英雄堕ち

第6話 英雄対決

　男の乱れていた長い黒髪が、おもむろに激しく揺れた。左右に動いたかと思えば、突然ロットに向かって振り下ろされ、それと同時に刃物が宙を切るような、鋭い風の唸り声が聞こえてきた。

　驚きに目を見開いていたのも束の間。男は素早くロットから離れるも、無造作に振られた短剣が、途端に火花を散らしていく。

　続けて剣戟（けんげき）の音が暗闇で響き、敵は漆黒の奥へと姿を消したが、代わりに現れた揺らめく人影に視線を移せば、そこに立っていたのは不自然な程やせ細った、枯れ木のような人物だった。

　風が吹けばへし折れてしまいそうな長身の両脇からは、同じく痩（や）せた両手から下げられる、２本の剣が携えられ、その体に似てすらりと湾曲した剣の形にはどこか見覚えがあった。

「この程度でギブアップたぁ、相変わらず根性のねぇ英雄様だなぁ、おい」

　続けて鼻で笑い、人を小バカにしたような声音が掛（か）けられる。それから軽く振り返り、落ち窪んだ眼窩（がんか）を赤く灯した“見知った顔”は、怪訝そうに視線を投げてきた。

「……魔術師に接近戦をこなせなんて、あなたは鬼ですか？そのために同盟まで結んだと言うのに…遅いんですよ」

　連戦に次ぐ連戦で、体はすでに疲労困憊（ひろうこんぱい）な状態。それでも彼に――ジンにそれ以上言葉をかけられてたまるかと、無理やり自分の足で立ち上がった。

　その間も浮かぶ「なぜ」。そして「どうやって」。彼に尋ねたい質問はいくらでもあったが、物事の優先順位を忘れるほど、平和ボケしたわけではない。

　杖で体を支え、敵が２人に増えたことで相手が警戒しているうちに、全身に力を漲らせていくイメージを頭に思い浮かべる。指先を何度もぎゅっぎゅっと握っては開き、深い呼吸を何度も繰り返す。

「すぅー…はぁー……相手は武器である短剣を触媒（しょくばい）に、雷（かみなり）の性質をもつ魔術を使用します。素早さも恐らくあなたと同等か、それ以上でしょう」

　最後に気持ちを落ち着けるため、淡々と情報をジンに伝えていく。ほかに渡せる知識はないか思考を巡らせるが、ふいに彼が１歩横にズレると、それまでジンの背中で隠されていた相手の姿がロットの目に映る。

　片手には相変わらず短剣が握られていたものの、もう片方の手には剣の形をした雷（いかずち）が収まっていた。

　ロットから離れた際に取り出したのか。それともジンの背中で、姿が見えないうちに生成したのかは分からない。

　獲物を２つに増やしたのも、敵が２人になったからか。あるいは双剣を持つジンを真似たのかも分からない。

　ただ１つ理解しているのは、敵と自分の味方。その２つがハッキリしていることだけだった。

「やれるか」

「えぇ、お待たせしました」

　フーっと最後に一呼吸おけば、ぶっきらぼうな言葉を合図に、ギュッと杖を握り直す。敵の荒い息遣いが再び耳に届くようになり、ジンよりも確実に人間寄りの姿をしているとはいえ、もはや会話ができる相手ではない事は、その様相から十分判断できたからだろう。

　微かに浮かべていた笑みを潜めれば、すぐさま臨戦態勢に入った刹那。左手に握られていた雷（いかずち）が地面に叩きつけられるや、次の瞬間には敵がロットの眼前に現れていた。

　威力の衝撃を利用して飛んできたのか。瞬（まばた）きをする暇も、驚いて仰け反る時間も無かった。武器を振り上げた敵の動きに反応する間もなかったが、咄嗟に下がっていたジンが蹴りを敵に見舞えば、ロットの前髪を雷（いかずち）の切っ先が掠めた。

