カッコよくないんですからね。むしろ問題を意図的に避けているとしか思えませんよ」


「それはこっちのセリフだ。これだから会話の仕方も分かってねえガキは、世間知らずで困るんだよ。その若さで“ココ”に堕とされたのも、どうせすぐにギブアップしたってところ…」


 相も変わらず気怠そうにさえずり、話を終わらせようとしたのか。ジンがくるっと背中を向けた直後だった。火球が彼のすぐ傍を勢いよく通り過ぎ、離れた場所で爆発した。

 爆風や熱気はジンまで優に届いていたが、それよりも腕をかすめた際に、ちりちりと表面をくすぶらせた方が問題だったのだろう。瞳の無い眼窩がんかはギロりと背後を振り返り、杖を構えたロットに狙いを定めた。


「…おい」 


「訂正してください」


 次は無いと言わんばかりに杖先を向けるや、かつてない緊張感が両者の間を漂った。その間もロットは鋭い眼光を放ち、一方のジンは一見して悠然と佇んてはいたが、体の両側から垂らした双剣には、僅かばかりに力が込められていた。


「訂正、って何をだ?」


「先程言ったこと…特に最後に言ったことを撤回してください」


「…ほぉん。つまりアレか?女みてえな見た目したガキが、本当に英雄なのか信じられねえって話を、無かった事にしてもらいてえのか。あ゛んッ?」


 そしてそれが最後の引き金となったのだろう。直後にロットが杖を掲げれば、大きな火球を頭上に出現させた。そこから小さな火の玉が降り注ぎ、続けて地面を叩いた杖の底を中心に、火の輪が徐々に広がっていく。

 地面と空中の両方から押し寄せる波状攻撃に、通常であれば回避は不可能。しかし迫りくる炎にジンは焦ることなく、触れる寸前で鋭利な回転跳びを披露すれば、あっさり弾幕をすり抜けてしまった。


「おいおい。そんなチンケな手品じゃあ、オレをることはできねえぜ」


「……ハエが鳴いたところで、ボクの火からは逃げられませんよ」


 互いに挑発し合うや、再びロットが杖の底で地面を叩く。すると通り過ぎていった炎が再びジンに押し寄せるも、最初と同じように跳んで躱した彼は、まるで時間を巻き戻したかのような光景を繰り広げた。


 その華麗かれいな身のこなしから、否応なく彼の余裕が伝わってくるも、同じ“軽業かるわざ”を2度も披露されて、対策ができないはずもない。すかさず杖先をジンに向ければ、虚空に浮いていた特大の火球が途端に降下し始めた。


「逃げ足の速い相手には、いつだって“挟み撃ち”が1番有効なんですよ」


 前門の火球。後門の炎。徐々に迫ってくる魔術は確実にジンを仕留められる距離まで近付き、今度こそ逃げ場を奪ったはずだった。

 勝利を確信したのも束の間。突然ジンが宙を跳んだ姿勢のまま、干からびた腕を地面へ乱暴に突き立てた。新たな躱し方を披露するのかと思ったが、彼の埋まった拳を中心に勢いよく灰が噴き上がるや、向かっていた炎を全て誘爆された。

 

 思わぬ抵抗に驚かされたのも束の間。舞っていた灰が降り止んだ頃にはジンの姿は消え、咄嗟に取り乱した心をすぐさま落ち着けると同時に、“火蜥蜴ひとかげの尾”を発動させた。


「…同じ手が2度も通じるとは思わないでください」


 杖を握りしめ、奥歯を噛みしめるように呟けば、周囲に鋭く視線を巡らせた。体の側面は見えない炎の壁で守り、ジンの一撃が通る場所は頭上と足元のみ。

 もしも上から襲ってくるなら、空中で逃げ場のない彼に火球を叩き込めばよい。あるいは“前回”のように地中から足を貫かれても、1度覚えた痛みに耐えられる自信がある。刺されると同時に足元へ魔術を放てば、地中でジンを丸焼きにできるだろう。


 あらゆる角度からの奇襲に備え、全神経を一帯に集中させていたものの、一方で荒野にただ1人佇んでいたからか。急速に寒気を感じた気がして、僅かばかりに体を震わせた。

 不気味さすら覚える孤独な環境は、まるで自分が淡いロウソクの火になったような。そんな錯覚が芽生え始めていた矢先に、突如ジンが地中から飛び出してきた。


 それもロットの正面から、堂々と――。


「……っいくら何でも、ボクのことナメすぎじゃないですか!?」


 奇襲に備えていたとはいえ、出現位置はもっとも可能性が低いと考えていた場所。瞬間的に沸騰ふっとうした怒りを魔力ともども杖先に収束させていくが、それでも理性を辛うじて働かせれば、大技をすぐに放つことはしなかった。


