086 カンテラの中の小さな朝
一息入れようか。そう告げるやすぐに席を外したからだろう。
ルズレーの話を聞き終えて、ヒイロが何を思ったのかをクオリオは知らない。
けどもコーヒーを注いだマグカップ二つを手にクオリオが戻った時の横顔は、部屋から出る際のものと変わらない神妙なもので。
湯気立つカップを顔に押し当てる勢いで差し出して、そこでようやくヒイロは普段の仏頂面へと帰ってきたのだった。
「もうそろそろ寝るってのにコーヒーかよ」
「文句を言うなら飲まなくていい」
「飲まねえとは言ってねえ」
ついでに、普段の減らず口ぶりもセットで。
「⋯⋯つか、うめえなこれ」
「僕が淹れたんだ、当然だろう」
「あ?嘘言えよ。食堂の誰かに頼んだんじゃねえのか」
「この時間に残ってる訳ないだろう。そんなに意外か」
「そうでもねえ、似合ってんよ。ほっといたら豆の種類の蘊蓄とか延々喋ってやがりそうだし」
「どういう言い草だ」
あんまりな言い草だが、否定出来ないのも事実である。
並外れた探求心と知識欲。ついには喋りたがりまで芽生えてしまっている自覚が、クオリオにはあっただけに。
ごくりと飲んだ一口に、余計な苦味まで合わさった気分だった。
「それなりに、褒められたこともあるんだぞ」
「へえ。誰に?」
「⋯⋯父上に。騎士学園に入る前は、僕の朝の仕事だったからな」
「⋯⋯ふーん。甲斐甲斐しいな、坊っちゃん」
「⋯⋯⋯⋯」
黙り込むクオリオに、ヒイロは小首を傾げた。
坊っちゃん呼びを咎めもしないし、誇らしげでもない。
黒い水面に視線を落とし、コップを静かに撫でるだけ。
横顔は、月を見て鳴く犬のようだった。
「ゴホン。そういえば⋯⋯いや、違うな。せっかくの機会だし、聞いておきたいことがあるんだけど」
「あァ?なんだよ」
「シュラのことだよ。君、なんて言って彼女を説得したんだ? 普通の魔獣に対しては相変わらずだけど、白魔獣⋯⋯リャムのモクモンとかには、少し態度が軟らかくなってきてるみたいだし」
「⋯⋯」
「もちろん、無理に聞くつもりはない。ちょっとした興味本位だし」
なにかを誤魔化すような勢いだったが、気になっていたのは事実だった。
あの一件にはクオリオも相当肝を冷やしたのだ。ともすれば早くも小隊瓦解の危機だったほどなのに、あれ以降シュラは変わって来ている。
明らかに目の前の男が丸く収めてみせたという事だろう。
安易に踏み入るべきではないとしても、やはり興味はあった。
しかし。
「⋯⋯ん。別に良いんじゃねえか? 大したこと言った訳じゃねえし」
「そうなのか?」
「おう。まあ、ちょいと『俺をぶった斬っていいぞ』っつっただけだ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯は?」
好奇心は猫をも殺すというが。
この時ばかりは、クオリオの思考もさっくり殺られたのだった。
◆
「────いやいやいやいや!! どういう説得の仕方だ。いや、本当に。キミは馬鹿か。いや馬鹿だけど。つくづくもうほんとバカだ」
「そこまで言うかテメェ」
「言うよ!むしろ全く言い足りないくらいだ!」
全貌を聞き終えて、クオリオはつくづく目の前の男が理解の及ばない存在であることを噛み締めた。
「だってもう脅迫みたいなものじゃないか。君がとんでもない魔獣になりそうだって点に、無駄に説得力があるところとか質が悪いし。もっと別の言い方があっただろうに。よくシュラも納得したもんだ」
「く、言いたい放題言いやがって。だったらテメェならどう言ってたってんだ、あァ?!」
「⋯⋯そうだな。視点を変えさせてみるとか?」
「視点だと?」
「僕らは騎士なんだから、より多くを護る為の『術』を保持することもまた、魔獣にとっての脅威と考えられるだろう?」
「⋯⋯あ?ど、どういう意味だ」
「つまりだ。リャムのモクモンも君の凶悪も、白魔獣ではあるけれど魔獣を倒す為の立派な術だ。魔獣への復讐が目的なら⋯⋯騎士が保持する白魔獣を見過ごす方が、より効率的に魔獣の数を減らす事に繋がるんじゃないか?」
「⋯⋯、⋯⋯おう。確かに」
「それこそ、ヒイロがとてつもない魔獣になるリスクを減らす事にも絡められるし、我ながら悪くない説得だと思うけどね」
「ぐ、く、く⋯⋯⋯⋯」
完膚なきまでの正論を前に、ヒイロはぐぬぬと押し黙る。
本来ならばすかさず言い返しているところだが、実際シュラにも滅茶苦茶だの支離滅裂だのと言われてただけに、言い返せないのだろう。
そんなルームメイトの様子を、我が身を振り返させる良い機会だと思いつつ、零れそうな溜め息をコーヒーで流し込むクオリオだった。
(『憎しみ全て注がなければ、魔獣と化した自分には勝てやしない』か⋯⋯⋯⋯はあ。情けない。僕も大概毒されてるよ)
しかしクオリオはクオリオで、我が身を振り返らなくてはならない。
常軌を逸したヒイロの説得。けれどもふと思ってしまうのだ。
自分がもし、魔獣への憎しみを募らせる過去があったとして。
シュラと同じように衝突し、ヒイロにそう言われてしまったら。
(⋯⋯滅茶苦茶でもコイツなりの理屈なんだ。馬鹿げていても真剣なんだ。だからこそ逃げ道も作らせてくれない。本当に、つくづくたちが悪い)
きっと、彼女と似たような結論に落ち着いてしまう自分が、呆気なく簡単に想像できてしまって。
なのにどうにも嫌な気分にならない事こそが、ヒイロに毒されてる何よりの証だった。
(シュラ。きっと君も、そう思ってしまったんだろうね)
同情するよ──と。
そう同じ穴のムジナは苦く笑って、天井を仰いだのだった。
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