会遇

「あぁ、なんだ、またあの時の夢か」

 悪魔はそう呟くと、あくびをしながら身体をのばした。

 

 ―― 選ばれた者のみが魔法を使える、この不思議な世界。


 神がいなくなってしまった今、魔力を持つ人間は、善悪問わずに目立っていたし、持たない人間達は、を繰り広げていた。


 そんな事は気にもとめず、悪魔はこめかみに人差し指をあてて、目を閉じる。



 しばらくして悪魔は颯爽と翔び立ち、その向かった先には、森を抜けようと歩を進める、修道服に身を包んだ女性と、それを後ろから付け狙うように尾行している、何だかガラの悪そうな男3人組がいた。


 

「おい!そこの女!止まれ!」

「……はい、なんでしょうか?」

「その格好……お前、修道女だな?」


 ガラの悪そうな男の言う通り、彼女は神導宗しんどうそうに身を置く、修道女だった。

 修道服に映える金髪。透き通るような白い肌。そして虹色に淡くきらめく大きな瞳。

 誰の目から見ても非の打ち所の無い、超のつく美少女である。


「修道女にしては、えらく美人だな」

「ホントだ……あんた名前は?」

「はい、神導宗のヒカリと申します」

「ヒカリちゃんかぁ!名前まで美しい!」

「なぁヒカリさんよぉ、オレ達ちょうど食べるものに困っててよ。何か恵んでくれねぇか?」

「わかりました。今は持ち合わせがこれしか無いのですが、分け合って食べてください」

 

 そう言うと、ヒカリと名乗る女性は、なんの躊躇いもなく、少し大きめなカバンの中から食糧を取り出した。


 ―― 神導宗とは……。

 この世界を廻り、神を失ったことで路頭に迷い、困っている人々に救いの手を差し伸べる。

 その善行が魔力となり、身体に蓄積され、最終的には世界中の修道女が集い「神の復活」を果たすことが目的の集団である。


「これだけかよ?全然足りねぇじゃねぇか!」

「へへっ、じゃあよう、その衣服を脱いでもらおうか?」

「衣服を高く売る、食い物にありつける、美人の女の裸が見れる、これは一石三鳥ってやつだな、ガハハハハ!」


 ヒカリは、口には出さないものの、頭の中ではこう思っていた。


 こういう野蛮な方々も、やはり一定数いるのはわかってる。でも、慈悲の心を持って真摯に向き合わなくちゃ。今までだってそうしてきたんだから……。


「わかりました。衣服も差し上げましょう。ただ、私は旅をする者。今後の為に最低限の分だけでもよろしいでしょうか?」

「は?何言ってるの?全部だよ全部!」

「ほら早く脱げよ!」


 ヒカリは思った。

 

 あぁ、コイツら腹立つなぁ……。

 ふざけんな!お前ら何様のつもりだよ!こっちは食べ物を恵んでやるって言ってんだから感謝しろ!それに脱げだぁ?てめぇらに見せる程、私の高貴な身体は安くねぇんだよ!この3馬鹿ゴリラが!!


「いえ、全て脱ぐというのは……流石に無理です。それに、神導宗の掟に反してしまいますので……」


 !と心の中で叫びつつも、ヒカリはこの場を切り抜ける為、3人をなだめるように接した。


 ―― しかし、


「うるせぇなぁ!もう面倒だから力ずくでやっちまおうぜ!」

 

 ヒカリは思った。


 ……は?この3馬鹿ありえないんだけど!それは流石に無理!私も多少なり魔法は使えるけど、攻撃魔法は自信無いし……。

 いや!やめて!近づいて来ないでよ!もう無理無理無理無理!!


 ヒカリは頭を抱えてうずくまり、目を閉じた。


 すると、その時だった。


「……あぁ?なんだてめぇは?」


「ん?オレか?オレは悪魔だ」


 突如、4人の前に現れた自称悪魔。

 4人全員が、本当の悪魔なんだと確信するのに時間は掛からなかった。


 一目見ただけででは無い事がわかるその姿は、褐色の肌と2メートル程の長身。そして見慣れないどこかの民族衣装の様な正装服に身を包んではいるが、異様に発達した筋肉によって、その衣服は、はち切れんばかりの状態であった。

 更には、逆立った髪の隙間からそびえる二つの角、背中でバサバサと動く大きな翼、ゆらゆらと揺れる尻尾……。

 

