第7話 読者モデル Side - A

 僕と隣の席の小鳥遊さんは運命の赤い糸で結ばれているらしい。

 左手小指から伸びた不思議な赤い糸。

 その糸を辿れば、すぐに彼女の元へとたどり着く。

 たとえ、お互いに予期していなくとも。


「お兄ちゃん、遅い!」


「はいはい」


 日曜。

 部活も学校もなく、共に遊ぶような友人もいない僕は、妹のヒナの買い物に付き合わされていた。


 理由は単純。

 ただの荷物持ちだ。


「今日はたくさん買い物するんだから、ボサボサしてたら遅くなっちゃうよ!」


「それは良いけど、兄を荷物持ちに召集しないでよ」


「仕方ないじゃん! 他に頼める人いないんだから!」


 どうやらこの妹にはまだそうした買い物に付き合ってくれる彼氏はいないらしい。

 兄の欲目でなければ、なかなかモテそうな顔をしているのだが。

 本人にその気がないのかもしれない。


 思春期真っ盛りではあるが、僕たち兄妹は結構仲が良い。

 僕はこの通り我と言うものがあまり存在しない、何を言われてもあまり気にしないタイプだ。

 だから気が強い妹とはバランスが取れているのだろう。


 昔からケンカらしいケンカもあまりしたことがない。

 こうして買い物に出かけるのも、抵抗はなかった。


 今年中三になるヒナは、オシャレに興味津々だ。

 よく家でファッション雑誌を読んでいるし、たまにこうして母から軍資金を調達しては安価でオシャレな服を探して歩きまわっている。

 最近ではコスメにまで手を出しているらしい。

 セールのタイミングや店選びを間違えなければ、中学生くらいの資金源でも割とまともな物が買えるそうだ。


 僕はそういう方面にはとんと疎いので、感心してしまう。


「ほらほら行くよ! お兄ちゃん!」


「はいはい」


 一件目、三枚二千五百円のシャツ。

 二件目、二千円のデニムスカート。

 三件目、五千円のスニーカー。


 他にもアクセサリーショップや雑貨屋などを一通り巡り。

 近くのファミレスでようやく一息ついた。


「はー、買った買った! 大満足!」


「意外と買えるものだね」


 思わず感心する。

 するとヒナはフフンと得意げに笑みを浮かべた。


「こういうのはね、事前の下調べが重要なんだよ。いつ、どこで、どんなセールをするのか、どんな商品が売ってるのかをちゃんと把握しておくの。あと、お母さんへの根回しも」