　焦げ臭い香りが鼻腔に一瞬漂うも、横に吹き飛んでいく敵へ、即座に意識を向けたと同時だったろう。

「『ファイアダーツ』！！」

　杖で相手に狙いを定めれば、小さな炎が流星の如く飛んでいく。速さだけを追求した一撃は、傍目にも威力が伴っているとは言えず、だからこそジンが訝し気にロットを一瞥してきたのも理解できた。

　現に相手は宙に浮きながらも体を捻り、辛うじて掠めた炎弾は、そのまま通り過ぎて虚空に消えてしまう。

　繰り出さない方がマシだったとも思える有様に、しかしロットの笑みまで消えることはない。

「ふふっ、“捉えました”よ」

　ロットの意味深な発言に、ますますジンは顔をしかめるが、彼でさえ見逃した、標的の脇腹で燻（くすぶ）る一筋の火傷痕。その光景にやはり笑みが止まらず、両手で杖を高々と掲げた。

「さっきのお返しですっっ！！」

　声を張り上げ、これ見よがしとばかりに杖を頭上で回転させれば、火の輪がすぐさま形成される。そこから溢れた火の粉も徐々に大きくなり、やがて弾かれた炎の球が、着地先を探すように次々敵へ向かっていく。

　一斉に降り掛かってくる魔術を、男はいとも容易（たやす）く連続で回避。軽々と横に跳ねて躱していくが、通り過ぎた火の粉の群れは、直角に折れ曲がって敵に再び襲いかかった。

　血色（ちいろ）の瞳はギロリと炎を睨みつけ、雷（いかずち）を纏った短剣が一振りされると、あっという間にロットの魔法は消し飛ばされる。

　しかしそれは“第一陣”が消滅したにすぎず、その次の炎の球が。そしてそのあとも炎の球が、まるで狼の群れが如く敵を襲い続け、その度に雷（かみなり）の一閃が一帯を凶悪に照らしていく。

　ロットが杖を回す限り、放たれた魔法は延々相手を追跡し、赤と黄色い光が交互に地下を染めていたからだろう。忙しない明かりの応戦に、ふと敵が気付いた時にはもはや手遅れ。その眼（まなこ）に映らない、もう１つの人影（ジン）を追って顔が左右に振られた時、男の背後に再び現れた死神が、歪な刃を獣の牙が如く構えていた。

　乱れた長い髪も相まって、視界が余計に塞がれているのか。終ぞジンを視界に捉えることはなかったはずが、突如敵は体を捻（ひね）るように飛び上がり、挟み撃ちの状況から一瞬にして逃れた。

　仕返しとばかりに短剣も振るわれ、複数の雷（いかずち）が蛇のように襲ってくれば、ロットたちも後退せざるを得ない。

　とは言っても、ジンが華麗に躱す様を真似ることはできないからだろう。ロットは杖を振ることで炎を撒き散らし、追撃の落雷を強引に相殺するほかなかった。

「…仕留め損なうなんて、ジンさんらしくありませんね。まったく」

　短くも激しい攻防の末、やっと一息ついたロットの隣に、ジンもまた着地する。馴染みある光景と、不覚にも込み上げた安心感に無理やり顔をしかめれば、出てきた言葉は相応の皮肉だけ。

　いまだに低い唸り声を発している敵から視線から逸らせば、相も変わらず干からびた顔をした彼は、不機嫌そうに睨み返してきた。

「刃先が触れた瞬間に、体をよじって躱しやがったんだよ。どんだけ繊細（せんさい　）な肌してやがんだ」

「ジンさんと違ってミイラ化してないからじゃないですか？あるいは彼が行使する魔術と何か関係があるのかもしれませんが……それにしても合流まで随分（ずいぶん）と時間がかかりましたね。スピード自慢が聞いて呆れますよ」

