第8話 水の神と寛太



「出ていけ! 人間ども」


 水の神は、翔琉達を睨みつけ低い声で言い放つ。


「水の神、話を聞いてくれ」


 翔琉は声をあげる。


「話を聞けだと? 話もせずに池を埋め立てた人間がよくそのようなことを言う」

「それは俺達人間が悪かった! 謝る!」


 翔琉と亘は頭を深々と下げる。


「言い訳だが、ここの者達は水の神の許しを請わないといけないことを知らなかったんだ。だからこのようなことになってしまたんだ」


 すると水の神の怒りのオーラが膨れ上がる。


「知らなかったからすべて許されるというのか! 知らなかったから何をしてもいいのか!」

「それは……」


 翔琉は何も言えなくなる。そんなことは絶対にあってはならないのだ。


「人間はいきなり来て我の池を埋めた。我はやめてくれと何度も言った。何度も気付いてもらうために人間に障りまで起こした。だが誰も聞き入れなかった。それだけならまだしも、人間はどんどんと木を無造作に伐採し、川を堰き止め、好き勝手に土地を破壊していった。それが原因でこの場所は不浄の場になってしまったのだ!」


「だからこれほどもまで淀んでいるのか……」


 シュラが眉を潜め呟く。


 池を埋めただけであったならここまで水が淀むことはなかったはずだ。池へと流れ出ていた川が行き場を無くせば、道を変え大地を流れ新たな水みちを作り大地を清める。だがその川までもせき止め、木の伐採など自然を破壊したことにより気の流れが大きく変わり、土地は汚れ、水の神も魔物に成り下がってしまったのだ。


「そんな自分勝手な人間をなぜ許さねばならぬ! 我の言うことに耳を傾けなかったあやつらが憎い! 絶対に許すことは出来ぬ! お前らも同じじゃ! ここから出ていけ!」


 水の神は手を横に薙ぎ払う。刹那、手から水が勢いよく現れ、津波のように大量の水が翔琉達へ襲いかかった。

 翔琉はすぐに右の中指と人差し指を立て、両手で十字を作り左手で今度は大きな五芒星を描く。


「【金城鉄壁きんじょうてっぺき】」


 すると光輝く五芒星が大きく現れ壁を作り水を弾いた。


「ああなると、やはりこちらの言うことは聞かねえな」

「ああ。救う手立てはないな」


 シュラとリュカは、万策尽きたと肩を落とす。


「どうすればいいんだ……」


 翔琉は歯噛みする。

 すると、ポン吉が小走りに走ってきた。


「ハクラ!」

「ポン吉? 勝手に入ってくるんじゃねえ! 危ねえぞ!」


 翔琉の隣りに来たポン吉へ注意をする。だがポン吉はそれには応えず水の神へと叫ぶ。


「ハクラ! わしじゃ!」


 すると水の神――ハクラがポン吉を見る。


「……チビ」


 ハクラの言葉に、翔琉達は場違いにも目を点にする。


「チビ?」

「えらい言われようだな……」

「リュカがガキと言うのと変わらないけどね」


 そんな翔琉達の呟きに気付くことなくポン吉はハクラへ叫ぶ。


「そうじゃ。チビじゃ!」


 するとハクラの怒りが少し収まる。


「ハクラ! もう怒るのをやめるのじゃ!」

「何を言っているチビ。お前もやしろを壊されたのだぞ!」

「そんなことはいいのじゃ! 社などまた作ってもらえばいいだけじゃ」

「何を言っているのだチビ! 社はお前の父も大好きだったのだぞ! それを人間が勝手に壊したのだぞ! それでも許すと言うのか!」

「そうじゃ! わしは許す。もうここの住人は全員病気で亡くなっておらぬ。もう罪は償っておるのじゃ! だからハクラも怒りを鎮め、人間を許すのじゃ!」


 するとハクラはギッと睨み、また怒りを露わにする。


「許すだと? 出来るわけないではないか! 人間は皆身勝手で利己主義者なやつばかりじゃ! そんなやつら全員我の苦しみを思いしればいいのじゃ!」


 するとポン吉は、静かに言う。


「本当に全員そうだっか?」

「なに!」


 ポン吉は、今度は強い口調で言う。


「本当に誰1人、ハクラのことを思った者はいなかったかと聞いておるのじゃ!」

「……」

「違うじゃろ! お前のことを気に掛けておった男子おのこがいたじゃろ!」

「!」


 ハクラのつり上がった目が憂いの目へと変わる。


              ◇


 100年前。


「ごめんね神様。父さまや母さまに話したんだよ。神様が池がなくなって悲しんでるって。でも信じてくれなかったんだ」


 寛太かんたは、木の下にいたハクラに言う。


「何回もお願いしたんだ。池を作ってくれって。でもだめだったんだ」


 そして寛太はタライに水を汲んできてハクラの前に置く。


「このお水で我慢してね。あとね。今日大福持ってきたんだ。一緒に食べよ」


 そう言って寛太は懐から紙に包んだ大福を出す。


『寛太、ありがとう』


 ハクラは笑顔で微笑む。すると、寛太がゴホゴホと咳き込み、その場にうずくまる。


『寛太! 家の中へ戻るのだ』

「大丈夫だよ」


 すると家の中から慌てた様子で寛太の母親が走ってきた。


「寛太! またそんなところにいたのかい?」


 母親は寛太を抱き抱え、木の根元を見る。


「またタライを持ちだして。だめじゃないか」


 そしてタライの水を捨てようと手をかけた時、寛太が叫んで止める。


「母さま、それを動かしちゃだめ! 神様が使うんだから!」

「またそんなことを。神様なんてこんなところにいないよ」

「いるの! だからタライはそのままにしておいて! ゴホゴホ」

「わかったから。さあ外は冷える。早く中に入ろうね」


 母親は寛太を抱いてその場を離れた。だがすぐに使用人が来てタライの水を捨て持って行ってしまった。



 そんな生活が1ヶ月続いた。その間毎日寛太はハクラにタライに水を汲み運んだ。


 そんなある日、寛太はタライを持っていつものようにやってきたが元気がない。


「寛太、気分が悪いのではないか? ここにいてはだめだ。家に戻りなさい」


 案の定、コンコンとせいている。最近寛太はよく咳込み顔色も良くなかった。土地が淀んでいるため、体が弱い寛太に一番に影響が出ていたのが明らかだった。だからハクラは心配でならなかったのだ。


