044 魔獣

「で、噂の迷いの森に来てみた訳だが。割と普通の森だな」

「⋯⋯まぁ、確かに」


 空模様はいつしか焼き回したような夕暮れだった。

 並立する木々の群れ。茂らす若葉を秋色に染める。

 ずんぐりと広がる景色を前に、身も蓋もない感想を落っことす二人の男女。

 どうも、そうです俺達です。


「最初の一人目はここで山菜取りに行って失踪。二人目は探検ごっこ中に行方不明だったわね」

「三人目は付近の川に魚釣りに行ってから。四人目は村で、母親に抱かれたままにも関わらず。全体で見りゃ一番不可解なのは四人目の失踪だが、三人目もこの森と無関係とは言えねー」

「⋯⋯川の上流近くは、この森に繋がってる」

「だからこの森は、三人の失踪に関わってる"いわくつき"つっー訳なんだが⋯⋯もっとこう、薄気味悪ィ雰囲気が漂ってると思ったんだがな」

「そうね。魔素の流れも特別変わった感じはしない。魔獣が住処にするんなら、多少はいびつさがあるもんだけど」

(⋯⋯いびつ、か。それ言うなら、後ろの共同墓地の方がよっぽどおぞましい空気してんだよなぁ)


 後ろ髪を引かれるように振り向けば、茜色が照らす木造墓標の群れがあった。

 名前も顔も知らない他人の生きた証がこうもずらりと並べば、不気味さの一つや二つ、嫌でも感じざるを得なかった。


「とやかく言っても仕方ねえな。ただの森かどうかは入ってみりゃあ分かる話だ」

「出たとこ勝負のつもり? ま、変に慎重になるよりかはあんたらしいけど」

「うるせえよ。普段以上に口が減らねえなテメェは。アレか? 魔獣相手かも知れねえって今更怖じ気ついちまってんのかァ?」

「はっ。吠えたわね、無名ネームレスが。誰に言ってんのよ。このあたしが、魔獣相手なんかに怖じ気つく訳ないでしょ?」


 フィルター補正で挑発気味になってしまうのも、もう慣れて来たこの頃。

 けれどシュラからすれば、当然額面通りに受け取るしかない訳で。


「むしろ──臨むところよ」


 語気を強める彼女の心情を代弁するかのように、トレードマークの赤マフラーがぶわりと舞い上がる。

 いかん言い過ぎたかもって後悔する間もなく、シュラが一歩踏み出した時だった。


「待たれよ、そこの若人共」

「へあっ」

「あァ?」


 急に現れた第三者に、出鼻を挫かれたせいだろうか。

 憤然と踏み出した灰色の戦乙女さんは、膝カックンを受けたように腰砕けになってらっしゃった。





「お主ら、旅の者か」


 巷を騒がす噂の乙女をへっぴり腰にしたのは、ボロボロの黒絹に身を包んだ老人だった。

 見事なインターセプトだったが、その格好。錆びたスコップと古いカンテラを手に持ちながら、じいっと俺達を見つめる老人は、正直かなり不気味だ。


「いや違え。俺らは村長に雇われたもんだ。失踪事件を解決してくれって依頼されてな」

「そうか。ハウチの言っていた騎士とは、お主らのことか」

「ヒイロ・メリファーだ」

「⋯⋯⋯⋯エシュラリーゼ」

「エイグンだ。墓守をやっておる」


 どうやらこの人は村の人間だったらしい。ハウチさんの名前が出た辺り間違いないだろう。にしても墓守か。うん、居ても不思議じゃないよな。ここ墓地なんだし。

 一方で、恥ずかしい目にあったからだろう。ギンッと鋭い目付きで、シュラは睨みつけていた。何故か俺を。

 俺なんもしてないのに、ひどいや。


「それで、あたし達になんの用よ。生憎、墓標に名を刻む予定は当分無いつもりだけど」

「おいシュラ。テメェ、ビビらされたからって性根の悪い絡み方すんじゃねえよ」

「し、してないわよ!⋯⋯じゃなくてっ! ビビってなんかないわよ! ちょっとつまづいただけですけど!?」

「そうか。驚かせてしまってすまんの。お主らが森へと入ろうとしておったから」

「だから驚いたりなんかしてない!」


 プライドが傷付いたのか、必死に弁明するシュラ。場所を選ばない赤面っぷりは、夕焼けにも負けず劣らずあら可愛い。


「⋯⋯森に入ったら不味いってのか?」

