第8話 教科書

 隣の席の小鳥遊さんと僕は運命の赤い糸で結ばれているらしい。

 左手小指から延び行く赤い糸。

 何気なくそれを見て過ごすのが、僕の日課になりつつある。


 休み時間。

 クラスに、というか人生で友達と呼べる人間がいない僕は、いつも教室で一人で過ごす。

 最近はたまに小鳥遊さんと話すようにはなったが、あくまで時折。

 一人で過ごす時間は、本を読んで過ごしている。


 時折、僕の小指の赤い糸はクイクイッと引っ張るように動くことがある。

 何気なく、その糸を目線で追いかけると。


「最悪ぅー、ミナミいないじゃん」


 すぐ横の席に、背の小さな女子が立っていた。

 短いスカート、金髪のツインテール。

 派手な見た目のギャルだった。


 この人は……見たことがある。

 よく小鳥遊さんと一緒にいる人だ。


 小鳥遊さんはよく仲良しギャル四人組で行動している。

 全員派手だし、にぎやかだし、とにかく目立つ。

 そして彼女たちが男子から下心ある目で見られていることも知っている。


 目の前のギャルは、間違いなくその中の一人だった。


 ギャルはしばらく周囲を見渡した後、ふと僕に目を留める。


「あ、ミナミのお気に入りだ」

「はっ?」


 意味が分からず、思わず間抜けな声が出た。


「ねぇ、ミナミ知らない?」


「さっき黒咲さんと出て行ったけど」


「食堂かなぁ?」


「スマホあるなら、連絡したら良いんじゃない」


「あ、確かに」


 しばらく彼女はポチポチとスマホで連絡を打つも、やがて「既読つかないじゃん!」と憤りだした。


「もぉー、教科書借りようと思ったのにぃ。これじゃ借りれないよ」


 そこでハッとしたようにこちらを見てくる。

 何か画期的なアイデアを思い付いたかのような顔だ。


「ねぇお気に入りくん。実は次の授業の教科書忘れちゃってさぁ。貸してくんない?」


「……何の教科書」


「地理B。頼むよぉ。地理の先生の心象、今より悪くなると留年だよぉ」


 一体過去に何やったんだ。

 気になるところではあるが、深く追求するのはやめておく。

 僕はそっとため息をつくと、机から教科書を取り出して彼女に手渡した。


「ちゃんと返してね」


「やたー! ありがとう! 感謝! 恩に切る!」


 まるで宝物を見つけたように目を輝かせ、教科書を掲げる。

 賑やかな人だな、と思っていると不意に彼女の後ろに人影が現れた。


 小鳥遊さんである。

 不機嫌そうに口をへの字に曲げ、目を怒らせている。


「……モエカ、何やってんの」


「あぇ? あ、ミナミ! いや、今ちょっと君のお気に入りくんに教科書を借りてて」


「だ、誰がお気に入りやっ!」


 ボッ、と火をつけたように赤くなる顔。

 関西弁だ、と内心思った。


 小鳥遊さんから素早く繰り出された手刀は、モエカと呼ばれた女子を正確にとらえ。

「あだっ!」と声が響く。


「痛ぁ……、せっかくモエカが接点作ってあげようとしたのに」


「接点?」


「教科書の返却。ミナミに頼めばそれを口実に話せるじゃん」


「あー……、もう本当にやめて、そういうの」


 小鳥遊さんはこの世の終わりのような絶望的な表情で頭を抱えると、やがていつもの鋭い視線を僕に投げかけた。


「忘れて」


「何を」


「今の私らのやり取り! あと今日聞いたこと全部! 一切合切忘れて!」


「わかった」


「了承早っ!」


 モエカと言う女子が驚きの声を上げ、不思議そうに僕の顔を覗き込んだ。


「君、本当に機械みたいなやつだね」

「機械……」


 好き放題言ってくれるものだ。


 今までの小鳥遊さんと周囲のリアクションを見ていると、小鳥遊さんが自分に好意を持っているのではないかとか、色々自分にとって都合の良さそうな結論は思い浮かぶ。

 ただ、こう言うのは都合よく解釈できるものでもあり、かなりマイナス気味に考えてようやくイーブンな気がするのだ。

 だから意図的に思考を止めるようにしている。


 しばらくじっと僕のことを見ていたモエカ女子だったが。

 やがて小鳥遊さんに首根っこをつかまれると、引きはがされていった。


「良いからもう行くよ、モエカ」


「えーっ!? まだ聞きたいこととかあるんだけど?」


「聞かなくていい!」


 そして小鳥遊さんはいつものように去っていく。

 と、ふいに彼女は足を止めて。


「鈴原」


 と、少し赤い顔で僕に鋭い視線を向けた。


「その、悪かったね」

「別に。楽しかった」

「……それならいい」


 彼女はプイとそっぽを向いて、教室から出て行った。


 僕と小鳥遊さんは。

 赤い糸で結ばれているらしい。

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