053 陽炎の揺れる頃

 パチパチ、パチ。

 火花の産声と死に声と、炎の匂いがする。 

 眼の前には赤と黒しかなかった。

 炎と血。生きてる色などなにひとつ残ってない。

 それだけが確かで、突き付けられた現実だった。


『みんな⋯⋯居なくなっちゃった』


 古来より、死者の魂は空へと昇るという。

 ならば死したみんなの命もそこへ行くのだろうか。

 残骸と化したかつての自分の居場所から空へと繋がる黒煙を、少女は見上げた。


『ゆるさない』


 "憎しみの目"で、睨み上げていた。

 違う。あの黒は、斃れたみんなの魂なんかじゃない。


『魔獣⋯⋯!』


 自分が討ったもの達の残響だ。

 人ならざるもの達が消え行く証だ。

 まだ七歳になったばかりの子も居た。やっと裁縫を覚えたばかりの子も。自分よりも早く初恋を迎えた子だっていたのに。

 無情にも、奴らは全て奪っていった。

  

『殺してやる。みんなの、先生の仇。一匹残らず、あたしが!』


 だからこれは、死を想う祈りなんかじゃない。

 お前たちを殺し尽くす為ならば、修羅を歩むことさえ厭わない、と。

 魔獣という存在そのものへ向けた、紅き宣誓だったのだ。






 焼き焦げた匂いのせいで目覚めは最悪だった。

 

「⋯⋯うっ。ここ、は?」


 ぼやけた頭にフクロウの鳴き声がすべり込んだ。自分は今まで、なにをしていたのだったか。

 ぼんやりとしたまま記憶を探る。けれどじっくり探るまでもなく、眼の前には答えがあった。


「廃墟⋯⋯っ!そうよ、あたしは確か⋯⋯!」


 眼の前には焼け落ちた廃墟があった。もはや焦土と呼ぶべき惨状に、フラッシュバックの如く記憶が溢れ返る。

 コルギ村の不穏の元凶を追い、ここまで辿り着いて。

 多くの小鬼を葬り、ついに本命の魔獣と対峙して。


「⋯⋯あり得ない。このあたしが魔獣なんかにっ⋯⋯なんて、不様⋯⋯!」


 自分は迂闊にも、魔獣の術中にはまってしまったのだ。しかも憎っくき魔獣を、よりにもよって恩師とも呼ぶべき人と思い込まされた。

 不甲斐なさに吐き気がしてたまらない。

 けれどもふと気付く。

 自分は術中にはまって魔獣の味方となっていた。ならば誰が自分を呪縛から解いたのか。元凶を討ったのは誰なのか。

 そんなのは、一人しか居なかった。


「ぁ⋯⋯ヒイロ。ヒイロは!?」

「そう叫ぶでない。後ろを向いてみよ」

「え。あ、あんたは、墓守の────っ!」



 振り向いた先の見覚えのある人物。墓守のエイグン。どうしてここに。

 けれども疑問は墓守の足元を見て吹き飛んだ。そこにはヒイロが、無惨な火傷と煤まみれとなって横たわっていたのだから。


「な、なんで。なんであんたがそんな酷いことになってんのよ!」

「わしにも分からぬよ。わしがお主らに追い付いた時にはもう、この有様だった。だが、こんな状態でありながら此奴は、お主を背負いながら燃える孤児院より出てきおったのだ」

「あたしを、背負って?」

「うむ。鬼気迫る勢いであったよ。執念とでもいうべきかな」

「⋯⋯」


 薄ぼやけた記憶からでは確かなことは分からない。

 どうやらあの魔獣はヒイロが討ち、更には気絶した自分を背負って廃墟から脱したのだろう。

 しかし負った火傷は見るからに深刻であり、男の勲章とするにはあまりに重かった。


(⋯⋯指輪?あいつ、こんなのしてたっけ)


 その深刻さ故に注意深くヒイロを見渡していたからだろう。

 右手の薬指にはまっている"黒鉄の指輪"に、ふと気付く。この男がこんな指輪を身に付けていた覚えはない。

 気にはなる。しかしそれ以上に後悔の念とヒイロへの心配が勝り、指輪の事はすぐにシュラの意識の外へと置かれた。


「無理に動かすでないぞ。火傷を癒やす霊薬を塗っておる。薬がしっかりと回るまでは、一先ずこやつを安静にさせねば。そうすれば、痕も残らず癒えきるだろう」

「え⋯⋯!?こ、これだけの火傷が痕も残らないって。そんなの霊薬どころか特級の秘薬じゃない! なんでそんなものを墓守が!」

「遠き昔の縁でな。マードックという偏屈から貰った逸品だ。よもやと思い持って来たが、老骨の勘も当たるものよな」

「⋯⋯あんた、何者?」


 見るからに重体なヒイロの火傷の痕すら残さない霊薬。本当だとすれば並のアイテムではない。私財を蓄えた貴族の蔵にだってお目にかかれない代物を、小さな村の墓守が持ち得ている。

 ヒイロを救ってくれることを踏まえてでも、警戒心が露わになるのは当然だった。


「見ての通りの墓守だ。昔はコルギの村長とも呼ばれておったがな」

「昔は⋯⋯じゃあ、今村長やってるのは」

「ハウチか。アレはわしの娘だ」

「!」


 淡々と答えるエイグンに、シュラは言葉を失う。

 理解が追いつかないのも無理はない。村長を務めていた男が、どうして墓守へと身をやつしたのか。まして現村長のハウチが娘と来ている。断片情報だけでは片付かない複雑さが、シュラに混乱を招いた。

 しかし墓守は省みることなくシュラへと背を向けて、燃え落ちた廃墟へと向かい、しゃがみ込んだ。


「なにを、してるの」

「今は墓守と言ったであろう。職務に準じて、墓を建てておるのだよ」

「墓⋯⋯」

「贖罪とも言えるがな。己が罪を負う為に長を辞したのに、今の今まで向き合えておらなんだ。なんとも情けない。だがしかし、"これでようやく、みなを弔える"」

「なにを、言って⋯⋯」


 要領を得ない言葉だった。まるで独り言のように囁きながら、エイグンは廃墟の目前に太木を突き立て、更に継ぎ木を結ぶ。

 出来上がったそれは、墓守と始めて顔を合わせた集合墓地に並んでいた墓標と同じものだった。


「今や焦土と果てたが、元からこの廃墟には多くの焼跡があったことをお主も見たであろう?」

「それは⋯⋯」


 自分のみならず、ヒイロとて気付いていたこの場所の残り香。

 未知なる魔獣への警戒ですぐに捨て置かれたことだ。しかし頭の片隅では置き続けていた違和感を、墓守は紐解こうとしている。


「わしがまだコルギの村長と名乗れていた頃に、この孤児院は一度焼けたのだ。そして多くの子らが犠牲となってしまった」


 パチ、パチパチと。

 悔いるような声色で囁く老人の目には、在りし日の火花が散っていた。




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