078 在りし日の影、成れの果て

「未練、だと⋯⋯」

「ああ」


 重々しく告げられた内容に、体温が下がる自覚があった。

 

「未練とは、ようは意志を持つ生き物ならば持ち得て自然な感情だ。当然色んな種類がある。その中でも憎悪、怨讐、憤懣ふんまん、犯意。強く激しい未練が黒き加欠を。心残りや寂寞、憂鬱や憂慮みたいな比較的穏やかな未練が、白き加欠となると言われているんだ」

「黒き加欠と白き加欠、ですか」

「加欠は魔獣が生まれる基っつったよな。そりゃあつまり⋯⋯」

「ああ。魔獣とは、加欠が生物や物質に宿ることによって産まれる生命体、というのが僕の支持する仮説の結論だ。そういう意味じゃ、魔獣とは人や生物が残した未練の、成れの果てなのかもしれない」


 魔獣。人類の天敵。今までそうとしか知らなかったモノの正体が未練。仮説だとクオリオはいうけれど、俺の中でしっくりと来るものがあった。

 なぜなら、あの歌う魔獣が思い浮かんだからだ。

 あいつがどうして子供を狙ったのか、幼子の骸骨を撫でていたのか。結局分からず終いだったけど、あれこそが基となった未練なのかもしれない。


(未練⋯⋯か。凶悪にも、そういうのがあるってことだよな)

《んー、さあどうでしょー。ボクはただボクのやりたいことやってるだけだし、未練だのなんだのは分かんないや。だから安っぽい同情とか止めてよね?》

(そんなんじゃない。ただ⋯⋯)

《ただ?》

("似たようなもんって思ってさ。俺も、お前も")

《⋯⋯ふーん。よくわかんないけど、マスターみたいなお馬鹿さんと一緒くたはちょっとねー》

(⋯⋯ひどい)

《当然の主張でーす》


 同情とかじゃない。けど共感があった。

 俺が死んだのは女神様のミスだった訳だけど、もしそうじゃなかったら。俺はきっと強い未練を抱いていただろう。

 その成れの果てが、白なのか黒なのか。


(俺だったら⋯⋯)


 ふと見上げる青い空。

 少ないながらも浮かぶ雲に、薄暗いものが混ざっていた。


「────あの、ヒイロさん」


 けど、そんな俺の袖を引いたのはリャムだった。

 白い肌に映える桜色の前髪が、緩い風に吹かれて揺れる。

 