「そういえば母さんからいくらくらい貰ったの?」


「内緒」


 何気なくスマホの時計を見る。

 ちょうど午後三時だった。


「じゃあデザート食べたら帰ろうか」


「えー? 駄目だよ! この後CDショップと、古本屋と、あとスマホケースも買うんだから!」


「まだ買うの……?」


 こっちは散々歩いてクタクタなのに。

 買い物の時の女子のエネルギーは底が知れない。


 何気なくため息をつく。

 するとふいに、僕の左手から延びる赤い糸がクイクイッと引っ張られるのを感じた。

 何気なく糸を視線でたどってみる。


 そこで、人ごみの中に見なれた顔が居ることに気が付いた。


「小鳥遊さん……」


 思わず声に出る。

 たくさんの人が道を行き交う中。

 突出してオシャレで、キレイで、スタイルの良い女子が歩いていた。

 誰が見ても頭一つ飛びぬけている。

 何というか、モノクロの集合写真で一人だけ色がついているくらいには目立つ。


 僕が見ているのに気付いたのか、ヒナも僕の視線を追い「わっ」と声を出す。


「何あの人。めちゃくちゃキレーだね。モデルさんみたい」


「みたい、と言うよりモデルらしいよ。読者モデルだって」


「お兄ちゃん知ってるの?」


「隣の席の小鳥遊さん。クラスメイトなんだ」


「うえぇえ……? あんな人がクラスメイト? 高校生マジかぁ……」


「あの人はちょっと特別だよ」


 よく見ると小鳥遊さんのすぐ近くにはカメラマンらしき男性が立っていた。

 どうやら雑誌か何かの写真撮影のようだ。


 カメラに向かってポーズを決めていく小鳥遊さんはいつもより更に大人びて見えて。

 やっぱり生きる世界が違う人なのだな、と感じてしまう。


 ヒナはその撮影の様子をうっとりした顔で眺めていた。


「はわー、すごいなぁ。やっぱり高校生って大人だよねぇ。服装もめっちゃオシャレだし」 


 高校生っていうよりは、小鳥遊さんが大人に見えるだけだと思うが。

 そう思っていると、ヒナはこちらを向いてジロジロと僕を眺める。

 なんだろう。


「お兄ちゃんは大人じゃないけどね」


「一応、小鳥遊さんと同じ歳なんだけど……」


 しばらくデザートを食べながら小鳥遊さんの撮影を二人で眺めた。

 やがて撮影が終わったらしく、彼女はカメラマンとしばし何やら会話した後、頭を下げてその場で別れた。


「あ、こっちに来る」


 僕らに見られているとも知らず、小鳥遊さんは心なしか少し疲れた表情でこちらに歩いてくる。

 すると、ふいにガラス越しに彼女と目が合った。

 途端に、先ほどまでの表情が一転。

 驚いた時の猫のように目を見開く。


「お兄ちゃん、何かジェスチャーしてるけど」


「挨拶かな……」


 ヒナと二人で軽く会釈すると、ますます小鳥遊さんのジェスチャーは激しくなる。


「何か怒ってない? あの人」

「何でだろう……」


 やがて小鳥遊さんはどこか早歩きで去ってしまったかと思うと。

 店の中に入って僕らの席へとやってきた。

 かなり急いできたらしく、息が荒れている。


「な、何やってんの、ここで」


 開口一番、彼女はそう言う。


「何って、デザート食べてただけだけど……」


「そうじゃなくて!」


 少し大きい声。


「何やってんの、ここで」


 同じ質問をまたされる。

 意図が分からず困惑した。


「えっと……買い物をして、疲れたからちょっと休憩してる」


「いや、だからそうじゃなくてさぁあ!」


 小鳥遊さんが頭をクシャクシャと掻いていると「あのー……」とヒナがおずおずと声を出す。


「さっき、モデルの撮影してましたよね。めっちゃ格好よかったです!」


「は……? あっ、えっ? どうも?」


 予想外の言葉だったらしく、小鳥遊さんは露骨に混乱していた。

 怒ろうとしたいのに出来ない……そんな複雑そうな表情をしている。

 そしてなぜ怒ろうとしているのかはよくわからない。


 そんな小鳥遊さんの様子に気づくこともなく、ヒナは羨望の眼差しを向けている。


「小鳥遊さんは読者モデルさんなんですよね!? どうやったらなれるんですか?」


「えっ? いや……何か、親戚に頼まれて……」


「私もなれますか!? 読者モデル!」


「ど、どうだろ……応募してみないと何とも」


 ズイズイ行くヒナに明らかに小鳥遊さんは気圧されている。

 やがてようやく引かれていることに気づいたのか、ヒナはハッとして頭を下げた。


「ごめんなさい、お兄ちゃんにこんな素敵なクラスメイトがいると思ってなくてビックリしちゃって」


「お兄ちゃん!?」


 ギョッとした顔で小鳥遊さんはこちらをみる。

 僕は頷いた。


「ごめん、紹介が遅れたけど。妹のヒナです」


「鈴原ヒナです! こんな兄ですが、仲良くしてやってください!」


「何目線なの……?」


 小鳥遊さんは何やら口をパクパクしている。

 金魚みたいだ。

 暑くもないのに汗をかいているし、目も泳いでいる。


「じゃ、じゃあ鈴原は兄妹で買い物してたってこと!?」


「まぁ……」


「うちの兄、全然友達いないんで」


「そういうこと言わなくて良いよ」


「はは……な、仲良いんだねー」


 しばらく乾いた笑いを浮かべた後、小鳥遊さんは「じゃ、じゃあ私はこれで!」と逃げるように去って行った。

 一体何だったんだ。


「おもしろい人だったねー。コロコロ表情変わるし」


「普段はあんな感じじゃないんだけど……」


 そそくさと歩いていく小鳥遊さんの後姿は、何だか小動物に見えて。


 僕らの間に繋がった赤い糸だけが、美しく輝いていた。

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