第2話
カフェの外に出ると、もう暗くなっていた。すでに三時間が経過したことになる。あっという間だった。
八月の初めで、夜になっても、外はまだ暑い。
「ムワッとするね」
思ったままを口にする。
リョウくんは、なにか言いたそうにして、「そうだね」とだけ言った。
どちらともなく、駅のほうへ歩き出した。カフェが駅から少し遠くてよかったと、心から思う。少しでも長く、リョウくんといたかった。
Tシャツから出ているリョウくんの腕が、私の腕に少し当たる。
パチッ。
電気が通ったみたいな、軽い衝撃を受けた。
ずっと、触れたかった、リョウくんと。
二人の距離が近いから、ふとした拍子に腕が当たる。触れて、離れて、触れて、離れて。接続の悪い電気のコードみたいに、繋がったり切れたりする。
一緒に歩いているだけで、こんなに腕が当たったりするものだろうか。私が近づき過ぎているのかもしれない。無意識に。リョウくんと繋がっていたくて。
少し距離を取ろうと離れたとたん、リョウくんに手をつかまれた。長い指がするり
と手のひらに差し込まれて、私とリョウくんは手をつないだ。
うわあ、と頭の中で叫んでしまった。
うわあ。うわあ。
心臓の音が、繋いだ手から聞こえるんじゃないかってくらい、ドキドキする。
リョウくんの歩き方や表情も、急にぎこちなくなって、緊張しているのがわかった。
リョウくんの手に力がこもる。私の手が痛くならないように。でもしっかりと手を繋ぎなおした。
私が十七歳のときに他界した母は、「お父さんとは、運命の赤い糸で結ばれていたのよ」なんてセリフを、照れもせずに言うような人だった。
リョウくんに出会ったとき、私も同じように思った。初めて一緒に寝たとき、やっと繋がったという感動を覚えた。私とリョウくんは、もともと二人で一つだったんだと。
日本語が全く話せなかった父と、ブロークンな英語しか話せなかった母が、両方の親の反対を押し切って結婚した理由が、あのときわかった気がした。
二人の手が熱を帯びて、汗ばんでいる。
今「抱いて」と言えば、抱いてくれるかもしれない。言葉で伝えなくても、こっちからキスしたらそうなるだろう。そういうことが、手の感触でわかる。昔みたいに、もっとちゃんと繋がれたらなぁ、と二人とも思ってるのが伝わってくる。
リョウくんは、普段の態度からは想像できないくらい、ベッドで情熱的だった。彼がどんなふうに私を抱いたか、思い出すだけで、体の奥の部分に熱い感覚が走る。
「リョウくん、今、付き合ってる人とかいるの?」
私の質問に、リョウくんは少し間を置いてから「ううん」と言った。
「真衣は?」
「いるよ」
リョウくんが、立ち止まる。手に込められてた力が心なし抜けた。
「来年、その人と結婚するの」
リョウくんの手から、完全に力が抜けてしまったので、手を離した。
プツン。
電気が切れるみたいに、なにかが切れた。
リョウくんの顔には、たくさんの疑問符がついている。リョウくんにちゃんと話そう。そう思うのだけど、言葉がなかなか出てこない。
ブーン。ブーン。
スマホが震える。恋人のオスカーからかもしれない。人の少ない夜道に、スマホの振動音がひびく。ポケットの中のスマホを握ったまま、泣きたい気持ちで電話が切れるまで待った。
「ごめんね」と言おうとして、口を「ご」の字に開けたところで、
「花火しない?」
とリョウくんが言った。
唐突な提案に面食らって、さらに三秒くらい何も言えなかったのだけど、
「うん。花火しよう」
と答えた。よくわからないけど、ものすごくすてきな提案だと思った。
近くのコンビニに行ったら、花火セットが置いてあった。リョウくんが買ってくれて、二人で歩いて公園に行く。
花火セットから、棒状の花火をランダムに取り出すと、コンビニで一緒に買ったライターで火を付けた。ぼぼぼ、パチパチと花火が燃え尽きるのを、二人でながめる。
「きれいだね」
状況が可笑しくて、少し笑ってしまった。リョウくんも笑った。花火は、すぐに消えてしまう。
二本目は、二人とも線香花火にした。パチパチ、パチパチ。やや不規則に火花が散る。
「ねえ、なんで僕と会うことにしたの」
リョウくんが持っていた線香花火の先で、オレンジ色の玉が徐々にふくらんで、ぽとんと落ちた。
「謝ろうと思って」
私が持っていた線香花火も、ぽとん、と燃え尽きた。リョウくんは、私が次に何か言うのを黙って待っている。花火をしていると、会話が途切れても焦らずにすんだ。
「リョウくんとの結婚に失敗しちゃって。なんかいろいろ、申し訳なかったなって、ずっと引っかかってたの」
リョウくんは、私の顔をちらっと見てから、三本目の花火を出して、火を付けた。シュパパパ、と黄色い火花が散る。火花がどんどん、リョウくんの手元まで近づいて行く様を、無言で見つめた。
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