「自慢した覚えはねえ…それよかテメェ、こんな所まで落ちてきやがって。挙句に殺されかけたとあっちゃ、下手すりゃこっちが今度は待つ羽目になってたんだぜ」

「あの程度で追い詰められていたように見えたのなら、悪い冗談ですね…お礼は言いませんよ」

「んなもん期待するような場所でもねえだろ」

「ふふっ、まったくもって同感です」

　互いに注意を敵に戻しつつ、口角を上げたロットが、片手を何度も開閉する。痺れていた腕も回復し、すでに２対１の構図も出来上がっている。

　それでも相手が身を引かないのは、亡者ゆえに後退のネジが外れているのか。

　それとも負けない自信があるのか、そのどちらかだろう。

　いずれにしても彼を倒さねば、地下水道から脱出する方法はない。次の手を披露すべく、数々の呪文が脳裏をよぎっていた矢先。再び敵が短剣に電流を帯びさせるや、放り上げるように腕を頭上に掲げた。

　纏っていた雷（いかづち）は天井に向かい、そこへ辿り着く前に爆発四散。弾けるように無数の落雷がロットたちに降り注いだ。

　咄嗟に杖を振って、炎のカーテンを頭上に展開するが、稲妻（いなずま）の乱れ撃ちにたちまち障壁は決壊。直後にジンの脇に抱えられ、一気に背後へ後退した。

　それまで立っていた地面には次々稲妻（いなずま）が刺さり、いかなる生物も黒焦げにするだろう、恐ろしい程の威力と轟音を目の当たりにしたのも束の間。今度はロットが宙に放られ、それと同時に接近していた敵が、ジンと剣を交えていた。

　そのまま近距離で睨み合っていたのも数秒だけ。すぐに激しい攻防が始まり、火花が２人の間で散るのを目撃するも、一方でロットは、その間も宙に浮いていたままだった。

　まるでゆっくり下降しているように感じるのは、ジンたちが恐ろしく速いからにほかならないだろう。

　速度では２人に敵わないことは、火を見るよりも明らか。かつて同じ英雄の立場にいたとは言え、ここまで土俵が違うと、少なからずプライドが傷ついてくる。

　ギリッと奥歯を噛みしめるも、今は戦闘の真っただ中。くだらないプライドを拭い去れば、すぐさま自分が放られた位置が、敵を挟むように投げられていたことに気付かされる。

　抜け目のない“仲間”の手際に笑みを浮かべかけるも、程なく杖を構えると、杖先に炎で模ったボーガンを作り出す。

　ジンを巻き込まず、かつ最速最大限のダメージを与えるべく、狙いを定めて炎の矢を発射。矢はぐんぐん敵に近づき、迫りくる魔術に反応したジンも、敵に当たるよう

位置調整までしてくれている。

　そのまま飛んでいけば、心臓を１発で射抜けたろうが、矢先が刺さったか刺さってないか。そのどちらともとれない瞬間に、敵は一瞬で姿を消していた。

　ロットが驚いている暇も無く、気付けばジンもその場にいない。２人の姿を慌てて探すも、それと同時に頭。それから肩にかけて痛みが走り、宙に浮いていた体が、遅れて地面にゴツンっと鈍い音を立てながら倒れ込む。

　ヒリヒリ痛む頭を涙交じりに擦るも、耳に届いた剣戟（けんげき）にハッと顔を上げるや、眩い光が突如視線の先を覆った。

　轟音も相まって思わず腕で目を塞ぐも、ふいに浮遊感を覚えた次の瞬間には、ぺしょりと地面に落とされた。心の準備をする間もなく、猫のように床へ這いつくばる羽目になったが、ロットを風の勢いで連れ去れる人物など分かり切っている。

　横に立っていたジンをキッと睨みつけたが、彼の落ち窪んだ瞳と視線が合うことはない。

「技の出（で）が速いことは認めてやる。だが“発射音”に反応した奴は、体の軸をズラして致命傷を避けやがった…もっと静かにできなかったのか？」

「呪文は総じて音を立てるものなんですよ。文句を言わないでください。それに今“致命傷を避けた”と言いましたよね。当たるには当たったと解釈します」

「……確かに矢は刺さったぜ。腹を貫いたうえに体も燃え始めたが…追った先で急にバリバリ雷（かみなり）を出してきやがったせいで、俺ごと火が弾き飛ばされた」

　片手の剣を肩に担ぎ、気怠そうにジンが状況を報告していたのも束の間。ロットの横っ腹を無言で蹴りとばすや、背後に飛びずさった彼を追うように、敵が目の前を走りすぎていった。

