第24話 保健室

「今日も雨降ってるね」


 昼休みの屋上。

 梅雨に入ってからと言うもの、天候はかなり不安定だ。

 今までは何とか屋上を使っていられたけれど、とうとう雨に降られてしまった。


「これじゃ、屋上で食べるのは無理だね」


「じゃあ、あそこ行こっか」


「あそこ?」


 小鳥遊さんが連れて来てくれたのは、保健室だった。


「前来た時使っていいって言われてたんだよね」


 そう言えばそんな話をしていた気がする。

 風邪になった小鳥遊さんを送るのに必死だったから、すっかり忘れていた。


「でも、本当にいいのかな」


 すると「良いわよ別に」保険医の先生が声を出した。


「普段から誰も来ないんだし。放課後の方が人来るくらいだから」


「放課後?」


「部活動で来るの」


「あぁ……」


 何となく納得する。

 すると先生は「あ、でも」と何かを思い出したようなしぐさを見せる。


「まぁでも、毎年この時期は保健室くる子も増えるわねぇ」


「どうしてですか?」


「だってもうすぐ球技大会じゃない」


 その言葉に小鳥遊さんが「そっか」と言った。


「そう言えば、もう球技大会なんだね」


「今年は男女ともにバスケだっけ」


「そだよ」


「元バスケ部の出番だね」


「へへっ、言うてまだまだ衰えてないからね」


 小鳥遊さんはにやりと笑みを浮かべる。


「私、バスケは好きなんだよね。部活の頃はウマが合わなくて辞めちゃったけど、そうじゃなかったら、バスケはまだ続けてたと思う」


「周囲の人に誤解されて辞めたんだっけ」


「誤解……なのかな?」


「怖そうな人って見られて、色々きつく当たられて辞めたって言わなかったっけ」


「それは確かにそうなんだけどさ……。今思えば、ちゃんと話す機会はいくらでもあったなって思って。だから、あれは私のせいでもあるんだ。今思えば、だけどね」


「小鳥遊さん……」


「だからね、決めたんだ」


「決めた?」


「自分が分かってほしい人には、ちゃんとわかってもらおうって」


「それ、僕も入ってる?」


「さぁ? どうでしょう?」


 彼女はいたずらっぽく微笑みながら、僕をじっと見つめる。

 頬杖をつく彼女の左手の小指から赤い糸が伸びて、キラキラと輝いて見えた。


 ――でもね、誰と付き合うか、誰に知ってもらうかは、他の人が決めることじゃない。ミナミ自身が決めることだと思う


「あ……」


「どうしたの?」


「いや、ちょっと以前サトコさんに言われたことを思い出して」


「サトコ叔母さんに?」


「付き合う相手は自分で決めろって言う話だよ」


「何の話してるの……」


「あの人はもっと色んな人に知ってもらうべきだとか、みんなに好かれるべきだとか、そういうのは自分の価値観の押し付けなんだなって思ったんだ」


 皆に馴染めるようにしてあげたいとか。

 僕が何とかしてあげられるかなとか。

 そう言うのは、傲慢でおせっかいなことなんだと気づいた。


「小鳥遊さんは、ちゃんと前を向いて歩いてるんだね」


「難しい話してる?」


「たぶん……」


「何か良く分かんないけど、自分がどうありたいかは自分が決めればいいんじゃない? それで、決まったら全力で努力する。困ったら助けてもらう。それだけだと思う」


「じゃあ……もし、小鳥遊さんが困った時は相談してね。と言っても、僕じゃ役に立たないかもしれないけど。話くらいは聞けるから」


「ううん、そんなことない。嬉しいよ」


 何だか良い雰囲気な気がする。

 妙な空気になり、小鳥遊さんは不意に「ゴホン」と咳払いした。


「す、鈴原は運動、苦手なんだよね?」


「別に苦手じゃないけど」


「えっ? そうなの?」


「体育の評定は4だよ」


「えぇっ!?」


 小鳥遊さんは驚いたように立ち上がり、やがて気まずくなったのかしおしおと座った。


「全然……知らなかった」


「僕の家系、昔から運動得意だったんだよね」


「そう言えばヒナちゃん、何か運動出来そうな気配あるもんね。鈴原のお母さんも、シャキシャキしてるって言うか」


「僕も運動は苦手じゃないんだけど、父さんの影響で本とか読むようになったんだ」


「お父さん?」


 小鳥遊さんは何故か一瞬緊張した表情を見せた。

 気にせず、僕は頷く。


「父さんは本が好きな人だったんだ。映画とか、ドラマとかもよく一緒に見てくれた。父さんは病気で死んじゃったんだけど、父さんが残した本とか、今でもよく読むよ」


「そうなんだ……」


 小鳥遊さんはあまり突っ込んでは聞いてこない。

 父親が死んだと知って遠慮しているのだろう。

 僕はそっとため息をつくと、話題を戻すことにする。


「だから、運動するのは嫌いじゃないんだ」


「じゃあ、ちゃんと見とくね。鈴原の試合」


「見ても面白い物じゃないよ」


「良いから。私が見たいの。だから、頑張って」


「……わかった。なら、僕も小鳥遊さんの試合見とくよ」


「うん。鈴原が見てたら、私も頑張るかも」


「『かも』じゃなくて、ちゃんと頑張ってよ」


「へへ、どうしよっかなぁ?」


 小鳥遊さんが笑うと、保険医の先生が「ゴホン」と咳払いする。


「あなたたち、イチャつくのは良いけど、そろそろ授業よ」


「いいいイチャついてなんかいません!」


「あら、付き合ってたのかと思った。微妙な関係だったのねえ」


「つつ、付き合ってへんので!」


「小鳥遊さん、関西弁出てるよ」


 食事を終え、僕らは教室へ戻る。


「じゃあ、ここで。私先戻るから、鈴原はもうちょっとしたら戻ってきて」


「うん」


 一緒に戻ると、一緒に居たのがバレてしまうので、いつもバラバラに戻るようにしていた。

 すると小鳥遊さんは教室に向かおうとして、ピタリと足を止め、戻ってくる。

 どうしたのだろう。


「鈴原、手ぇ出して」


「手?」


「いいから」


 言われた通り差し出す。


「そうじゃなくて、グーで」


 こぶしを握り締める。

 すると、小鳥遊さんは僕のこぶしに、自分のこぶしをカツンと当てた。


「球技大会、カッコいいとこ見せてね」


「小鳥遊さんも」


「頑張ろう」


「うん」


 僕らが微笑み合うと同時に。

 僕らを結ぶ赤い糸が、一瞬美しくきらめいた気がした。

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