079 死が二人を別つまで


 降ってきた声に、シュラは振り向く事はしなかった。

 風に好き放題乱された髪を手で抑えながら、少しだけ背を縮こめる。そこに彼女の美貌に基づいた色っぽさはなく、叱られる事を怖がる子供のような無垢さがあった。


「なんで来たのよ。今、アンタの顔なんて見たくないの」

「知るか。なんで俺がテメェのわがままなんぞ聞いてやらなきゃならねえんだ」

「こういう時くらい放っておいてよ」

「二度言ってやる。テメェのわがままなんぞ知るか」


 どこまでも勝手なヤツだ。

 目を合わせようともしない女に、了解さえ得ないで隣にのしっと座る。走って来たのだろう。少しだけ香る汗の匂いに、シュラはキュッと片膝を抱えた。


「魔獣が憎いか」

「っ。そう見える?」

「そうにしか見えねえな」

「だったらアンタの目は正常よ。そうね、憎いなんてもんじゃないわ。アタシは滅ぼしたいのよ。魔獣と名の付くものは全て」

「全て、か」

「ええ」


 クッションを挟まない本題の切り出し方は、本音しか許されない。だからシュラも臆さずに切り捨てられた。

 魔獣は全て滅ぼしたい。黒も白もなく、全部。彼の指に収まった、彼の力でさえ。

 重々しい誓い。けど音にすれば軽かった。軽はずみに過ぎた。

 シュラは、気づかれないように後悔をする。

 今の本音は敵対の意思とも取られかねない。

 大きな亀裂が生まれるかもしれない。

 自分だけの灰色の世界の足音が聞こえて、たまらずに片膝を強く抱き締めた。


「魔獣ってのは、人間の未練が元になってるんだろ?」

「⋯⋯!」

「知りはしなかったが、心当たりはあったってところか。まァ、俺もさっきクオリオに教えて貰った仮説だがな」


 魔獣は、ヒトの未練から生まれる。

 多くの魔獣を葬ってきたシュラとて知らなかった話。けども考えなかった訳ではなかった。

 魔獣狩りとして生きていた頃、大量発生する地にはなにかと災害や紛争の痕跡があった。多くの人の死に、呼応するように奴らはやって来ている。

 そんな魔獣の在り方に嫌悪感を覚えつつも、引っ掛かってはいたのだ。


「っ。だからなんだっていうのよ。魔獣を討つことは、人を討つことと変わらないって言いたいわけ?!」

「馬鹿言えよ。魔獣殺しは人殺しなんて理屈は、テメェ自身の考え方次第だろうが。俺に糾弾するつもりもねえし、資格もねえよ」

「だったら、なにが言いたいのよ!」

 

 復讐をやめろと諭す訳でもない。

 魔獣は人の想念が元だから殺すなと、安易な正義感を振りかざす訳でもない。

 ヒイロの意図が分からなくて、シュラは顔をあげた。

 泣き出しそうな幼子の様な目で、はじめて隣を見つめた。

 するとヒイロの薄い翡翠色の瞳が、優しくスッと細くなり。


「俺が死んだら、並外れた未練が残る」

「⋯⋯え」


 静かに告げた。

 己が通りかねない末路を。


「俺は夢を掴み取ると誓った。この国一番の騎士になると。俺自身に。テメェにも言ったな。そんな俺が道半ばで折れるような事があったなら、まず間違いなく魔獣になるだろうよ」

「⋯⋯それは」

「しかもだ。並じゃねえ。なんせ俺が基だ。それこそ世界がプチッと滅びかねねーほどに、やべえ魔獣になんのは決定事項だろうよ」


 もし仮に未練の大きさで、魔獣の強さが決まるなら。

 きっとヒイロは未曾有の怪物となるだろう。

 彼の想念をシュラは知っている。見ている。感じている。浴びている。


「だから。いいか、アッシュ・ヴァルキュリア。

 ──その時は、テメェが俺を斬れ」


 だからこそ、彼の言う末路は想像に難くなくて。

 