　痛みに顔をゆがめている間も、必死に目を凝らせば、燃えて髪が短くなったろう相手の新たな髪型。そして短剣に帯びた雷（いかずち）が、先端と柄の双方から伸びて、槍のような形状をしていたのを視界に捉えた。

「痛っ…ふぅ、妬ましいほどの機動力と魔術の豊富さですが、堕ちるところまで堕ちた怪物に負けるほど、落ちぶれたつもりはありませんよ」

　脇腹を擦りながら立ち上がれば、床を突いた杖がボッッと炎を灯す。それから一帯を隈（くま）なく見回すと、視界の端で幽霊のような影が、火花を散らしているのが見えた。

　“長年の経験”があるとはいえ、あまりにも恐ろしい速さに、残像を目で追うのが精いっぱい。それでも本能が杖を掲げさせ、次々呪文を詠唱させた。

　炎に雷撃。剣戟の激しい音鳴り。地上から遥かに離れた空間で、戦場さながらの光景が繰り広げられ、衝撃で柱も何本と砕けていく。

　２対１の構図ではあったが、２人分早く動ければ、何ということはないのか。元の速さに加えて、時折雷（かみなり）で宙や地面。そして壁に魔術を叩きつけるや、瞬間的に加速して致命の一撃を躱される。

　おまけに敵はジンにだけでなく、ふとした隙に注意をロットに向ければ、それまでの戦術も一変。遠距離呪文も接近戦へと切り替え、防戦一方となる魔術師の仲間を援護すべく、ジンがすかさず挟撃を狙う。

　所詮相手は１人。そしてこちらは敵にも引けを取らない戦闘経験を積み、かつ互いに元英雄であった身。単純な足し算で言えば、明らかにロットたちに軍配が上がるはずだった。

　ところが雷（かみなり）の性質を持った敵の神速。加えて豊富な魔術の数々や、“接近戦に特化した魔法使い”の立ち回りから、一向に勝敗がつかない。周囲に積みあがっていた死体も、魔術の応酬でとっくに消し炭となり、代わりに柱の瓦礫ばかりが床を埋めていく。

　２対１の戦闘において、いまだ敵を仕留められないのも、単純な実力差では相手の方が上であることを示唆しているのだろう。

　しかし“我慢比べ”ならば、ロットもジンも、各々どちらも負けてはいない。

　この世界に屈して、狂気に囚われた敵に遅れをとるつもりもなく、その心構えがやがて結果に表れたのか。それまで放たれていた雷（かみなり）も、徐々に使用頻度が減り、魔力が尽きかけているのかもしれない。

　疲労も蓄積しているのか、動きも初めの頃に比べれば、格段にぎこちなくなっている。心の強さだけにあらず、ようやく２対１の数的有利が効力を発揮し始め、単純な持久戦ならばこちらにも分がある。

　あとはジンとロット。どちらが先に敵を仕留めるか競争になっていたかもしれないが、ふいに相手を挟み込むように２人で位置についた時。それまで翳（かげ）りを見せていた魔術が突如敵の周囲で渦巻き、ぐるぐる回っていた稲妻が矢のように、ロットたちへ向かって次々飛んでくる。

「くっッッ……猫でも被ってたんですか！？まったくもぅッ」

　終わりに近づいていたつもりが、まだまだ敵には反撃の意思があるらしい。軽やかに躱（かわ）すジンを尻目に、杖から出す炎で強引に魔術を打ち消していく。

　しばらくの間は一人相撲を強いられていたが、やがて一帯を静けさが満たした頃だろう。火炎の残滓が宙を舞い、パパッと杖先で振り払ったものの、眼前にいたはずの敵がどこにも見当たらない。

