第23話 梅雨

 隣の席の小鳥遊さんと僕は、運命の赤い糸で結ばれているらしい。

 そしてそれは時々、僕たちを繋いでくれる。


 今日も授業終わりのチャイムが鳴り響く。


「鈴原、帰らないの?」


 席で本を読んでいる僕を見て、小鳥遊さんが声を掛けてくる。

 ここ最近では、こうして小鳥遊さんに声を掛けられることも増えた。

 普段から話していると目立つから、話せるタイミングは限られるけれど。

 小鳥遊さんから声を掛けてもらえるのは、何だか嬉しい。


「今日は図書委員なんだ」


「そっか」


 僕はふと気になり、彼女の手元を指さした。


「小鳥遊さんこそ、傘、持ってきてないの? 今日は雨って予報だったけど」


「あー……今日、雨かぁ」


 小鳥遊さんはそっとため息をつく。


 季節は六月。

 すっかり本格的な梅雨入りを果たし、今日あたりから本格化するらしい。

 窓から見える空の様子も、何だか不穏な気配に満ちていた。


「ちょっと早めに帰るようにしようかな。じゃね、委員会頑張って」


「ありがとう。じゃあまた明日」


 教室から出ていく小鳥遊さんを見送る。

 その小指には、いつもの赤い糸が繋がっていた。


 何気なくその糸を眺め、やがて立ち上がる。


「図書室、行こう」


 いつもの放課後、誰もいない図書室。


 ただ、室内を満たす大量の本と、その中に鎮座する僕だけが存在していた。

 窓の外から聞こえる部活動の声を耳にしながら静かな室内で本を読む。

 まるで、ここだけが世界から隔絶されたようにも思えた。


 ふと、ポツリと窓を打つ音が小さくした。

 見ると、雨粒が窓に張り付いている。


「雨だ」


 その声が呼び水になったかのように、一粒、また一粒と雨粒はその数を増した。

 どんどん雨は強くなってきて、やがて本降りとなる。

 僕は本から目を離し、その様子を何気なく眺めた。


 すると不意に赤い糸が美しくきらめいた気がした。

 気になって見ると、いつもよりもハッキリと赤い糸が浮かび上がっている。


 以前、小鳥遊さんが風邪を引いた時もそうだった気がする。

 僕らの赤い糸は距離が出来ると薄くなるのだが。

 あの時は、何故だかハッキリ見えた。


 少し、胸騒ぎがする。


 僕はおもむろに立ち上がると、鍵をかけて職員室に居る先生に声をかけた。


「先生、ちょっと用事を思い出したんで、今日はもう帰っていいですか」


「あら、珍しいわね」


 先生は窓から空を見る。


「まぁ……この雨だと誰も来ないだろうし、今日はもう閉めちゃいましょうか」


 傘を差して、左手小指の赤い糸を追う。

 赤い糸は、ほのかな美しい光を、キラキラと放っている。


 雨の中を、僕は少しだけいつもより早足で歩いた。


 こんなことして、もし勘違いだったら、ただのストーカーみたいじゃないか。

 でも、どうしてか胸がざわめく。

 ここ最近はいつもそうだ。

 小鳥遊さんのことを考えると、冷静でいられなくなる自分がいる。


 すると、途中まで来た時、小さなお店のテント屋根の下で立ち往生している人がいた。

 小鳥遊さんだった。


「小鳥遊さん」


「鈴原、どうしたの!?」


 彼女は声をかけた僕を見て、目を丸くする。


「小鳥遊さん、今日、傘持ってないって言ってたから……」


「追いかけてきたってこと?」


「何か、気になっちゃって。ごめん」


「何で謝るのさ」


 飽きれたように彼女は笑った。


「どうしよって思ってたんだよね。来てくれてよかった」


「そう」


 どうやら引かれてはいないようで内心ホッとする。

 我ながら、また踏み込み過ぎた気がしていたからだ。


「じゃあ、送るよ」


 僕が傘を差し出すも、小鳥遊さんは動かない。

 どうしたのだろうと思っていると「ねぇ」と彼女は声を出した。


「ちょっとだけ、一緒に雨宿りしない?」


「えっ……?」


 どうして、と言いかけて言葉を飲み込む。

 彼女の目は真剣だった。

 何か事情があるのだろうか。


 理由は分からなかったけれど、その申し出は少しうれしい。

 小鳥遊さんが一緒に居たいと言ってくれている気がしたからだ。


「わかった」


「やったね」


 二人で空を見上げる。

 シトシトと降り注ぐ雨の音は、少しだけ僕らの緊張感を緩和する。


「雨、止まないね」


「私、雨好きなんだよね」


「珍しいね」


「静かで落ち着くし、寂しい家が寂しくなくなるから」


 小鳥遊さんはそっと息を吐く。


「広い家に一人でいるのってね、思った以上に寂しいんだ。音もなくて、ただただ静かで。世界に自分だけが取り残されたように思っちゃう」


 その言葉に、僕はつい先ほどのことを思い出した。

 誰もいない図書室に一人で居た時のことを。

 僕は本が満ちた空間特有の静けさが好きだけれど。

 あの広い家で一人で過ごすことは、小鳥遊さんにとっては寂しいことなのかもしれない。


 立派で豪華な家に住んでいても。

 共に過ごしてくれる家族は、家にはいない。

 彼女はずっと、独りだったんだ。


 すると小鳥遊さんはいたずらっぽい視線をこちらに向ける。


「今は鈴原がいるから寂しくないかも」


「僕も小鳥遊さんがいるから、寂しくないよ」


「んな……」


 僕が言うと小鳥遊さんは小さくうめいた後黙った。


「ずるいわ、ホンマに」


「何かいった?」


「言ってない!」


 すると小鳥遊さんはふと背後のショーウィンドウを見て「わぁっ」と声を出す。


「見てこれ! 可愛い!」


「アンティークショップだったんだね」


 明かりがついていないから、今日はお休みなのかもしれない。

 ショーウィンドウから見える店内には、たくさんの小物が並んでいる。

 少しレトロな店内は、オシャレに見えた。


「ここにこんな店あったんだ……」


「小鳥遊さん、近所なのに知らなかったの?」


「うん、全然知らんかった」


 ポロッと関西弁がこぼれているも、彼女は気づいていない。


「ねえ鈴原」


「何?」


「もし、今度お店やってたら、一緒に見に来いひん?」


「……うん、そうだね」


 彼女の関西弁は、きっと気が緩んでいる証で。

 僕にはそれが、とても嬉しいことに思えた。


 いつの間にか、こうやって自然と相手を誘えるようになった。

 その間柄が、なんだか嬉しい。


 すると、徐々に雨が弱くなるのが分かった。

 恐る恐る顔を外に出すと同時に、雲の切れ目から陽の光が差し込む。


「晴れたね」


 小鳥遊さんが空を見上げてほほ笑む。

 すると何か見つけたように「見て!」と声を上げた。


「どうしたの?」


「ほら、虹!」


 彼女が指さした先を見つめる。

 確かにそこには、空に橋を架けるかのような、大きな虹が出来ていた。

 それも、二つも。


「すっごぉ、私二重の虹なんて初めて見た……」


「お願い事が叶うサインって言われてるねぇ」


「へぇえ……」


 虹を見上げた小鳥遊さんは、キラキラと目を輝かせる。


「願い事、叶うと良いな」


 彼女は太陽とともに笑みを浮かべる。

 光に照らされた小鳥遊さんの姿は、僕には虹よりキレイなものに見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る