五 落馬の将

 簗田政綱は「お屋形さまッ」と呼ばれた人物を見た。

「馬上……」

 白馬にまたがる壮年の武者で、馬術は不得手らしく、その白馬から振り落とされそうにしていた。

「これッ、これッ」

 甲高い声を上げる武者。

 しかし、この武者がお屋形だということは。

「斯波ではなく、今川?」

 そうこうするうちに、城内から三つ葉葵の紋所の兜をかぶった若武者が現れ、「どうどう」と白馬を制した。

 だが白馬は、思い切り立ち上がった。

「義元さまッ」

 これで判った。

 あれは今川義元だ。

 落馬した義元は、三つ葉葵の若武者に「大事ない、大事ない」と言って、若武者の肩を借りて立ち上がった。

「拙者の不手際でござる」

「なんの」

 どうやら三つ葉葵は、松平元康らしい。

 義元は痛みをこらえながらも、その元康を睨む近侍らに言った。

らぬ気遣きづかいはせ。元康に無理なものは、誰にも、無理よ」

 近侍らは黙って頭を下げた。

 とんだ騒動だ。

 誰もがそう思っていたところを、その声が響いた。

「これはこれは……海道一の弓取りも、かたしじゃのう、義元どの」

「醜態を。お見苦しきは、許されよ」

 あの今川義元がそんな言辞を。

 元康も、はたから見ていた政綱ですらも、その冷気に怖気おぞけを震った。

 だがその義元を「形無し」呼ばわりした当人は、平然と言い放った。

「……じゃから、予のように、輿に乗ればいいものを」

「そうじゃな……斯波どの」

 斯波義銀。

 ついに。

 政綱が、信長が追い求めた獲物が、沓掛の城に現れた。

 ……輿に乗って。


 泥中の政綱が合図するまでもなく、小屋の中の又助は、扉を少し開けた。

 そのすき間から覗くだけでない。

 それは、小屋の外にいる木綿への合図となる。

 近くにいた馬借仲間にふみを預けて戻って来た木綿は「おお、もよおして来た」と言って、ふんどしをいじりながら、小屋の陰の茂みへと入って行った。

 傍から見たら、立ち小便でもするという雰囲気である。


「来ました」

 茂みに潜んでいた毛利河内と新介は、それを聞いてそっと茂みのきわにまで迫った。

 河内と新介は、ともに筋骨たくましい男である。

 農民に扮するには、あまりにも「らしくない」立ち姿ゆえ、小屋におらず、木立の奥にて控え、猟師を装うことにした。

「……だけではない、たまに茂みの向こう側にて、見てくれ」

 とは、政綱の台詞である。

 彼は複数の視点による監視を旨として、今まで素波すっぱをこなして来たので、そのような配慮をした。

「如何」

 これは木綿の目線である。

 河内は片手を目のひさしにして、じっと見つめた。

「兄である」

 河内は歯噛みしながら答えた。彼は斯波義統の庶子である。そして、嫡子である義銀は、庶子の河内を侮っていた。

 隣に立つ新介は「それだけか」と聞く。

「輿の紋が足利二つ引。間違いない」

 新介も河内も、腕に覚えある武士だけあって、さすがに目の付け所が鋭い。きちんと証を立ててくる。

 木綿は舌を巻きながら、河内たちから離れた。

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