　まるで煙になって消えたような状況に、慌てて周囲を見回した刹那。

「…おい」

　代わりに視界へ入ったジンのぶっきらぼうな声に、まずは彼を。それからその落ち窪（くぼ）んだ眼窩（がんか）が向けられた先を辿れば、自然と視線は天井にぶち当たった。

　地底に落ちてから特に注意は払ってこなかったが、今や頭上高くには“暗雲”が立ち込め、荒野の世界にいるとはいえ、現実ではありえない事象に思わず眉をひそめる。

　もっとも超常現象自体に疑問符を浮かべたわけではない。暗雲からごろごろと響く雷鳴から、敵の魔術であることは一目瞭然。ただ気になることがあるとすれば、ジンが天井を凝視し続けていたこと。

　周囲に転がる柱の残骸や、燃え盛る死体の山。隠れられるところはいくらでもあるのに、それらへ目をくれる様子が一切なかった。

「……あの亡者は雲の中、ということですか？」

「光ったかと思えば、雷になって上に吸い込まれていきやがった」

　躱すことに必死だったロットに比べ、あの状況でもしっかり敵の姿を追えていたらしい。彼の戦闘力に嫉妬すら覚えそうだったが、無いものねだりをしている時間も、ましてや視線を逸らしている場合でもなかった。

　暗雲の表面にびりびり電気が走るや、眩い光と共に雷（かみなり）が落下。咄嗟に背後へ飛びずさって躱したが、落雷は１発だけに留まらず、２発３発。この世の終わりとも思える光景が瞬時に広がり、挙句に直撃先を基点に、電流の波紋が周囲を浸食していく。

　どことなく覚える呪文の既視感に、思わず苦虫を噛み潰すも、ロットの機動力では躱すことができない。何十発と喰らう覚悟をした直後、ふいに体が“風”にさらわれた。

　やはり覚えのある強引な“救出劇”に、いまさら声を荒げるつもりもない。ジンの脇に抱えられたまま、目まぐるしい速度で世界が過ぎ去っていく間も、ロットの視線は天井にばかり向けられていた。

「魔術の行使が減ったかと思ったら……魔力が枯渇したわけではなくて、特大魔術を放つために上空で蓄積していたんですね。獣染みた理性しか残ってないくせに、ずいぶんと多彩な英雄様ですよ、まったく」

「賞賛（しょうさん）する暇があったら勧誘したらどうだ。そうすりゃ戦闘もいますぐ終わるだろ」

「どう見ても会話できる相手じゃないですよ。ところでジンさんはア（・）レ（・）を仕留める算段をお持ちで？いくら素早くても、あんな高所ではその剣も届かないでしょう？」

「あったらテメェを担ぐ前にやってる。雷（かみなり）喰らう覚悟で突っ立てた奴にガタガタ言われる筋合いはねぇ……案は」

「ふふっ、腐っても英雄の端くれです。舐めないでくださいよ」

　クスッと笑うロットを一瞥（いちべつ）したジンも、すぐさま傍に落ちた雷（かみなり）を躱して、立て続けに降り注ぐ落雷をひらひら避けていく。

　短い会話のなかで答えを得たわけでもないのに、それでも彼がそれ以降口を開くことはせず、敵の魔術にのみ意識を割いていた。脇に抱えたロットが何をするのであれ、恐らく集中を要すると判断したのだろう。言葉を交わさずとも意図をくみ取れる、それだけ肩を並べて戦い抜いてきた実績が、２人の間にはあった。

「…とは言っても、１発でも喰らえば２人揃ってお陀仏だぜ。あとどれくらいかかる」

「準備が出来たらお教えしますよ。文句を言っている暇があるのなら、その分の余力を回避に専念して…っ」　

　思いのほか続かなかった沈黙を破り、危うく呪文をそっちのけで、ジンに噛みつこうとした矢先。突如ジンが躱した落雷の中から敵が現れ、咄嗟に反応した彼は、素早く剣を横に薙（な）いだ。

　しかし次の瞬間には敵も姿を消し、その刃先は宙を空振る。さらに背後で落雷が起きれば、再び光の中から敵が短剣を振りかぶろうとしていた。

「ね…『ネイルバイト！！』」

　ジンが振り返っている暇もない。直ちにロットが腕を伸ばせば、勢いよく宙を指先でひっかいた。まるで猫が威嚇するような一撃は、もちろん敵に届くはずもなく、それでも空中に浮かぶ“炎の爪痕”が、一瞬相手の注意を引いた。

