第5話 赤い糸

 僕と隣の席の小鳥遊さんは運命の赤い糸で結ばれているらしい。

 左手小指から延び行く赤い糸。

 その糸は今日もまっすぐ、小鳥遊さんの小指と結びついている。


 赤い糸が見えるようになったのは、最近のことではない。

 僕は生まれつき霊感が強いらしく、人には見えないものを時折見ることがあった。

 運命の赤い糸は……その代表例だ。



「山本先生、小指から赤い糸が伸びてるよ」


「赤い糸?」


「うん。小林先生の小指に繋がってる」



 小学校の頃のことだ。

 僕が赤い糸で繋がっていると告げた先生二人が実際に結婚した。


 その一件以来、僕の『赤い糸診断』は一時期学校内でちょっとしたブームになった。


 僕が赤い糸の存在を告げると、ある人は不気味がり、ある人は面白がった。

 僕の赤い糸の診断を偶然だという人もいれば、本当だと信じる人もいた。


 ただ、そうした評判があまり良い方向に働くことはあまりなかった。


 誰もが自分の運命の相手を知りたがり。

 誰もが理想的な相手と結ばれていることを望む。


 それでも運命と言うのは残酷なものだ。

 赤い糸が望んだ相手と結ばれていることなんて、ほとんどない。

 それどころか、望まぬ相手と結ばれることだってある。

 長年の片想いに、一瞬で『答え』が出てしまうこともあるのだ。


 そして、恋が破れた人は僕にこう言う。


「嘘つき」と。


 だから僕は、赤い糸が見えると人に言うことはなくなった。


 この赤い糸にどれほどの強制力があるのかは分からない。

 ただ、少なくとも今までこの赤い糸で繋がった二人は、例外なく結ばれている。

 だからこそ、僕は運命は告げるべきではないと思うようになった。

 物事には、自然な流れと言うものがあるからだ。


 でも――



「お願い鈴原君! 私の赤い糸見て!」



 どこから噂を聞きつけるのだろう。

 今も時折こうして声を掛けられることはある。


 教室窓際の最後部で。

 僕は他クラスの女子に囲まれていた。


 普段は誰も来ないはずの僕の元にたくさんの女子が集まっている。

 クラスの注目が集まっているのがわかった。

 正直、やめてほしい。


「……誰から聞いたの」


「鈴原君と同じ中学の子から! 五組のメグミンってわかる?」


「いや……」


 誰だよメグミン。

 顔すら思いつかないが、とにかくその人のせいで僕の能力が知られたらしい。

 悪評でなかったのは、不幸中の幸いか。


「鈴原君って運命の赤い糸が見えるんでしょ?」


「……昔は見てたよ」


 下手に嘘をつくのもどうかと思い、嘘にならない範囲で適当にごまかす。

 とはいえ、今も赤い糸は見えているのだが。


 僕が答えると、目の前の女子はぐいと僕に顔を寄せてきた。

 思わずのけぞる。


「じゃあさ、お願い! 私の運命の相手が誰なのか見てほしいんだ!」


「そういわれても……」


「出来るでしょ!? 私の運命の相手がどこにいるのか知りたいの!」


「すぐ近くにいるならともかく、遠方にいる相手を特定するような力はないよ」


「それでもいい! お願い! 近くにいるかどうかだけでも知りたいの!」


「……わかった」


 あまりのしつこさにとうとう折れた。

 仕方なく、意識を集中させて糸に目を向けてみる。


 あれ……?