 宙に浮いた状態で4人を見下ろしている悪魔。

 その風貌に威圧されたのか、男3人組はビビっているように見えた。


 ヒカリはというと、次々と舞い込む急展開に頭の中がパニックになっていて、

「この……悪魔?よく見ると、顔は結構イケメンね……」

 などと呟き、やや現実逃避に近い状態になっていた。


「あ……悪魔か。そ、そうか。で?オレたちに何か用か……?」


「退屈でしょーがなくてよ、そしたら近くでお前らがなんかしてんのが視えたんで翔んで来たんだわ」

「じゃあなにか?お、オレ達の邪魔するってのか?」

「いや?暇つぶしだからな、特に何かしようとは思ってねぇよ」

「……そ、そうか。そうかそうか!なら遠慮なく続きをさせてもらうぜ!」


 その言葉を聞いたヒカリは一瞬にして我に返り、口には出さないものの、心の中で叫ぶ。


 はぁ?ちょ、ちょっと待って!悪魔とかいう見物人が増えただけで何も状況変わらなかったんですけど!

 あぁ、私の高貴な身体を野蛮な3馬鹿+悪魔に見られてしまう!

 そんなの……そんなの嫌だああああ!!


 更に混乱してしまったヒカリは、いくら危機的状況とはいえ、きっと誰しもが選択し得ないであろう心の内を、気づけば思うより先に声に出していた。

 

「あ、あのー、悪魔さん?私を助けていただけないでしょうか?」

 それに対し悪魔は即答した。

「え、断る。面倒だし」

「……はい?」

 悪魔は悪びれる様子もなく、淡々と己の心境を語り始めた。

「聞いてくれる?さっき地獄目イービルアイって能力使ってお前らを見つけたんだけどよ、一瞬どうやって唱えるんだっけ?とか思ってだな……」

「は、はぁ……」


 悪魔が語りはじめた内容は、ヒカリや3人の男達にはあまりにも突拍子のない話で、それなのに悪魔の語る一語一句を最後まで聞かなければいけないような錯覚に陥った。

 それが恐怖心からなのか、カリスマ性なのかはわからないが、4人が4人ともただただ聞き入った。


「……まぁそんなオレにも自慢できる事があってな。今まで成し遂げられなかった事が一つも無いんだよ。ホントだぜ?ていうか、お前らただ黙って聞いてるだけでつまんねぇな。やっぱさっきの言葉は撤回するわ。何もしないって言ったけど、ちょっと小腹も空いてきた事だし、お前らの魂を喰わせてもらおうかな?」


 長く続いた悪魔の話も終わりを迎えたかと思いきや、最後の不穏な言葉を聞いてようやく我に返った男達が、各々せきを切ったように言葉を吐き出した。


「ふ、ふざけんな!てめーなんぞに食われてなるもんかよ!」

「そそそそそうだ!オレ達の魔法で返り討ちにしてくれる!」

「この女は後回しだ、コイツをどうにかするぞ!」


 少し遅れて我に返ったヒカリの頭の中は、自分は助かりたいという願望、男達はやっつけてほしいという欲求、争いを止めなければという使命感、今まで経験したことの無い状況による恐怖心など、またしても混乱状態に陥っていて、それがどんな言葉を発すればいいのかを躊躇わせた。

 

「わ、私は……」

 

「おいメス、黙れ」


 そう悪魔が呟いた瞬間、それまでの飄々ひょうひょうとした空気感とは一変し、悪魔から凄まじい殺気が放たれた。

 周囲の木々や草むらはざわめきはじめ、近くにいた小動物はあっという間にどこかへ姿をくらました。

 ヒカリの特徴的な金色で鮮やかなロングヘアーも、まるで強風の中にいるかの様に乱される。


「お前ら、今オレに何て言った?」


 もう先ほどまでの悪魔はいない。まるで別人のような鬼気迫る表情に、3人組は震え上がった。

 ヒカリはというと、悪魔の豹変ぶりに腰を抜かし、動けないでいた。


「だ、だからてめぇなんぞに食われてたまるかって話だ!お前ら一斉にいくぞ!」

 リーダー格の男は悪魔の殺気に震えながらも、自分と他の2人を鼓舞するかのように大声を張り上げた。


氷の聖像サイクロンアイス!」

大きな種火プリメイティブサン!」

雷鳴警砲デイアフターボルト!」


 3人の唱えた魔法が徐々に速度を上げ、勢いを増していく。そして3人は息を合わせて、グルグルと悪魔を取り囲むように魔法を操り、逃げ道を作らないようにした。

 その様子を見れば、この3人がそれぞれ腕のたつ実力者であることと、瞬時に連携を取れるほど場数を踏んでいることが、誰の目から見ても理解できるほどである。


 それに対して、悪魔は変わらず空の一所に留まり続け、腕組みをして直立状態のまま、微塵も動こうとしない。その理由は後に判明することになる。

 

 3人の魔法が掛け合わさって大爆発を起こし、悪魔を直撃した。


【ボン!ボン!ドガァァァーン!】

 

