054 拝啓、星なき夜に眠る貴方へ

「騎士よ。ユグ教の名は聞いたことがあろう?」

「闘う者の姿勢や心構えを尊び、称賛するっていう他力本願な宗教でしょ。知ってるわよ」


 知らないはずもない。ユグ教といえばアスガルダムでも浸透している宗教である。しかしシュラはユグ教思想を好んでいないのか、肯定の言葉には棘があった。


「そうか。ならば内装や礼拝堂を目にして気付いたやも知れぬが、此処はユグレストの修道女にこわれて建てた孤児院だったのだ」

「請われて、ってことはアンタが?」

「うむ。当時のこの辺りは魔獣被害以外にも旱魃や自然災害による孤児が多くてな。村民の反対意見もあるにはあったが、修道女の熱心な説得に皆、次第に折れた。かくいうわしもその一人だった」


 エイグンもまた孤児院創立に深く関わった人物なのだろう。焦土を招いた一端である自覚が強いシュラは、たまらず唇を噛む。しかし墓守の背中には、彼女を責めようという気配は無かった。

 ただ、遠き日へと馳せる想いと途方もない悲哀があった。


「頑固な奴であったよ。だが孤児らに母と慕われるほど、面倒見が良く優しかった。孤児らの将来の為にと方々に働きかけ、盛んに文字や計算を教えておった。そんなひたむきさに胸打たれてか、わしも村も、次第に援助を惜しまなくなった。ああ、だからこそ⋯⋯わしは"信じられなかった"」

「それって、まさかその修道女が火を起こしてしまったの?」

「いや、事件の後の調査で分かったことだが、出火の理由は厨房係の子が不始末をしたからだ。あやつではない」

「じゃあ、どうして」

「逃げたのだ。村まであやつは一人逃げ延びた。燃える孤児院に、孤児らを置いたままのう」

「え」


 ひゅっと、シュラの息が止まった。

 件の修道女の人物像に暖かみを覚えていた彼女にとって、エイグンの言葉はあまりに信じがたい。しかし揺らがない事実なのである。


「わしは責めた。なぜ子供らを見捨てたと。だが助けられると思えなかった。命が惜しかったと、あやつは泣き叫んだよ。我が身を惜しむ。それのなにが悪しきかと言われればそれまでだ。しかし、わしは裏切られたような気がしてならなかった。なによりも愛すべき存在なのだと幾度と語った孤児らを見捨て、一人逃げたあやつを⋯⋯わしは、許せなかった。憎いとすら思った。だが、憎しみはさらなる過ちを産むだけであったと気付くべきであった」