 すると意外なことに、目の前の女子の赤い糸は、すぐ近くの人と結ばれていた。


「何か分かった?」


「えっと……」


 彼女から延びた赤い糸は、クラスの松本君とつながっていた。

 松本くんと言えばほぼクラスの皆に知られるエロキャラだ。

 女子を露骨に性的な目で見ており、大声で下ネタを話す。

 男子からはいじられキャラで定着しているが、正直女子の評判は悪い。


 そんな人と赤い糸で結ばれているなんて告げるのは、絶望を宣言するようなものだ。

 だから僕はこう答える。


「今は、近くにはいないみたいだよ」


 と。


 赤い糸の存在を正直に告げると、トラブルがたまに起こる。

 自分の意中の相手と繋がってなかったり、嫌いな人と繋がっていたり。

 思うような結果にならなかった時、人は落胆したり、あるいは八つ当たりをしてくる。


 ――鈴原君って嘘つきだよね。

 ――こんな性質の悪い冗談を言うなんて、最低。

 ――あんた性格終わってるよ。


 そんな言葉を投げかけられたことは一度や二度じゃない。

 だから僕は、傍目にも良いと言えない結果を知った時。

 こうして違う事実を告げるようにしている。


 それが、万事うまく行く一番の方法だからだ。


 僕が言葉を告げると、目の前の女子は「なぁんだ」と肩を落とした。


「ものすごいイケメンと繋がってると思ってたのにぃ」


「ヒヨリ、元気だしなって。もしかしたらどこかのイケメンと繋がってるかもよ」


「まぁダメ元だったけどさぁ……」


「行こ行こー」


 キャイキャイと騒ぎながら女子たちが去っていく。

 クラスの視線が散るのを感じ、僕は内心胸を撫で下ろした。


「あの子ら、お礼くらい言ったらいいのに」


 隣の席に座っていた小鳥遊さんが、不意に口を尖らせた。

 今の騒ぎを見ていたらしい。


「私、ああ言う自分勝手なの好きじゃないんだよね」


「そう」


「鈴原も嫌だったらハッキリ言ったほうが良いよ」


「僕、嫌って言ったっけ」


「そんな顔してたけど」


「よく見てるんだね」


「んぐっ」


 何故か小鳥遊さんは顔を真っ赤にして黙る。

 まずいことを言ったらしい。


「小鳥遊さんは、良い人だね」


「別に。私は思ったことを言っただけ」


「それでも……優しいよ」


 彼女は暑いのか、パタパタと顔を手で仰ぎ始める。


「そ、それよりあんた、ホントに見えるの? 赤い糸」


「えっと……」


 誤魔化そうかとも思った。

 でも何故か、小鳥遊さんには嘘をつきたくなかった。


「見えるよ」


 すると小鳥遊さんは「へぇえ」と身を乗り出した後、気を取り直したように咳払いする。


「そ、それって私のも見えたり……すんの?」

「見えるよ」


 僕の言葉に、小鳥遊さんの目が輝く。


「じゃあ私の赤い糸って……!」


 そこで彼女はハッとしたように表情を正して、慌てて首を振った。


「あ……ごめん。嫌だよね。やめとこ」

「良いよ」


 僕は小鳥遊さんに向き合う。


「手、出してみて」

「う、うん……」


 小鳥遊さんはおずおずと右手を差し出す。

 僕はその手をそっと取った。


「ん……」


 一瞬、小鳥遊さんはビクリと反応する。

 まっすぐ見つめると、彼女が緊張した面持ちでこちらを見た。


「ど、どうだったの?」


 僕はそっと視線を走らせる。

 彼女の左手小指から、僕の左手小指へと。

 その顔に向けて、僕は緩やかな笑みを向けた。


「案外、近くにいるかもね」


 僕の言葉に、一気に小鳥遊さんの頬が赤くなった。


「ど、ど……どういう意味?」

「秘密だよ」

「はぁ? ちょっと! ちゃんと言いなよ! 気になんじゃん!」


 僕と赤い糸で結ばれているなどと言ったら、彼女はさぞかし落胆するだろう。

 気持ち悪く思うかもしれない。

 だから、今はまだこれで良い。


「必要があったら、いずれ教えるよ」

「生殺しにするな! ちょっと!」


 これくらいの距離で、今は良い。

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