第4話 喫茶店 Side - A

 隣の席の小鳥遊さんと僕は。

 運命の赤い糸で結ばれているらしい。


 左手小指から伸びる絶対に切れない赤い糸。

 それは今日も、まっすぐ小鳥遊さんの小指へと伸びている。


 赤い糸が見え始めて十数日。

 ここ最近では、ようやくその特徴も掴めるようになってきた。

 体質上、人の赤い糸を見るのは今までも何度かあったけど。

 ここまで具体的に観察したことはなかったので、色々と発見がある。


 まずこの赤い糸は、僕と小鳥遊さんの距離が物理的に近いと鮮明になる。

 反対に、距離が遠ざかると糸の中間部が薄くなり、非常に見えにくくなるのだ。

 また、たまにキラリと仄かな赤い光を帯びることがある。

 これがどういう意味を持つのかは、いまだに良く分からない。


 一つ言えることは、この糸を使えば、小鳥遊さんの位置がわかるということだ。

 本気を出せば、糸を辿って彼女の元へたどり着くことだって出来る。

 もちろん辿るようなことはしないのだが。



 ただ……街で偶然出会った時は別だ。



 ところで僕は近所の書店でアルバイトをしている。

 稼いだお金は本と、放課後に立ち寄る喫茶店によく使う。


 頻度は週に二、三度くらい。

 大きな喫茶店で、静かに本を読むのが僕の楽しみだ。


 その日、いつものように喫茶店で本を読んでいると、妙に赤い糸の動きが活発になっていることに気が付いた。

 感触はない物の、クイクイッと糸が引っ張られるように揺れ動くのが分かる。


「小鳥遊さん、一体何やってるんだろう……」


 教室で近くにいる時と違って、放課後にこうやって赤い糸が活発に動くのは珍しい。

 何か運動でもしているのだろうかと考えていると、不意に店の入口が開き、ドアの鐘が鳴り響いた。

 新しいお客さんが入ってきたらしい。


 集団で入ってきたお客さんは、僕の後ろの席に座る。

 ちょうど僕との間には仕切りがあって、誰が座ったかまではわからない。

 ただ、団体であることと、女性が入ってきたことだけは何となく分かった。


 あまに気にせず本に意識を戻そうとすると、くいっくいっと糸が引っ張られる。

 またか。

 よく見ると、先ほどまで薄かった糸の存在が、今はかなりはっきり現れていた。

 まるで近くにいる時みたいな反応だ――


「んでさぁ、ミナミはどうだったのよ? 新しいクラス」


 うん?


「別に、普通だけど」


「そんなことないよー。だって……ねぇ? ミナミ?」


「カオリは黙ってて!」


「えっ? 何その反応? もしかして恋バナ的な? いいじゃんいいじゃん、聞かせてよ」


 うんん?

