第12話 テスト勉強

 僕と隣の席の小鳥遊さんは、どうやら運命の赤い糸で結ばれているらしい。


 この赤い糸が見え始めて早一ヶ月。

 僕らの距離は、少しずつ動き出しつつある。


「うーん、まずいなぁ」


 その日の授業中、不意にそんな声が聞こえてきた。

 黒板には数学のテスト範囲が記載されている。

 それを見た小鳥遊さんは、困ったように顔を青くしていた。


「小鳥遊さん、大丈夫?」


 そっと皆に気付かれないように囁くと、彼女は泣きそうな顔で首を振った。



「次のテスト範囲の内容がまるで分からない?」



 授業が終わってから詳しく事情を聞くと、そのような回答が返って来た。

 僕の言葉を聞いて、小鳥遊さんは力無く頷く。


「もうホントにマジで全っ然分からなくって……どうしようかなぁって」


 小鳥遊さん、勉強出来そうなイメージだけど苦手なのか。

 意外だった。


「ミナミってウチらのなかじゃ一番勉強出来そうなんだけどねぇ、意外でしょ?」


 不意に声がして見ると、黒崎さんが何だか楽しそうな表情で立っていた。


 なんでも小鳥遊さんが良く一緒にするギャル四人組は頭が良く、小鳥遊さんだけ勉強が苦手らしい。


「ほらぁ、ウチらこんな見た目だから派手じやん? だからせめて勉強だけでもちゃんとしとこって感じなんだよねぇ」


「そう言えば前そんな話してたね」


 でもそれなら大丈夫そうか。

 他の友達が勉強出来るなら、教えてもらえれば良いのだから。


 しかし黒咲さんは、僕の肩をポンと叩いた。


「じゃっ、鈴原くん。ミナミのことよろしくね」


「「えっ……?」」


 声が重なる。

 僕と小鳥遊さんが同時に声を出していた。


「ほらぁ、ウチら教えるの下手だからさぁ。鈴原くんがミナミに勉強教えてあげてくれないかな、なんて?」


「はっ!? 何勝手に決めてんの!?」


「だってぇ、ウチらは自分の勉強見るのにいっぱいいっぱいだしぃ、鈴原くん頭良いじゃん」


「別にいいけど……」


「そんなこと言っても、鈴原が迷惑でしょうが! って……えっ?」


 驚いた様子の小鳥遊さんと目が合う。


「別にいいよ」


「別にいいって……ホントに?」


「うん」


 僕は頷いた。


「やろっか、テスト勉強」


 こうして小鳥遊さんに勉強を教えることになった。


 ◯


「じゃ、鈴原くん、ミナミをよろしくねぇ」


「分かった」


「カオリの白状者!」


「うっししし、じゃあねぇ」


 黒咲さんはヒラヒラと手を振ると帰って行く。

 なんとなしに、小鳥遊さんと目が合う。

 何だか少し気まずいような、くすぐったいような、微妙な沈黙。


「じゃあ、行こうか」


「行くってどこへ?」


「図書室だけど」


「教室でやんないの?」


「別にいいけど、小鳥遊さんこそいいの?」


「何が?」


「ここでやると、みんなの注目の的になると思うけど」


「あ……」


 教室は帰りの喧騒に満ちている。

 この中、僕と小鳥遊さんが机をつけて勉強してたら妙な噂が立つだろう。


 光と影。

 ただでさえ僕たちは真逆の存在なのだから。


「僕は構わないけど、小鳥遊さんは気になるんじゃない」


「あんたは、私と噂になっても良いの」


「まぁ……」


「そっか」


 小鳥遊さんはなぜか嬉しそうにみえた。


「私も別に気にしないけど、やっぱ恥ずいから図書室行こっか。集中出来そうだし」


「そうだね」


 教室を出て、図書室に向かう。


 中に入ると、案の定図書室には誰もいなかった。

 普通テスト期間中くらいは需要がありそうなものだが。

 うちの学校の図書室は人気がない。

 と言うよりも、ここに図書室が存在していると言う認識があまりないのかもしれない。


「鈴原って成績良いんだ」


「平均よりは取れてる方だと思う」


「本よく読んでるもんね」


「インドアが頭いいとは限らないけどね。勉強は、別にしてて嫌じゃないから」


「へぇ、珍しいね」


「新しいことを知るのがなんだか楽しいんだ」


「新しいことかぁ」


 小鳥遊さんはそっと窓の外を見る。


「なんかちょっと分かる気がするな。私がモデル始めたのも、知らない世界を見てみたかったからだし」


「知らない世界?」


「ずっと学校と家だけじゃつまんないじゃん」


「部活とかは考えなかったの?」


「中学の時はバスケ部だったんだけど、なんか辞めちゃったなぁ」


 彼女は少しだけ悲しげな表情をする。

 窓の外に目を向け、憂いを帯びた表情は、まるで絵画のように完成された美しさだった。


 何か、過去に辛いことでもあったのだろうか。

 なんとなく、そんな気がしてしまう。


「人と折り合いが悪かったんだよね」


 僕の視線に気づいたのか、彼女はポロリと溢した。


「私こんなだしさ、キツいっていうか、怖そうに見られるみたいで。防衛本能って言うのかな。いつの間にか周りにどんどん辛く当たられるようになってて、壁も出来ちゃって。私、話すのも上手くないからさ、どうしようもなくなってた」


「それで辞めたの?」


 彼女は静かに頷く。


「ま、今は今で楽しいから良いけど」


 小鳥遊さんはそう言って、にっと笑った。


「ごめん、愚痴っちゃったね」


「別に気にしてないよ。あと、僕は怖いと思わないから。小鳥遊さんのこと」


「鈴原……」


「小鳥遊さんといるとなんて言うか、安心する」


「安心?」


「うん。小鳥遊さんといると、ホッとする」


 僕は笑みを浮かべる。

 すると小鳥遊さんはどこか暑そうにパタパタと顔を手で仰いだ。


「べ、勉強するよ」

「うん」


 彼女の顔が赤く見えたのは、外から差し込む夕陽のせいだろうか。


 小指から伸びる赤い糸が、妙に輝いて見えた。

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