第15話 秘密

 チャイムの音と共に、担任の吉岡先生が「それまで」と言った。


「じゃあ後ろから答案用紙回してもってこーい」


 中間試験、全日程が終了した。

 長かった試験期間もようやく終わりを遂げる。

 それと同時に、僕たちの勉強期間も終了した。


 何気なく小鳥遊さんに視線を向けると、少しだけ表情が明るく見えた。

 どうやら手ごたえがあったらしい。


「ねぇ、鈴原」


 帰り支度をしていると、小鳥遊さんに声を掛けられる。


「鈴原は、テストどうだった?」」


「うん、まぁいつも通り。小鳥遊さんは?」


「お陰様で。いつもよりは分かった……かも」


「そう、よかった」


「それでさ……今日、暇?」


「特に用事はないけど」


 途端に小鳥遊さんの表情がパッと明るくなる。


「だったらさ、映画行かない?」


「映画?」


「うん。試験期間も終わったし、パッと気晴らしに。それに、試験勉強に付き合ってくれたお礼もしたいし」


 平然とした口調だが、小鳥遊さんの顔は真っ赤だった。

 こう言う遊びの誘いをするのは案外勇気がいる。

 小鳥遊さんはこう見えて、あまり積極的な人付き合いをするタイプではないし、かなり勇気を振り絞って誘ってくれているのかもしれない。


「うん、良いよ。行こう」


「ホント!? やった!」


 小鳥遊さんは一瞬だけ嬉しそうに飛び跳ねた後、ハッとこちらの視線に気付き、気を取り直したようにゴホン、と咳払いした。


「じゃあ、行こっか」


 学校を出て、映画館へと向かう。


 目的の映画館は、学校から電車で数駅行った場所だ。

 電車に揺られながら、目的地へと向かう。

 そのころには、僕と小鳥遊さんは会話に困ることが無くなっていた。


 お弁当の話、雑誌の話、小鳥遊さんの友人関係、僕の家族の話。


 あまり意識していなかったけど、小鳥遊さんと僕の間にはいつの間にかたくさんの共通の話題が存在していた。

 まるであふれるように、僕らの口からは自然と話題が出てくる。


 改めてこうして一対一で話すと、小鳥遊さんはかなり話しやすい人だ。

 学校では無口に見えるが(僕が言えたことではないけども)、慣れるとかなり饒舌らしい。


 やがて目的の駅に着いた。

 電車から降りて、改札に向かおうとすると。


「あれ、ウソつきじゃん」


 後ろから声を掛けられた。

 何だと思い、振り返る。


 見覚えのある女子が、そこに立っていた。

 中学の同級生だった。


「……久しぶり、佐伯さん」


 僕は思わず、目を伏せる。

 相手は僕と小鳥遊さんをジロジロ見た。


「人の恋路叩き潰しといて、自分はのこのこデートしてるんだ?」

「で、デート……」


 小鳥遊さんが『デート』と言う言葉に反応する。

 すると相手の視線は、僕から小鳥遊さんへと移った。


「あんた、こいつの彼女?」

「か、彼女……?」

「友達だよ」


 僕が言葉を被せると、相手は「だよねぇ」と鼻で笑う。


「じゃあ忠告しといてあげる。あんまり仲良くならない方がいいよ。こいつと」


「どうして?」


「だってこいつ、嘘つきだから。ねぇ? 鈴原?」


 僕は黙ってうつむく。

 それが面白くなかったのか、彼女は僕のことをにらんだ。

 電車の発射ベルが鳴り響く。


「鈴原、まだ私、あんたのこと許してないから」


 そう言って、相手は電車に乗り込んだ。

 僕と小鳥遊さんだけが、その場に取り残される。


 僕はそっと、左手小指から伸びる赤い糸を見つめた。

 過去のあやまちは、今もまだ自分と結びついているのだと実感させられる。

 この赤い糸のように。


「ねぇ、鈴原。今の人って」

「昔の同級生」

「何かあったの?」


 僕は少し黙る。

 話していいか、しばし逡巡した。


「言っても多分、信じないと思う」

「いいから、聞かせてほしい」


 小鳥遊さんは、真剣な表情で僕を見つめていた。

 疑いのない、まっすぐな表情で。


「どうして……」

「だって、鈴原、泣きそうな顔してるじゃん」


 言われてようやくハッとする。

 全然気づかなかった。

 ずっと平気なつもりでいたのに。

 僕はずいぶんと傷つけられていた。


「……小鳥遊さん、覚えてる? 僕の『赤い糸』を見えるって話」


「以前、他のクラスの女子が騒いでたやつ?」


 僕は頷いた。


「あの噂が広まったのは、きっかけがあるんだ」



 ◯



 きっかけは、小学校のころだった。


「山本先生、小指から赤い糸が伸びてるよ」


「赤い糸?」


「うん。小林先生の小指に繋がってる」


「はは、そりゃ嬉しいな。小林先生はなんたって美人だからなぁ」


 僕がした、たった一言の赤い糸の予言。