 聞き覚えのある声がする。


「……もういいって、何でもないよ」


「何でもなくないでしょその顔は! ちょっと赤くなってんじゃん!」


「やだー、ミナミ可愛い」


 やっぱりこれは。

 間違いない。

 小鳥遊さんだ。

 多分、友達の黒咲さんも居る。

 どうやら他の友達とお茶しに来たらしい。

 そして何の因果か、彼女たちは僕の真後ろの席に座ってしまったのだ。


 声の種類から、人数は全部で四人だろうと言うことが分かる。

 そう言えば小鳥遊さんは、仲の良いギャル友達四人組で行動していた気がする。

 かなり目立つから、学内でも割と注目されやすい。


「ほらほらー、言っちゃいなよミナミぃ。このメンバーなら大丈夫でしょ?」


「そりゃ……そうだけど。なんか今後に影響とか出そうだし」


「えー? 出ないよぉ」


「あんた教室でいっつも私のことからかってんでしょうがっ!」


 どうしよう。何か話してるし、丸聞こえだ。

 でも、出るタイミングを失った。


 僕の居る席は店の一番奥。

 そして店を出るためには彼女たちの視界に入らざるを得ない。


 今すぐ出ていくと何だか逃げたみたいだし。

 かと言ってこのままここに居るのも、盗み聞きしているようで気まずい。

 本に意識を戻したいが嫌でも聞こえてくる。


 これはもう、隠れきるしかないか。

 残された道はそれしかない気がした。


「ミナミって今気になる人がいるんだ?」


「まぁ……うん」


「最近席が近くになったんだよねぇ?」


「じゃあチャンスじゃん! ミナミ可愛いんだから! 攻めちゃえ攻めちゃえ!」


 小鳥遊さん好きな人がいるのか。

 ついつい考えて頭を振る。


「ダメだぞ、ソウタ。聞いてはならないんだこれは」

 頭の中の天使が語りかけてくる。


「いいじゃねーか。クラスで最高の美女の秘密くらい聞いたってよぉ」

 頭の中の悪魔が語りかけてくる。


「そう言う話じゃない! これは人様のプライベートを守らねばと言う倫理観の話なんだ!」


「そんなの誰にも言わなきゃバレやしねぇよぉ! ちょっと優越感に浸るだけじゃねぇか!」


「だめだ! ソウタはそんなに小さな人間じゃない!」


「でも気になってんだろぉ? なら聞いちまえよ。こんなチャンス二度とないぜぇ?」


「二度と……?」


「そうだよ。今日聞かなけりゃ一生後悔するかも知れねぇ。眠れなくなるぜ?」


「眠れないのは……辛いな」


 おい天使、負けてるんじゃないよ。

 僕が一人で葛藤していると、また声が聞こえてきた。


「でもあいつ、いっつも一人っていうか。話しかけられるのあんまり好きじゃないみたいで」


「そんなの、ミナミなら別でしょ」


「どうなんだろ……。話しかけても真顔だし」


 そんな不愛想な人間居ただろうか。

 小鳥遊さんの周囲の席の人を思い浮かべてみる。

 僕はありえないとして、話しかけても無反応な愛想のない人物は思い当たらないが。

 そもそも『席』って言ってるけどクラスの席とは限らないんじゃないか。

 いろいろ考えた。


 すると「そりゃそうだよぉ」と黒咲さんの声がする。


「だってミナミ、いっつも睨んでるじゃーん。舌打ちもしてたし。あんな険しい顔されたら、誰だって嫌われてるって思うよぉ」


「えっ? 好きな人に舌打ちなんてしてんの? 引くわー」


「あ、あれは緊張して舌が張り付いてただけっていうか! 顔が険しいのも、緩むの抑えただけだし!」


「あちゃー、ミナミ不器用だからねぇ」


「冷たい態度とっちゃったりしてんじゃないの?」


「うう……」


「ああー」と皆のため息が漏れる。

 なんだか僕も釣られて声を漏らしそうになった。


 小鳥遊さん、コミュニケーション力あると思ってたけど。

 好きな人の前では全然ダメなのか。

 意外な弱点だ。


「でもミナミぃ、そのままじゃ、一生進展しないよ。だって鈴原くん、タンパクそうだし」


「そうなんだよねぇ」


 えっ。

 一瞬自分の名前が出た気がして、思わず立ち上がりそうになる。

 すると足がガタリと机にぶつかって、熱々のコーヒーがズボンに掛かってしまった。


「熱っ……!」


「大丈夫ですか!?」


 すぐに近くの店員さんが駆けつけてくれる。


「拭くもの持ってきますね!」

「すいません……」


 申し訳無さで頭がいっぱいになってしまう。

 本はどうにかコーヒーに濡れなかったが、ズボンは洗濯しなきゃダメだな。

 そう考えていた時、不意に気配がしてハッとした。


 仕切りの向こう側からこちらを覗き込む小鳥遊さんと目があった。


 思わず「あっ……」と声が出る。


 怒鳴られるだろうか。

 もしかしたら罵られるかもしれない。


「えっと、その……」


 どう言い訳したものかと思っていると。

 小鳥遊さんの顔が見る見る赤くなり、彼女はそのまま奥へと引っ込んだ。


「そそそ、そろそろ帰ろっかぁ!」


「えっ? もう出るの?」


「もう少し話そうよ」


「う、ウチ、駅前のドーナツ食べたいねん!」


「ちょっとミナミ! 関西弁出てるから! ちょっと待ってよぉ!」


 そのまま声が遠ざかっていく。

 どうやら全員見せから出ていったらしい。

 ホッと安堵の息を吐くものの、明日どう話せばよいものやら。


「鈴原くん……か」


 あの時聞こえてきた名前を思い出す。

 まさかね。

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