「大丈夫だよ。今日は神様にこの子を見せたくて」


 そう言ってタライを見せる。そこには小さな鯉が2匹入っていた。


「母さまが買ってくれたんだ。かわいいでしょ。ゴホゴホ!」

「寛太、分かったから戻りなさい。今日は木枯らしが吹いて寒い。体にさわる」

「うん。でも今日は神様と長くいたいんだ」


 そう言って笑う寛太は、これがハクラと会えるのが最後だということを魂が分かっていたのだろう。それ以後寛太がハクラの所にやってくることはなかった。喘息が悪化したのだ。


 それから1週間後、寛太はそのまま帰らぬ人となった。


 ハクラは悲しみに打ちひしがれた。ハクラの悲しみは雨雲を呼び、三日三晩雨を降らせた。

 寛太の死はハクラの負の感情を増幅させた。そして魔に飲み込まれたのだ。



             ◇



「……寛太」


 ハクラはその名を呟く。


「そうじゃ! 寛太のことを忘れたか! あやつは死ぬまでお主を気にかけていたではないか!」

「!」


 ポン吉はさらに言う。


「寛太はお主にそんな姿になってほしくなくて、お主に毎日タライに水を入れて運んでいたのじゃろ!」

「!」


 ハクラは目を見開く。


「お主は、寛太の願いを無下にするのか! それでも水の神か! 土地神か!」


 ハクラからはもう怒りのオーラはなくなっていた。そのかわり、ハクラの目から涙が止めどなく流れていた。


「……寛太」


 そしてその場に泣き崩れる。それと同時にポツポツと雨が降り出し、大粒の雨へと変わる。だが誰もその場から動こうとしない。翔琉達もポン吉とハクラから目が離せないでいた。

 すると雨音に混じって、草を踏みつける音が後ろからゆっくり近づいてきた。


 見れば、時和とわだ。


 時和はハクラへとどんどんと進み出る。それには翔琉は驚き叫ぶ。


「時和!」


 時和を止めようとするのをシュラが腕を掴み止める。見れば、シュラは神妙な顔をして首を左右に振るだけだ。翔琉はそんままその場に留まり視線を時和に向けた。

 時和は泣き崩れているハクラの前まで来ると、ハクラの頭をなでる。


「神様、もう泣かないで」


 時和の声にハクラは顔を上げる。その顔は魔物ではなく、とても美しい女神の姿だった。

 ハクラは時和を見て目を見開き呟く。


「寛太……」


 すると時和は笑顔を見せる。


「うん寛太だよ。神様、やっと気付いてくれた」

「寛太じゃと?」


 ポン吉は驚き時和を見る。すると時和に重なるように寛太の姿が見えた。


「僕、神様に謝りたくて」

「?」

「神様、神様の池を黙って埋めてごめんね。ずっとお水をあげれなくてごめんね。僕が小さくて力がなくてごめんね。助けてあげれなくてごめんね。そして黙って先に死んでごめんね」

「!」

「それをずっと言いたくて。でも言えなくて……」

「寛太!」


 ハクラは寛太――時和を抱きしめる。


「我こそ寛太に何もしてやれなくてすまなかった。助けてやれなくてすまなかった」

「ううん。神様は悪くないよ。だから泣かないで」

「……」

「神様、お願い。もう怒らないで。昔の優しい神様に戻って」


 ハクラは抱きしめていた寛太を離し顔を見て呟く。


「寛太……」


 寛太は願う。


「そして泣かないで。神様が笑ってくれないと、僕は心配で上に行けないよ」

「!」


 ハクラは目を見開く。


「僕は神様にはいつも笑っていてほしいんだ。だから泣きやんで」


 ハクラはふっと笑う。


「そうだな」


 ハクラは寛太の頭をなでる。


「ずっとお前は我に謝るために、そして我の怒りを鎮めるためにこの世に留まってくれていたんだな。すまなかった。そしてありがとう。お前の気持ち、ちゃんと受け取った。我はもう怒ったりしないから」

「ほんと?」

「ああ」


 寛太は蔓延の笑顔を見せる。


「もうお前をあちらに帰らせてやらないとな。お前の両親もずっと待っているだろう」


 ハクラは寛太の頭の上に手を翳す。すると光の粒子が寛太へと降り注ぐ。


「さあ行くのだ」


 寛太は笑顔で頷く。


「うん。神様、じゃあね」


 そして寛太の魂は光りとなって消えて行った。


「寛太……」


 すると時和が、現代から持ってきた金魚が入った袋を差し出した。


「神様、これあげる」


 ハクラは顔を上げて時和を見る。


「だからもう泣いちゃだめだからね」


 そう言って笑顔を見せる時和の顔が、鯉を見せる寛太の笑顔と重なる。


「神様にあげるから笑顔になって」

「ありがとう……ありがとう……時和……」


 顔をぐちゃぐちゃにして泣きながらハクラは時和を抱きしめた。


「よかった。本当によかったのじゃ」


 ポン吉もハクラに抱きつき大泣きした。



 雨はいつの間にか上がり、空には虹が見えた。





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