　そして次の瞬間には爆発炎上。僅かに硬直した敵と違い、すぐさま飛び退いたジンによって、ロットともども巻き込まれずに済んだが、今の一撃が果たして当たったのかどうか。それとも怯んだだけなのかは、宙で燻（くすぶ）る爆煙のせいで判別することができない。

　だからこそ意見を求めるべく、思わず顔を上げ、それに反応したジンが、視線をロットに向けた時だった。突如２人の間へ割って入るように、眼前へ落雷が直撃。反応に遅れたジンがよろけるも、光の中から現れた敵は前面が黒焦げていた。

　より醜悪になった姿によって、思わぬ形で答えを得られたものの、今はあまりにも態勢が悪すぎる。雷（かみなり）を帯びた短剣が振られ、バランスを崩した状態でも強引にジンが体を捻（ひね）れば、剣の軌道を追うように落雷が直線に降り注ぐ。

　魔術の威力に驚かされる一方で、ジンの回避術に感心していたのも束の間。敵は上空へ吸い込まれていくことなく、２撃目を振りかぶる動作に入っていた。

　どうあがいても直撃は免れないジンの姿勢に、せめてもの抵抗とばかりに杖を突き出し、少しでも勢いを削ごうと試みた。

　仲間を守ろうとする意思も、しかし相手の速さを前にしては無意味。無常にも剣は振り下ろされたものの、素早い一撃を受け止めたのは、ジンの体ではない。片足を上げ、悠々と一閃を防いだ彼の行動に驚いたのは、敵だけではなかったのは言うまでもないだろう。

　その隙にジンが刃を振り上げ、相手の腕を掠めたところで、光となった敵は再び雲の中へ消えていった。

「……今の、装備をつけているわけでもないですし、ミイラの体だから足が硬い、というわけでもないですよね？それなら他の亡者たち（先輩方）も容易く切り裂けるはず無いですから…この期に及んで隠し玉ですか？」

「呪文とやらはまだ時間がいるのか」

　眉を顰（ひそ）めるロットに対し、彼はやはりと言うべきか。相変わらずぶっきらぼうに答えるだけで、その視線は雲にずっと向けられている。一瞬だけムッとなったが、確かに落雷の中を高速移動する敵を相手にしている今、余計な会話を挟んでいる時間もないだろう。

　何よりも斬りつけられ、かつ片足で防がれたことに動揺しているのか。敵からの攻勢が打って変わって無くなった今こそが、反撃をするまたとないチャンス。

「…気乗りはしませんが、せいぜい歯を食いしばってくださいね」

　溜息まじりに杖を構えれば、ようやく彼の視線が刺さったのを感じたが、意識はすでに自身の魔術へと移っていた。

　自分の中にあるもの全てを杖に、そして世界へ広げるイメージを浮かべる。本来であればココで“調節”を行なう、大事な工程を挟む必要があるものの、急ぐよう催促されては仕方がない。

「赤い猛りと共に空へ羽ばたけ…『プロメテウス』っっ！！」

　呟きに近い詠唱から一変。途端に大声で呪文を唱えるや、赤く光った杖から、炎の塊が雲の中へ飛んでいく。一見して小石を泉に放るような光景ではあったが、その認識もあながち間違いではなかったろう。

　どんな小石であっても、必ず水面に波紋を起こすように。飲み込まれた炎の侵入口を基点に、突如爆炎が広がったかと思えば、天井を覆っていた暗雲は、まるで太陽がくしゃみをしたように赤く燃え滾（たぎ）っていた。

　この世の終わりと見紛う様相に、つい茫然と上空を見上げていたのも束の間。

「ジンさん、備えてください」

　脇に抱えていたロットがぽつりと呟くや、その意味を問う前に炎が地上に押し寄せ、やがて地底すべてが業火に満たされていった。