085 薄い月夜のボーイズトーク


 雲が濃くて、だから月が薄くなる夜。護衛任務について告げられた昼間の喧騒が、遠く思えるくらい静かなひとときに。

 ぼんやりとした溜め息が、騎士寮の一室にて響き渡った。


「はぁ⋯⋯またか」


 憂鬱な表情を隠そうともしないのはクオリオである。

 軽く頭を抱えている彼の片手には、一通の手紙があった。

 その手紙こそが憂鬱の原因なのだろう。やけに高級感のあるソレを、クオリオは今にも机上のカンテラへと投じてしまいそうなほどであった。


「おい」

「む」


 ついには本当にカンテラの方へと手が伸びていたクオリオを止めたのは、ぶっきらぼうなルームメイトだった。


「これ見よがしになに溜め息ついてやがる。また納得出来ねえ論文でも見つけやがったか?」

「そんなんじゃないさ。いや、実は家から見合いの催促が来ててね」

「見合いだと?」

「あぁ。毎度毎度、どこかしらの令嬢のプロフィールを送ってきては目星をつけろとしつこくてね。そんなものに時間を割くなら、まだ微妙な論文でも眺めていた方がマシだっていうのに」


 いかにも悩ましげだっただけに、拍子抜けしたのはヒイロである。

 遡れば訓練生時代。更に本隊所属となり新たに用意された騎士寮でさえ同室となったクオリオから、こんな色気のある話題が持ち込まれた試しは無い。

 だからだろう。ヒイロの仏頂面には、呆れよりも驚きの方が色濃く浮かんでいた。


「色恋に悩めるなんざ、平和な証だろうがよ」

「れっきとした政略だよ。色恋でもなんでもないだろ。というかむしろ君こそ色恋に悩むべきだと僕は思うけどね」

「喧嘩売ってんのか。そういう相手も居ねぇのに、どうやって悩めっつうンだ。テメェのおこぼれに預かれってかァ?」

「⋯⋯勘弁してくれ。僕はまだ斬られたくはない。命が惜しいよ」

「?」


 そこで心当たりがないとばかりに首を傾げるヒイロに、クオリオは別の意味で頭を抱えたくなる。


「テメェ、あの猫姉妹共とは仲睦まじくやってんだろ? シャムとは顔を合わせりゃ言い合いしてるし、リャムには本まで貸してやがるしよ。俺にゃ絶対貸そうとしねえ癖に」

「仲睦まじく、って。君にしては含んだ言い方をするじゃないか。というかね、シャムはともかくリャムはむしろ⋯⋯」

「あァ?むしろ、なんだよ」

「⋯⋯なんでもない。変に指摘してせいで巻き込まれるのは御免だ」

「???」


 本の貸し借り云々で仲睦まじいなら、ヒイロくん呼びされてるお前はどうなるんだよ。馬鹿なのか。いっそほんとに一回斬られてしまえ、と。

 胃の辺りを抑えながらクオリオは割と本気でそう思った。


「あと、君に本を貸さないのはどうせ粗雑に扱われるからだよ」

「あ? そいつは、星獣冠目録の件でか」

「違う。今更あの一件を持ち出すほどに僕は女々しくない。ただ常日頃の君を見ていればね、うっかりページを破ったり折り目を作ったり、表紙を傷付けたりされそうというか」

「ひでえ言われようだなオイ」


 さながら野生動物か幼児のような扱いである。

 流石に言われっぱなしではいられないのか、すかさずヒイロは反撃を試みた。


「つうか、テメェだって大概粗雑だろうがよ。特に身だしなみ。毎度靴下は左右で色が違えし」

「う」

「その黄色いローブも、ところどころほつれてやがるしよ」

「ぐ」

「指摘してやらなきゃ寝癖だって放ったらかし。日頃の坊ちゃんぶりが見て取れんぜ」

「ぼ、坊っちゃん呼びはやめろ! 君にそう呼ばれると鳥肌が立つ」

「うるせえよ。テメェはあれだ、しっかり者に見えてだらしねえからタチが悪い」

「どういう暴論だ!普通にだらしなさそうでだらしない君にだけは言われたくないな!」


 水掛け論のような酷い口論だった。しかしこれは別段、初めてという訳では無い。彼らのそれなりの付き合いの長さが、時たま妙な意地の張り合いを産んでいた。