 数名のクラスメイトが居る中で、僕はその予言を告げた。

 その当時は、赤い糸が意味するものが何か分かっていなかった。

 ただ見えたものを、見えた通りに先生に報告したに過ぎなかったのだ。


 だが、その数か月後に、僕が赤い糸の予言をした二人の先生は結婚した。


「鈴原くん、運命の赤い糸が見えるらしいよ」


 その噂はすぐに広まった。

 当時の僕は良く分かっていなかったが、どうやら運命の赤い糸と言うものがあるらしい。

 そしてどうやら、自分は赤い糸を視る能力があるらしいと、その時知った。

 他の人には、赤い糸が見えないということも。


「ねぇ、鈴原くん。私の運命の赤い糸を見て!」


 以来、時折僕に運命の赤い糸を見てほしいという人が現れるようになった。

 それは生徒だけでなく、先生にまで及んだ。

 僕は赤い糸占いは、すぐに話題になった。



 でも僕は、運命を告げる残酷さを、まだ全く分かっていなかったんだ。



 ある日、僕はいつものように赤い糸を見てほしいと女子に頼まれた。


「佐伯さんの赤い糸、三橋くんと繋がってる」


 運命の赤い糸が近場の人と繋がっている可能性はとても低い。

 でもその時は、はっきりと糸の正体が見えた。

 だから僕は、つい正直に答えてしまったのだ。


 すると、彼女は泣き出した。

 何故彼女が泣いているのか分からず困惑していると、他の女子たちが集まって来て僕のことをにらんだ。


「酷いよ! サヤカはずっと、西原くんが好きだったのに!」


「三年も片想いしてるんだよ!?」


「どうしてそんなこと言うの!」


 女子たちは次々に僕のことを糾弾する。

 その波紋はどんどん広がり、僕はクラス中の人たちから責められた。


「鈴原くんは嘘つきだ!」

「赤い糸が見えるって言うのも、構ってほしいからついたでまかせだよ!」

「そうだよね! だって私なんて、小林くんと結ばれてるとか言われたもん!」

「嘘つきだ!」

「嘘つき! 謝れ!」


 クラス中の糾弾。

 覚えもないのにぶつけられる憎しみ。

 軽蔑のまなざし。


 耐えきれず、僕は言った。


「……ごめんなさい」


 僕はその時、初めて知ったのだ。

 運命を告げることの残酷さを。

 そして、自分の望まない運命を告げられた人が、自分にとってどれだけ脅威になるのかを。


 それ以来、嘘つき、かまってちゃんと言われ続けた。

 噂が尾を引き、中学ではまともに話し相手すらいなかった。

 誰もが僕を軽蔑のまなざしで見て、避けるようになったのだ。


 人と関わるのはやめよう。

 運命を告げるのはよそう。


 僕はその時、深く心に誓った。


 ◯


「高校を遠方の場所にしたのも、それが理由。自分の噂が届いていない場所に通いたいと思ったんだ」


 僕の話を、小鳥遊さんは困惑した様子で聞いている。

 当たり前だ。

 こんな突拍子もない話、信じられるはずがない。


「運命は残酷だよ。その瞬間に、長年の恋心も、夢も、無くなってしまうんだから」


「でも、赤い糸で結ばれているからって、必ずしも結ばれるとは限らないんでしょ?」


 僕は頷いた。

 でも。


「少なくとも、今まで見て来た人たちは、赤い糸で結ばれていない相手とは何らかの深刻な問題を抱えたんだ。たぶん、赤い糸の相手じゃないと――幸せにはなれないんだと思う」


「そんな……」


「知らなくていい真実だってある。人は運命を知らないから頑張れる。運命を知らないから、何かに期待したり、目指したり出来る。運命を変えてやろうって頑張れる人もいるかもしれないけれど……それが出来ない弱い人の方が大半なんだよ」


 小鳥遊さんは、僕の話に真剣な表情で耳を傾けている。

 彼女はしばらく黙った後。

 やがて、僕の顔をまっすぐ見つめた。


「鈴原、私の赤い糸は誰と結ばれてるの?」


 何でそんなこと聞くんだ。


「聞かない方が良いよ。きっと気味悪がるから」


「いいから。前は教えてくれなかったじゃん」


 小鳥遊さんは譲らない。


「教えてよ、鈴原……」


 小鳥遊さんは、自分の左手の小指を差し出す。

 何故かその動作に惹かれるように、僕も自分の左手小指を差し出した。


 僕たちの間を、赤い糸がキラリと光り、結んでいる。


 ふと顔を上げると、小鳥遊さんが目を見開いて口元を抑えていた。

 どうしたんだろう。


「私も今、見えた気がする」

「見えたって、何が?」

「鈴原の言う、赤い糸……」


 小鳥遊さんの目は、本気だった。


「信じるよ、私」

「……うん」


 その言葉が、今は救いに感じた。

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