「シュラさんのところに行ってあげてください」

「俺が、か」

「はい。ヒイロさんじゃなきゃ駄目だと思います」

「テメェのツレに因縁つけられたってのに、あいつに気遣うのか?」

「ほんとは、ちょっと恐かったです。でも、シュラさん⋯⋯怒ってたってより、傷付いてたような気がして。ですから、その⋯⋯ヒイロさんが行ってあげた方がいいんじゃない」


 恐る恐ると。でも意志はしっかり瞳に染めて。

 あんな風にシュラに詰められても気を配る辺り、見下ろすほどの背の少女は、俺が思う以上に大人だってことなんだろう。

 それに、俺が行かなきゃいけないってのも分かる。

 去り際のアイツの表情。ああさせてしまったのが誰なのか、分からないほど馬鹿じゃないさ。


「そうかよ。まァ、テメェに言われるまでもねえさ」

「⋯⋯はいっ。シュラさんは今、欧都の西外れの高台に居るそうですから」

「あァ?なんでテメェがシュラの場所を」

「ぁ⋯⋯か、勘です!わたし、すんごく勘がいいんです!はい!」

「お、おう」

「⋯⋯ふむ。こういうところは姉譲りなのかな」

「へ?」

〘モク、モク〙


 一見繊細そうに見えて、すごく強引な力業で誤魔化そうとする辺り姉妹だよな。クオリオも同意らしい。モクモンに至ってはうんうんって頷いてるし。

 けどまあ、細かいことはいいか。

 手間が省けたんなら何より。今はそれでいい。

 馬鹿な俺はいつだって、他のことに気を割く余裕なんてないから。ただ今は、アイツの顔を思い浮かべて。


「跳ねっ返りの尻、叩いてくる。ザクッと斬られたら笑ってくれや」

「大丈夫ですっ。ヒイロさんは無敵ですから!」

「薬なら用意しといてやるさ。すごく染みるタイプのね」

「おうクオリオは後で覚えてやがれな」


 少しずれた激励を受けたことだし、行くとしようか。

 へそ曲げちまった、俺のライバルの所にさ。




◆ ◆ ◆





 欧都アスガルダムの西外れの高台は、平地に比べて風が強い。

 渇いた風が髪に度々絡むが、シュラはなされるがままだった。

 どうしてかそんな気力が湧かず、抜け殻のように高台の椅子に座って、街並みを見下ろし続けていた。


「⋯⋯」


 シュラにとって、欧都は好きな場所ではなかった。むしろ嫌いな場所と言えたのかも知れない。

 ある男に敗北したことを皮切りに始まった騎士を目指す日々。

 けれど日が沈み、また昇るたびに騎士というものに失望を覚えてばかりだった。それでも此処に残り続けたのは、彼女の小さなプライドが自棄を起こしていたからかもしれない。


「⋯⋯」


 けれどもここ最近で変化があった。せてみえた灰色の街並みに、鮮やかさを感じていた。

 朝の月の綺麗さに気づけるくらいのくたびれた余裕が、いつの間にかシュラにはあったのだ。立ち止まる事を赦されない人生だったはずなのに。

 有害な優しさが、修羅なる少女の世界を気付いた時には染めていて。


「⋯⋯なんでこんなに、辛いのよ」


 だから、あんな思いさえ初めてだった。

 ヒイロの手に握られたものがなんであるかを理解した途端に、形容しきれない感情が湧き上がって。

 気付いた時には逃げ出していた。

 耳を塞ぐように。目を閉じるように。

 心配してくれているシャムの手すら、強く払った。

 ついてくるなと手酷く拒絶し、置いていった。

 今は誰にも会いたくなかった。この身を苛む感情に、火がついてしまうのが何よりも恐かったから。


「⋯⋯あの指輪。きっと、あの教会で拾ったのよね」


 思い出すのは、彼に救われたあの村での出来事。満身創痍となったヒイロの指に収まっていた、見覚えのない指輪。恐らくあの指輪が白魔獣であり、今やヒイロの矛となっているのだとしたら。

 あの力があったからこそ、バンシーとの闘いを切り抜けられたのだとしたら。

 

「魔獣は、魔獣。それでいい。いいはずなのに⋯⋯っ」


 シュラにとって魔獣は魔獣。仇は仇だ。人に利するならば白なんて判定を、彼女は持ち合わせていない。

 だからこそ自分を救ったのもまた、白魔獣の力であることに嫌悪感を覚えてもいた。

 けれどそれ以上に思うのだ。

 アタシを救ったのは、アイツであってほしい。

 背負ってくれたのも。導いてくれてるのも。アタシの世界を変えてくれたのも。

 アイツが良い。アイツじゃなきゃ、イヤ。


 でも拒んだ。だから拒んだ。逃げて、逃げて。

 今は独りで、居たくもないのに此処に居る。

 辛かった。あんな風に拒絶して、この先をどうしていいかも分からない。また塞ぎ込んだ世界に戻らなきゃ駄目なのかと思うと、肌が寒くて心が泣く。


 エシュラリーゼ・ミズガルズ。


 光を知った今だからこそ、背負うべき修羅の定めに怯えていた。膝を抱えて顔を埋める子供のように、シュラは閉じ籠もるしかなかった。




 けれど。


「ハッ、黄昏れるにはまだ陽が昇ったまんまだろうがよ」

「⋯⋯え」


 有害な優しさは、閉じた世界であろうとも。

 隙間を見つけてすべり込み、臆病者をかじるのだ。 


「よう。探したぜ」



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