「ヘッ……ヘッへーッ!口ほどにも無いヤツめ!」

 リーダー格の男がそう歓喜の声を上げると、爆発によって生じた煙が晴れていく。

 

 しかし、そこには魔法を受ける前と、無傷の悪魔がいた。

 

 言葉を失い、呆然と立ち尽くす男達に対して、更に殺気を放った悪魔が口を開く。


「さっきの言葉といい、魔法といい、オレに対する敵対行為ってことでいいんだな?」

「い、いや、待ってくれ!お、オレたちは……」

「あーうるさい、ちょっと黙ってくれる?言い訳とか聞きたくないんだわ」

 男達の言い分など意に介さず、悪魔はをブツブツと呟き、魔法を唱えはじめた。

 その非情で冷酷な悪魔の言動を、ヒカリはただ固唾を呑んで見届けることしか出来ないでいた。


火業の死デッドレジャー


 そう悪魔が言葉にした瞬間、3人の胸元に小さな赤黒い炎が灯り、魂を吸収し始めた。

「な、なんじゃこりゃあ!」

「ぐっ……ぐおぉぉぉ……!」

「あっあづいぃ……!」

 3人ともその魔法を払いのけようと必死に抵抗するが、身体の自由は徐々に奪われ、もがけばもがく程その赤黒い炎は比例して大きさを増していった。

 次第に意識が途切れたのか、まるで操り人形の糸が切れたかのように3人は倒れこんだ。


「安心しな。お前らみたいな活きのいい人間は嫌いじゃないぜ。喰ったら美味いからな。だから楽に殺してやる……って、もう聞こえてないか」


 ニヤニヤとした表情で悪魔はそう語ると、最期の締めとばかりに指をパチンと鳴らした。

 すると、3人に灯っていた赤黒い炎が悪魔の口の中へと導かれるように入っていった。

 そして、男達の身体はゆっくりと消えていき、完全に消失したのだった。


「うーん、思ってたより美味くなかったな。それに腹5分目といったところか。まぁ退屈しのぎにはなったな」

 先程までとは打って変わって、元の様相を取り戻した悪魔は、それなりに満足そうな表情でそう言うと、この場を去ろうとした。

 

 ―― その時。


「あ、あのー、私の存在、忘れてませんか?」

「ん?あぁメスか。まだそこにいたんだな」

「め、メスとか言わないでください。ヒカリって名前があります」

「で、なんか用か?メス

「だからヒカリと申します……」

「だからなんか用か?って聞いてんの、人間のメスが!」

「……メスでいいです。あ、あのですね、先程は余りの怖さに驚いてしまい、今も腰が抜けちゃって動けないんですけど……って、そんなことは置いといて!と、とにかく助けていただき、ありがとうございました!」


「……は?」

 

 悪魔は困惑した。クエスチョンマークが全身を駆け巡った。

 