 まずはロットがまとう見えない炎の壁で、彼の一撃を弾く。その時にはジンの驚いたミイラ顔を拝みながら、無防備な彼に思いきり魔術を叩き込む。

 数秒先に見えた未来にほくそ笑み、目と鼻の先まで近づく姿を視界に収めていたはずが、ふいに――バザっ!と。灰の塊がロットめがけて投げつけられ、それを“一撃”と炎の壁が判断したらしい。灰は瞬く間に燃え上がり、おかげで汚れる事はなかったが、魔術が解けてしまった今、ロットを守るものは何もない。

 咄嗟に杖を構えたものの、隙間を縫うように振られたジンの蹴りは、無防備な脇腹を的確にとらえた。


「がぅ――…ッ!!」


 速さは重さ。ジンの細長い脚から繰り出された一撃は、ロットの体から嫌な音を響かせる。彼の足先が腹の内側からでもはっきり感じ取れ、深々と刺さった痛みに、吠える間もなかった。

 そのまま人形のように吹き飛んだロットは二転三転。荒野の上を跳ねながら転がり、やがて砂丘の側面に体を叩きつけられて、ようやく静止することができた。


「……かはっ、くふ」  


 知らず知らずのうちに止めていた呼吸を再開するも、ズシリと腹部に圧し掛かる痛みを始め、灰の上を転がった全身がズキズキ悲鳴を上げている。指先1つとして動かせないと思っていたものの、ふいに喉を込み上げた異物に思わず手で口を覆い、生理現象に流されるがまま何度も咳を繰り返した。

 肺の空気をすべて吐き出したのではないかと。そんな錯覚に陥りそうになったが、やがて手をゆっくり口元から離せば、てのひらにはべっとりと血がついていた。


 この世の終わりに落とされ、それからも死を何度も繰り返してきたと言うのに、まだ体に流れる血は赤いらしい。英雄どころか、亡者としても半端ものな自分につい失笑するが、反動でズキンっと体が痛んで、思わず顔をゆがめた。

 それでも嘲笑の方が勝ったのか。口元を緩めたまま、ゆっくり視線を上げてみれば、すぐ近くで佇むジンを物静かに眺めた。


「こほっこほっ…ボクの防御魔法、よく対処できましたね。英雄と呼べるかはともかく、単純な戦闘力だけはやっぱりかないませんよ」


「戦闘中に何度も唱えてんの見てりゃ警戒するに決まってんだろ…んなことより」


 亡者たちの出現を警戒していたのか。周囲を見回していた彼の視線が、仰向けに倒れたロットに戻される。


「さっき言ってた話…ココで死んだら、この場で復活できると思うか?」


「げほっ、ごぼっ……さぁ、試してみない事には分かりませんね…が」


 精一杯の笑みを浮かべてみたが、満身創痍なのは一目瞭然。だからこそジンも油断したのか、ロットのてのひらが砂丘に触れている事に気付かない。

 地面がみるみる赤く灯れば、ようやくジンも異変を察したが、その時にはもはや手遅れ。彼の足元まで広がった光は巨大な火柱となって一帯を包み込み、轟々と立ち昇った炎は、光の柱目的地に負けないほどの輝きを放っていた。

 まるで火竜が咆哮を上げているようにさえ見えた光景も、程なく炎が空へ吸い込まれていけば、暗闇と静寂が一気に吹き込んできた。


 ただでさえ何も無かった荒野は砂丘すら消し飛ばされ、辺鄙へんぴな景色が一層広がったものの、そんな空間へ一石を投じるかの如く、ボフンっ――と。空から降ってきた少年を、灰がやさしく受け止めれば、なすがままにロットを大の字に寝転ばせた。


「くっ…火に耐性があると言っても、流石に無茶をしすぎたかな……そうだ、ジンさ…あいつは消し飛んで…ッ」


 星の無い夜空を眺めていたのも束の間。脳裏に響く警鐘けいしょうが体を無理やり起こそうとするも、突如あごに走った衝撃で後ろに仰け反ると、再び回転しながら灰の上を転がった。