 これまたそれなりに付き合いが長いエシュラなリーゼさんがこの場に居れば、どっちも大概だと吐き捨てるであろう。

 無論、彼女自身も割と大概なのは棚上げにして。


「口が減らない奴め。せっかく君の知りたがっていた事を教えてやろうと思ったのに」

「あァ?もったいぶった言い方しやがって。どうせ大したことじゃねえってオチだろ」


 男同士のしょうもない小競り合いである。これまでの勝敗の累計さえ不確かなほどだ。

 けれども今宵、軍配が上がったのはクオリオの方であった。


「へえ。君にとって、ルズレーとショークのその後については、大したことじゃないのか?」

「んなっ⋯⋯!!」

「少しばかり家の者に頼って、調べて貰ってたんだよ。なんだかんだで気にしてるみたいだったからね」

「⋯⋯」


 あの一件以降ヒイロは直接口にこそしていないが、ルズレー達を気にかけているのは明らかだった。

 そこでクオリオは密かに実家の使用人を頼り、彼らの顛末を探っていたのだ。


「知りたいんだろ?」

「⋯⋯おう。教えてくれ」

「ふふん。仕方のないやつだな」


 いかにも「してやったり」な態度だが、傍から見ればただの友達想いの良い奴でしかない。

 そこに気付かずヒイロの殊勝な態度に溜飲を下げる辺り、やはりクオリオも大概なのであった。


「まずはショークだが、剥奪処分になった以上はルズレーとの縁も切れたようだね。今はアスガルダムの南地区辺りで日銭稼ぎをしてるらしい」

「ショークの奴が、か。手癖の悪さ活かして、盗みでもやってんじゃねえだろうな」

「さてね。でも今のところ、騎士団の世話になるような真似はしてないみたいだ。心を入れ替えて真面目に、って性格でもないだろうけど」

「⋯⋯まァ、しぶとくやってんならソレで良い」

「お優しいことで」

「チッ、そういうんじゃねえよ」


 まずはショークの顛末を聞いて、ヒイロは腰掛ける椅子をギィッときしませていた。クオリオからすれば嫌悪感しか湧かない小悪党だが、彼からすれば違うのだろう。

 ぼんやりと思慮にふける横顔に、クオリオは深く踏み込むことはしなかった。


「ん。それで、ルズレーの方だけど⋯⋯今はまだ、セネガル家の領地で謹慎中だってさ」

「あいつも、剥奪食らったんだよな」

「ああ。また上役に金でも積んで処分を間逃れてるかと思ったけど、どうやら違ったみたいだ。家が家だけにあまり情報も探れなくてね、屋敷の中で休養してるってことくらいかな」

「⋯⋯⋯⋯そうか」


 あまり進展のない報告ではあったが、それでもヒイロは噛み締めるように呟いた。彼からすれば、ルズレーがまた悪どい手段で保身に走ろうとしないだけ吉報だったかも知れない。

 しっとりと目を閉じる横顔は常日頃のヒイロらしくなく、あまり落ち着かない。



「⋯⋯、──ああ、そうそう。一つ言い忘れていた」


 だからだろうか。

 クオリオはどこか観念したように、暖めておいた最後の札を早々と切ったのだった。


「ルズレーについてだけど、実はこの前⋯⋯ラステルから少し気になる話を聞いたんだ」

「ら、ラステル?」

「⋯⋯僕らがまだ訓練生の頃、寮のまとめ役をしてた彼だよ。君が本片手に泥だらけになった夜にだって、思い切り世話を焼かせただろうに」

「⋯⋯、⋯⋯、⋯⋯⋯⋯ああ、あの口うるせえ真面目クンか。で、そいつがどうしたってんだ」



「⋯⋯ハァ、まあいい。で、そのラステルが、ルズレーが寮から引き払う時にたまたま出くわしたみたいでね。その際に問い詰められたらしい」


「あン?⋯⋯問い詰められたって、なにをだよ」


「ああ、それがね⋯⋯」






「──ヒイロ。君が毎日やっていた、"鍛錬の内容"だってさ」







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