「そんかわり、テメェの人生を他の小物なんぞに捧げるような生き方すんな。あの煙も、この凶悪も、俺に比べりゃ目くじら立てるまでもねえだろ」

「⋯⋯⋯⋯」

「テメェは俺だけ見てりゃ良いんだよ」


 もしそうなったら。

 唯我独尊たる怪物相手じゃ生半可ではいられない。

 きっと他の一切に気を取られていては、かなわないのだ。

 託された介錯の役目は、ヒイロだけを見なくてはさなわないのだ。

 シュラにとってはあまりに残酷で、優しい──凶悪に過ぎる、白い脅迫。

 けれど。 


「⋯⋯⋯⋯、────は」


 正義などよりも、よほど身勝手な押し付けに。

 シュラは疲れたように口角を上げた。


「馬鹿、じゃないの」


 ああ。そうだった。

 忘れてはいない。でも改めて突き付けられた。

 こいつはこういうやつなんだって。


「アンタを斬れって。なにそれ。死んだ後までアタシに面倒見させる気? ほんっと、最低。馬鹿」

「うるせえ。死んだ後までってなんだ。テメェにンな世話かけた覚えはねえぞ」

「かけてるわよ。ぐちゃぐちゃよ。アタシの人生、また狂ってきてんのよ⋯⋯アンタのせいで」

「あァ?」


 かつて閉じ籠もった修羅なる世界を、知ったことかと壊すのがヒイロ・メリファーという男だった。

 こういう風に。自分だけの理屈を押し通して、自分の命を差し出して、納得しろと言ってくる。


「簡単に復讐を捨てられる訳ないじゃない」

「捨てろなんざ言ってねえ。俺だけ見てろって言ってんだ」

「アンタは魔獣じゃなくて人間でしょう」

「今は、ってだけだ。未来は分からねえだろ」

「⋯⋯どうなるかも分からない未来の為に、今の憎しみ全部注げっていうの?」

「おうよ。そうでもしなきゃ、魔獣と化した俺様には勝てねえぜ?それとも逃げるか、アッシュ・ヴァルキュリア!」

「⋯⋯⋯⋯はぁ。ほんっと意味分からない。滅茶苦茶よ。アンタはもう、いつだって、荒唐無稽で自分勝手で⋯⋯」


 憎しみを簡単に捨てられるはずもない。

 捨てろとも、彼は言ってない。

 ただ自分を見ていろと、無理矢理な結論だけに押し込もうとする。


「⋯⋯⋯⋯もう、分かったから。アンタだけ、見てればいいんでしょ?」


 あまりに強引で、あまりに身勝手で。

 一方的で、損にしかならない誓いを求める理不尽な男。

 でも、本音を言うならば。

 それを望んでいた自分が居た。

 奥にまで届くくらいの彼の言葉を、卑しくも期待していたのかも知れない。

 だから。

 シュラはヒイロの提案を、断らなかった。


「──誓うわ」


 見上げながら、少女は告げる。

 大切な人達を譲った空。

 昇る黒煙はそこになく、ただ澄み渡るのは群青ばかり。


「アンタが堕ちたら、アタシが斬る。

 でもね、ヒイロ。もしそうなったら⋯⋯一生怨むから」


 捧げたのは、いつかの誓いと似て非なるもの。

 いずれ、死が二人を別つまで。

 けれど、どうか果たされないでと。

 無垢に願う灰色が、儚げに微笑んだ。





◆ ◆ ◆




「うーん、内容は全然聞こえないけど、成功したっぽいね。まさかあのシュラ姉を励ませるなんて⋯⋯やるじゃんヒイロン!」

「ば、馬鹿。あまり大きな声を出すなよ、聞こえたらどうするっ」

「聞こえたら?うーん、多分三枚に下ろされるんじゃないかな?シュラ姉、怒るとちょー怖いし」

「姉さん、ニコニコしながら言うことじゃないと思う⋯⋯」

「全くだ」

「ん。ともかーく!これでレギンレイヴ即解散ってならなくて済んだね!めでたしめでたしっ」

「気楽だな。僕はこれから気苦労しそうでならないよ」

「っさけないなぁクオっちは。だから眼鏡なんだよ」

「眼鏡関係ないだろ!」

「えー?関係ない?いや関係ある!」

「断言するなっ!君という奴は⋯⋯いいだろう、演習場に来い。いい加減その減らず口を黙らせてやる!」

「ほほーん、ヒョロ眼鏡くんがウチを相手によく言った!ぼこぼこのシャムシャムにしてやんよ!」

「ちょ、ちょっと、どうしてこっちで喧嘩してるんですか⋯⋯って、あぁ⋯⋯行っちゃった⋯⋯はぁ」




「でも、そっか⋯⋯ヒイロさんはやっぱり、誰かの為に頑張れるひとなんですね」

「⋯⋯もっと、お話とか、してみたいなぁ⋯⋯」



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