「過ち?」

「翌日にそこに見える古樹の枝で⋯⋯あやつは首を吊ったのだ」

「な────」


 見捨てたことを深く後悔したのか。

 居場所を失くす未来に絶望したのか。

 確かな理由など分からない。だが修道女は命を断ってしまった。なにもかもが喪われた事だけが、今も横たわっているのだ。


「わしが殺したようなものだよ」

「⋯⋯」

「命を奪った者が死後を看取る役を務める。いかにも歪なことだと思わぬか、騎士よ」

「そうね。でも、それがあんたの選んだ贖罪なんでしょ?」

「⋯⋯ああ」 

「死への向き合い方なんて人それぞれよ。誰かにケチつけられるものでもない。そうじゃなきゃ、墓なんていらないのよ」

「⋯⋯左様か」


 断罪を求めているのだろう。だがシュラは拒んだ。

 確かに彼の憎しみが、修道女を自死へと追いやったのかもしれない。だが墓守となり、未だ罪滅ぼしに囚われ続ける老人を責める気になどならない。

 死への向き合い方はそれぞれの勝手だ。

 墓守として十字架を背負うのも。修羅として復讐に身を染めるのも。残された生者の勝手なのだ。


「なあ、騎士よ。歌の上手だったあの修道女は、安らかに天へと昇れたのであろうか?」

「⋯⋯」

「もしそうなのであれば、わしはお主らに礼を──」

「知らないわよ。そんなの」


 だからこそ、エイグンがつぶやく核心をシュラは断ち切る。


「此処に居たのは忌むべき魔獣。この村を襲った悪夢だけだった。修道女なんてあたし達は知らない。だから⋯⋯」


 彼女が見て、対峙して、ヒイロが討ってくれたあの魔獣はこの村の悪夢。それ以外のなにものでもないはずだ。


「あなたが悔い続けた時から⋯⋯もうその人の魂は、安らかだったんじゃないの」

「⋯⋯そう、か」


 弔いはとうに終わっている。少なくともシュラはそう思った。

 それを墓守がどう受け止めたのかは定かではない。彼は哀しく微笑み、立てたばかりの墓標を撫でるだけだった。







「全く。老骨は昔話に熱が入っていかんな。だが、そろそろ霊薬も充分に身体に馴染んだであろう」

「!」


 気持ちに整理をつけたのだろう。

 過去から今へと視点を移したエイグンに、シュラは眠るヒイロの顔色をうかがう。そして胸をほっと撫で下ろした。

 ヒイロの火傷にはうっすらと、青き魔素の膜が覆い始めていたのだ。

 青は水に属し、水は癒やしの象徴。霊薬の効果が出ている証であった。


「この村を救ってくれた英雄を、いつまでも土の上に寝かせてはコルギの名折れ。村へと戻るとしよう。すまぬが、お主も肩を貸してやってはくれぬか。老いぼれ一人にはいささかたくまし過ぎるのでな」

「⋯⋯ん。その必要はないわ」

「む?」


 功労者をこのままにしてはおけない。その意見には賛成だったが、彼女にも意地があった。

 言い切って、シュラはひとりでヒイロを背負う。

 長身かつ鍛えられた身体の重さはシュラの倍はあろうが、優れた戦士たるシュラには問題にすらならない。


「お主⋯⋯」

「平気だから。先行ってよ」

「⋯⋯うむ」


 仮に耐えがたい重さであったとしても、彼女は譲らなかっただろう。カンテラを持ち先導するエイグンを、ヒイロを背負った少女が追いかける。

 揺らさないよう、ゆっくりと気をつかいながら。


『俺が、悪夢を終わらせてやる!』


 背中から伝う鼓動に目を細めながら、ヒイロが切った啖呵たんかを思い出す。シュラと比べれば無名に過ぎない。けれどコルギの村では、ヒイロ・メリファーの名を知らぬ者は居なくなるだろう。

 本当に、彼が悪夢を終わらせたのだから。


「なんで逃げなかったのよ、バカ」


 今宵の闘いは、それこそヒイロからすれば悪夢のような状況だったはずだ。味方のはずの騎士は魔獣に操られ、更には戦場はいつ身を焼くとも知れない炎に包まれていたのだ。

 でも、この馬鹿は決して逃げようとはしなかったらしい。 


『──だからこそ、逃げたらダメだろうが』


 朧気な記憶のなかで、わずかに思い出せた光景。

 自分自身を奮え立たせる為の言葉なのだろうか。脈絡のない独り言。けども鮮烈だった。

 不退転の強き意志。今は閉じられた翡翠色の瞳を、思い出すだけで胸の内側に熱が灯る。


「ホント。あんたみたいな馬鹿、はじめてよ」


 進むと決めた修羅なる道に、人の光など得られないはずだったのに。

 そんなこと知ったことかと、鉄塊てつくれ片手に暗い世界を叩き割った男が現れたのだ。

 星もない夜なのに、シュラは目を細めていた。

 割れた亀裂から射し込む光を、慈しむように。


「────ヒイロ」


 素直になるのがまだ苦手な少女は、明日を迎えれば感謝をちゃんと言える自信もなかった。

 だからふくろうさえ静かなこの夜に、ひっそりと打ち明けることにした。



「助けてくれてありがとう」




 あなたが居てくれて良かった、と。



  

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