「助けた?オレが?お前を?」

「えっ?は、はい。間接的ではありますが……それにやりすぎでは?とも思いましたが……」

「タスケタ……カンセツテキ……?」

「……あのー、失礼なことをお聞きしますが、もちろん悪魔……さんだって、人助けくらいしたことありますよね?」

「……えっ?お、おう当たり前じゃないか。本当に失礼なメスだな。昔はな、よく人助けと仲良く遊んでた時期があってだな……」

「……ホントに意味わかって言ってます?」


 ―― わからない。悪魔はヒカリの言っていることの意味と本質を、本当に理解出来ないのだ。


 そもそも悪魔の行動原理は単純明快で「ただ己の欲望のままに動く」ことであり、そこに「善」や「悪」といった概念そのものが存在しないのだ。


 一方、なるべく悪魔を刺激しないよう探り探り会話をしていたヒカリは、やり取りの中に違和感を持ったことがキッカケとなり、天啓を思わせる閃きが全身を駆け巡った。

 そのシナリオを実現するべく、悪魔との大勝負へと踏み入れる。


「悪魔さん、私の聞き違いでなければ、あなたに成し遂げられない事は無いと仰ってましたよね?」

「おう」

「それには人助けも含まれていますか?」

「お、おう、いや、どうなんだろ……」

「含まれてますよね?」

 段々と語気が強まってくるヒカリに戸惑う悪魔。

「……正直、人助けってのが何なのかよくわかんねぇ」

「わかりました。まずそこから説明します。先程までそこに居た3人に私は襲われていました。すると、あなたが現れて食べてしまった。ここまでは解りますね?」

「おう」

「人を殺める事は許されることではありません。けれど、結果的に私は襲われる事なく、無事に生きています」

「おう」

「つまり悪魔さんは、経緯はどうあれ、私を助けたことになります」

「ちょっとまて。だからそれが何で人助けになるんだ?」

「あぁ!もう!なんでわからないかなぁ!このバカ悪魔!」


 ―― ついうっかり。

 では済まされないミス。心の声までこぼしてしまったヒカリの表情は一瞬にして青ざめ、死を覚悟した。


 ところが、ヒカリの思いとは裏腹に、悪魔は自分の理解が及ばないという現状に、首を傾げたり、遠くを眺めたりと考えにふけっていて、ヒカリの失言には無反応だった。


「た、助かった……」

 それがヒカリの素直な感情だった。

 しかし、これが逆にチャンスだと感じたヒカリの危険な綱渡りは、まだまだ続く。


「先程は極めて失礼な事を言ってしまい、本当に申し訳ありませんでした」

「ん?気にすんな。それよりも、もっとわかりやすく説明してくんねぇかな?」

「わ、わかりました。では例え話をします」


 ヒカリの話に興味が湧いた悪魔は、自然と彼女の側まで降り立ち、気づけば横に座り込んでいた。


「いいですか?もし仮に、悪魔さんが空腹で倒れそうになったとします」

「いやいや、そんなことにはならねぇよ」

「仮の話です!あなたは空腹で倒れそうなんです!」

「わ、わかったよ。そんな怒るなって」

「怒ってないです。それで、今にも死に絶えそうな程、苦しいとします。はい、やってみてください」

「やるって、なにをよ?」

「演技です。その方がきっとわかりやすいので。さぁ、あなたは今にも空腹で死に絶えそうな状態です!」

「……クウフクダァ」

「う、うん、まぁいいでしょう。そこに現れたのがこの私、ヒカリです」

「あぁ、なるほど。そこでお前の魂を喰えと」

「違います!最後まで話を聞く!」

「あ、はい」


「そこに現れた私は、空腹で辛そうな悪魔さんに、こうするのです」


 そう言うとヒカリは、この世界では知らぬ者はいないほど、最もポピュラーな「ハラー」というビスケット状の見た目をした食べ物を、カバンの中から取り出し、悪魔に差し出した。


 そしてニコリと笑って、こう続けた。


「どうです?何だか幸せな気持ちになりませんか?」



「いや、別に」


 悪魔は手渡された食料をペロリと飲み込んで、悪びれる様子もまったくない。


 ―― ダメだこの悪魔、予想以上に手遅れだ……。


 そう感じたヒカリは項垂れたが、決してまだ諦めた訳ではなかった。

 もし、この大勝負がうまくいけば、展望がある事を確信していたからだ。


「悪魔さんは何も感じなかったかもしれませんが、もし同じ境遇の人々がいて、同じように振る舞えば、その人々は救われるのです。そして、感謝してくださいます」

「へぇー、そういうもんなのか」

「こういった行為を、私達は「善行」と言っています」

「ゼンコウねぇ……」

「そう、「善行」です。そして、最初の方で確認しましたよね?悪魔さんには成し遂げられない事はないと」

「そうだ、オレに成し遂げられぬ事などない」

「では、こういうのはどうでしょう?私はこの世界を旅しながら、人々に善行をして廻っています。それに悪魔さんも同行していただき、悪魔さんでも善行ができるということを私に証明してみせてください」


 ―― そう、これがヒカリの描いていたシナリオであった。


 悪魔に善行をさせる事で、いずれ理解が及べば良し。同行させる事で、旅の危険度が減れば尚良しの、二段構えの構造で、下手をすれば悪魔の機嫌を損なう事になり、殺されたかもしれないという危険な綱渡りを何とか渡りきった、まさに快刀乱麻を断つ見事な計画であった。


 だが、悪魔の考えはもっと単純なもので、

「いい退屈しのぎになりそう」

「成し遂げなければならない問題ができた」

 という、ただそれだけの事だったが、それが奇跡的に2人の思惑を一致させる結果となった。


「なるほど、面白い。未だに善行ってヤツは理解不能だが、お前が教えてくれるのだろう?なら成し遂げてみせてやる」

「そ、それじゃあ……」

「あぁ、いいだろう。同行してやる。退屈でしょーがなかったところだったし、いい暇つぶしにはなるだろうからな。それに、今までオレの成し遂げてきた偉大な功績を語り告げるヤツは1人もいなかったわけだが、メス、いや、ヒカリとかいったな?お前がオレという歴史の証人となれ!」

「……わかりました。証人になります」

「決まりだな」

「悪魔さん、これから色んな事があると思いますが、何卒よろしくお願い致します」

「おう。そんなことより早くゼンコウを教えろよ」



 善悪の概念を持たない悪魔。

 その悪魔に善行を教え説くヒカリ。



 二人の長い旅が今始まる……。

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