 一瞬意識が飛びかけたが、いま味わったのは確かに蹴られた感触で。


 そして視界にジンの姿を捉えたところで、そのまま全身の力が抜けてしまった。


「……ぐっ、ボクの負け…ですね」


 諦めたように嘆息を吐けば、“慣れた様子”で四肢を広げた。敗者に死に方を選ぶ権利はなく、あとは煮るなり焼くなり好きにすればいい、と。行動に合わせて思考も放棄ほうきし、ゆっくり瞳を閉じた矢先だった。「どぅわぁッ!?」と。牛が潰れるような声がジンから聞こえるや、灰が盛大に宙を舞い、唐突な出来事に思わず体を起こした。

 

 亡者の襲撃か。はたまた敗者ロットを煽るための一環か。いずれにしても目を白黒させ、長いまつげをパチパチと開閉していると、徐々に霧散した灰も落ち着いていく。

 それからロットの瞳に映ったものは、足元で倒れている――もとい、ひれ伏しているジンの姿。そしてその上に積み上がった複数の焼け焦げた死体だった。


 どうやら地中に放った魔術は、埋まっていた亡者たちをも吹き飛ばしていたらしい。空から英雄たちがパラパラと降ってくる異様な光景に、ぽかんと見上げていた時だった。

  

「――なんだ、ちゃんと付いてんじゃねえか」


 おもむろに聞こえたジンの声を追うや、彼の頭は足を開いたロットの、股間近くに突っ込まれていた。あまりにもシュールな光景に思考が僅かに途絶え、そしてようやく我に返るや否や、すぐさま足を閉ざした。


「なっ、どこを見てるんですか!いくら男同士でも、やっていい事と悪い事の区別くらい…ッッ」


「そっちじゃねえよ」


 そこはかとない羞恥心に、体に熱がこもるも、もだえるロットを尻目にジンが冷たく言い放つ。不愛想な物言いについムッとなるが、おかげで冷静になったところで、彼が気怠そうに首で示した先を黙々と辿っていった。

 すると太ももの内側にあった蝶を模る――あるいは4枚の花弁に見える小さなあざが映り、彼の言わんとしていたことをようやく理解できた。


 長い長い亡者生活で、自分ですら忘れていた“英雄の烙印”。そしてジンに視線を戻せば、彼の肩にも同じ紋様が浮かんでいたことに、いまさら気付いた。

 これまでプライドが邪魔をして、可能な限りジンを視界から弾いていたせいもあるとはいえ、それ以上に余裕が無かったからだろう。周囲に転がる焼死体の数々も一瞥いちべつすれば、体に刻まれた同様の印がチラホラと窺える。



 女々しい少年改め、英雄ロット。


 チンピラ野盗改め、英雄ジン。


 互いの認識を無言で改めたところで、ゆっくりジンが立ち上がった。その体はロットの魔法によって炭化していたが、動かす分には問題ないらしい。しばし周囲を見回すや、スッとその場を離れたものの、時間を置かずにすぐ戻ってきた。

 その手にはロットの杖が握られ、爆発の衝撃で共に吹き飛んでいたのだろう。グッと差し出された杖先に恐る恐る手を伸ばすも、思い切って掴み返すと、一気に体を引き起こされた。

 そのまま武器をあっさり手放し、何も言わずにきびすを返したジンは、再び光に向かって進もうとしていた。


「あ…あのッ…さ、先程はすみませんでした。当てるつもりはなかったのですが、思いのほか火球が大きくなってしまって……その」


 いま声をかけなければ、一生言えない気がしたから。咄嗟にジンの背中に話しかけたまでは良かったが、最後の方はしどろもどろになってしまって、彼に聞こえたかどうかも分からない。

 チラッと“最初の一撃”を掠めた片腕を見るも、全身が炭化した今となっては、いまさら謝るのもお門違いだったろう。しかし何を思ったのか。ふいにジンが再びロットの元へ戻ってくると、身構える暇も与えられなかった。

 そのまま頭を乱暴に掴まれるや、勢いよく髪をかき乱していった彼は、やはり何も言わずに去っていく。それが撫でられていたことに気付くのに少し時間はかかったが、ボサボサにされた髪を直しながら、キッと顔を上げた時にはすでに彼が歩きだしたあと。


 だがその背中は遠ざかることなく、まだまだ小走りで追いかければ、子供でも余裕で追いつける距離。ゆっくり進むジンの背中を呆然と見つめるも、ハッと我に返れば慌てて後ろを追いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る