六 夢中の舞

 斯波義銀、沓掛城に入る。

 太田又助は急ぎ書状をしたため、清州にいる織田信長へと報じた。

「義元の言辞、弟である河内の目、輿の紋……」

 信長はその書状を懐中に入れると、「舞う」と言って、寝所を出た。

 濃姫もでて、その美しい裸体の上に、うすもの一枚のみ、まとった。

あつもりよ。濃、つづみを」

「……あい」

 清州城、城主の間。

 信長と濃姫の二人だけ。

 

 人間五十年

 下天のうちを比ぶれば

 夢幻の如くなり

 一度生を享け

 滅せぬもののあるべきか


 朗々たる信長の声。

 切々たる濃姫の鼓。

 二人とも、互いに言葉は交わさない。

 二人とも、互いに目線を交わさない。

 それでも、通じるものがあった。

 ……ひとしの舞が終わり、濃姫は下がった。


たれかある」

 信長の声に、諸将が集まる。

 敦盛は、「よ」という符丁だった。

「これを見よ」

 信長は、又助が寄越した書状を広げた。

 一同、食い入るように見る。

輿こしが来た」

 信長は、それだけを言った。

 一同、しんと静まり返る中、信長は「輿の上の敵を討て」と述べた。

「し、しかし」

「何だ、小平太」

 服部小平太が、息をひそめながらも、他の同輩たちの目線を受けて、語った。

「何ゆえに斯波義銀を」

「……そうであった」

 信長はひとりうなずいて、かつて、政綱に語った策を開陳した。


「以上により、輿の上の敵を討てば、今川は腰砕けとなる」

 信長の策に、誰一人反論する者はいなかった。

 斯波義銀を討てば、今川は尾張支配の名目を失う。

 その策は、ある種の安心感を信長の家臣たちに与えた。

 今川義元は、音に聞こえた海道一の弓取りであり、先代・信秀の頃から何度も苦杯を呑まされている。

 だが、斯波義銀ならば。

 傀儡として織田信友にいただかれ、やはり織田信長にも傀儡として戴かれた男。

 威張り腐るしか、能のない男。

 それが、織田家中における、斯波義銀の評価だった。

 ……こんな話がある。

 信長が、三河の吉良きら氏との和睦を進めるため、斯波氏の斯波義銀を前面に押し出して、上野原という地にて、吉良氏の吉良きらよしあきと義銀の面会を設定した。

 ところが吉良氏も斯波氏も足利幕府の名門同士、当然ながら義昭も義銀も自分が上と譲らず、互いに軍勢を率いて現れ、そして一町ほど離れた地点に陣を構え、そして面会をと言われても、ただ十歩のみ進み出て、文字通り面を通しただけで終わった。

「名門の出ということが、それほど大事か」

 呆れ果てた信長は、義銀の放逐を決意したという。

 つまり、それだけ格式張ることしかできない人間で、信長を始めとする織田家の者ならば、これを討つことはやすいこととの自負がある。

「これが義元なら別だが、義銀ならば」

 小平太が気勢を上げる。

「むしろ、義元を討つつもりで行け」

 これは信長の台詞である。

 恐縮恐縮といって、小平太は頭を下げ、一同は笑い出した。

 いい雰囲気だ、と信長は満足し、出陣を命じた。

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