第18話 風邪

 中間テストが終わり、間もなく季節は六月に入ろうとしている。

 心地よかった空気には少しずつ湿気が混ざり、肌にまとわりつくようになった。


 雨の季節が、もうすぐやって来ようとしている。


 昼休みのチャイムが鳴った。

 いつものように小鳥遊さんと北校舎の屋上で合流する。


「お待たせ、鈴原」


 二人でお弁当を食べるためだ。


「今日のおかず何?」

「ハンバーグだね」

「やったね」


 僕らがこうして一緒にお昼を取るようになり、一ヶ月ほどになる。

 厳密にはゴールデンウィークやテスト期間もあったので回数はそう多くないけれど。


 いつの間にか、この情景もすっかり日常となった。

 数か月前までは考えられなかった光景だ。


 小鳥遊さんと一緒にご飯を食べ、くだらない話に花を咲かせる。

 それは僕が人とまともに交流する、一日のうちの貴重なタイミングでもあった。

 最初はたどたどしかった僕たちの会話も、いつしか当たり前のように途切れなくなっている。


 僕たちは教室ではあまり、表立って話さない。

 直接小鳥遊さんとそのような取り決めをしたわけではないが、なんとなく二人ともそうしていた。


 僕は、万が一僕と付き合っているという噂が流れでもしたら、小鳥遊さんに迷惑をかけてしまう気がしていたし。

 小鳥遊さんにはまた別の理由があるのかもしれない。

 案外……僕と同じ理由だったりして。


 今更、彼女が僕と居ると恥ずかしいだとか、そうした裏の感情を持っているとは思っていないが。

 それでもまだ、小鳥遊さんのことは、知らない部分も多い。


 ただいまは、こうした当たり前の時間が、僕にとってはありがたかった。


「もう梅雨だってさ。今日は晴れてるけど、そのうち雨降りそうだね」


「じゃあ、屋上は使えなくなるね」


「雨の時はどうしてるの?」


「手前の階段の踊り場で食べてるよ」


「冬場も?」


「そうだね」


「えー、寒いし空気悪いじゃん。もう少し食べやすいところ見つけようよ。空き教室とかもあるし」


「それも良いかも」


 そこで、ふと気づく。

 小鳥遊さんのお弁当の食があまり進んでいない。

 いつもなら気持ちよいくらいパクパクと食べているのに。


「ハンバーグ、口に合わなかった?」


 僕が尋ねると、彼女は一瞬気まずそうな顔をする。


「あ、ごめん。お腹減ってると思ってたんだけど、何かあんまり食欲湧かなくて」


「体調悪いの?」


「どうだろ。でもちょっとふらつくかも。午前中は平気だったんだけど」


「保健室行ったほうが良いんじゃない?」


「大げさだなぁ、大丈夫だよ」


「でも、小鳥遊さん顔赤いよ。お弁当も、食べるの難しかったら無理しなくていいよ」


「もったいないじゃん」


「大丈夫。また作ってくるから。気にしないで」


「うん……」


 僕が言うと彼女は申し訳なさそうにうなずいた。

 やっぱり結構無理していたらしい。


「じゃあちょっと、保健室行ってくる」


 食事を終え、小鳥遊さんは立ち上がる。

 でも体がふらついていて、一瞬よろけた。


「大丈夫?」


 彼女の体を、思わず支える。

 肩を貸してあげると、いままでにないほど距離が近づいた。


「ごめん、ありがと……」


 小鳥遊さんの顔が近い。

 目が合って、なんとなく気まずくてお互い顔を逸らした。

 心臓の鼓動が速くなる。


「保健室まで付き添うよ」

「ありがと」


 平然としているように見えた小鳥遊さんだが、やはり時折ふらふらとよろけた。

 なるべく肩を貸し、彼女を誘導する。


 保健室に行くまでの間、色んな生徒の視線が僕らに集まった。

 小鳥遊さんはオーラがある人だから、そこに立っているだけで注目を集めるのだ。

 普段なら気になっていた注目も、いまだけは気にならなかった。


 保健室で熱を測ると、やはり38℃の熱があった。


「よくいままで我慢してきたわねぇ」


「昼休み、楽しみだったから浮かれてたかも……」


「今日はもう早退したら?」


「そうします」


 保険の先生の言葉に、小鳥遊さんがシュンとうつむく。

 お弁当を楽しみにしてくれていたのだろうか。

 隣の席にいたのだから、僕がもう少し早く気づいてあげるべきだった。


「おウチの人は?」


「両親は仕事なんで、一人で帰れます。家も近いんで」


「僕、鞄持ってくるよ」


 昇降口で見送る小鳥遊さんは、やはり元気がない。


「気を付けて」


「色々ありがと、鈴原」


「また一緒にお弁当食べよう」


「そだね……。あ、あとね、お昼の場所なんだけど」


「うん?」


「保健室、使っても良いだって。病気の子が居なければ、だけど」


 小鳥遊さんは、弱々しく笑みを浮かべた。


「だからさ、雨が降っても一緒に食べよ。冬とさ、寒い時も保健室なら温かいと思うし」


「……そうだね」


 ふらふらと覚束ない足取りで帰宅する小鳥遊さんを見送る。

 本当に大丈夫だろうか。

 一人で帰らせることに、何だか抵抗があった。


 すると不意に、ポンポンと肩を叩かれる。

 振り向くと、黒咲さんが立っていた。


 彼女はニコニコとした表情で、何故か僕の鞄を持っている。


「はい、これ。鈴原くんの鞄」


「どうして……」


「連絡もらってさぁ。私が付き添おうかなって思ったけど、鈴原くんの方が良いかなって。ミナミのこと、心配なんでしょ? 先生には話付けといたからぁ、よろしくねぇ」


 彼女はそう言うと、僕の鞄を差し出した。

 僕はそれを受け取ると、静かに頷く。


「ありがとう」


 そうして僕は、小鳥遊さんの方へ駆け出した。


 彼女の姿はもう見えなくなっていた。

 けれど、すぐに追いつけるはずだ。


 だってこんなにも、糸が輝いているんだから。

 僕たちを結ぶ、運命の赤い糸が。

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