「うむ。森は、とても危険じゃ。お主らも聞いておろう。この森では既に二人の子供が行方知らずとなっておる」

「聞いてるわ。けどあたし達は、その危険を排除しにこの村まで来たの。忠告なら不要よ」

「しかし、もう直に夜となる。村の者でさえ方角をさらわれる森の中で、夜の闇はより深くお主らを惑わせるぞ?」


 どうやらエイグンさんは、忠告の為に声をかけてくれたらしい。

 言わんとする内容も分からなくもなかった。本当なら日を改めて森に踏み入るべきなんだろう。そっちのがよっぽど危険も少ないのも分かる。


『どうか、どうか私の村をっ⋯⋯コルギ村を、お救いくださいっ!』


 けれども。

 心は、そうとは頷かなかった。


「例えそうだとしても、俺はもうこの村に啖呵たんかを切ってんだよ。俺が悪夢を終わらせてやる、ってな」

「⋯⋯」

「4人目の失踪を考えれば、今夜また誰かが居なくなっちまうかも知れねえんだろ? だったら迷ってる暇はねえ。最短距離で突っ走るのみだ」

「⋯⋯若いのう、お主。直線的な男じゃ。こんな寂れた村の為に危険に飛び込むか。お主らのような騎士が、まだ残っておったとはのう」


 無鉄砲だと思われてるんだろうか。

 老人のしゃがれた笑い声が、乾き風に静かに絡む。

 まだ灯らないカンテラに視線を落としながら、エイグンさんは再び口を開いた。


「ならば、一つだけ言っておく。森の奥にある廃墟には、決して近付いてはならぬぞ」

「廃墟?」

「かつて、孤児院だった場所だ」

「孤児院⋯⋯」

(シュラ?)


 新たに忠告を重ねた時、せっかちな夜の帳が下りたのかと思うくらいに空気が冷えた。

 それはひとえに、エイグンさんの纏う雰囲気に張り詰めたものが混ざったのもある。けど、何より言葉をなぞったシュラの動揺が顕著だった。

 目を配っても、なんでもないって言いたげにかぶりを振る。聞くなって事なんだろうか。

 気にはなるけど、確かに今は、詮索すべきはそっちじゃなかった。 


「どうして、そこに近付いちゃいけねえんだ」

「⋯⋯お主らは騎士なのであろう? 墓を暴くは、誇りと勲章とは無縁の者らの為す大罪だ」

「墓、って⋯⋯」

「"眠れるみなしご達の魂"を、無闇に夢から醒ます権利など誰にも無いのだ。例え騎士であっても、王であっても。お主らも、そう思わんか」

「⋯⋯⋯⋯」


 廃墟となった孤児院を、エイグンさんは墓と称した。

 それはつまり、その廃墟で命に関わる何かの事情があったって事なんだろう。

 ゆっくりと振り返って、スコップを地に刺す背中は、事情への追求を明確に拒んでいた。


(訳ありって事か)


 しかし、分からない事ばっかり増えていく。

 正直、歯痒さもあった。でもぶっちゃけ、俺こそがこの世界で一番の訳有りだ。踏み入って欲しくない事は誰にだってあるもんだ。俺にもシュラにも、他の皆にも。

 そんな、なんとも言えないやり切れなさに、気まずく頬をかいた時だった。


「⋯⋯ヒイロ」

「あァ? どうした、シュラ」

「何か、様子がおかしいわよ」

「様子って、何のだ」

「⋯⋯"森"!」


 二ヶ月前、長閑な村の安穏を襲ったように。

 "驚異"は、前触れもなく暗がりからやって来た。


【GeaGea!】

【GGi? GiGii,Giiee】

【Gya,Gya!】


(な⋯⋯なんだよあれ。森の木々から、黒い影がいくつもっ!)


 現れたのは、影の群れ。

 聞き取れない不協和音を発しながらこちらへと這い寄る黒い物体。


【【【GGG──! GiiiGyaGyaGyaGya!!】】】

「なっ⋯⋯なんだってんだ、あの影共は⋯⋯!」

「っ、ヒイロ! 戦闘態勢、構えて!」


 そいつらは、まさしく異形だった。

 でっぷりと膨らんだ腹。鉤爪みたく爪が伸びた両手。

 目と鼻がどこにあるかも分からないほどに、真っ黒な顔。ただ口だけが、ぱっかりと三日月に嗤ってる。


 まともじゃない。


 あぁ、そうか。そうなんだな。

 分かった。腑に落ちた。

 本能的にも、理屈的にも。

 あれが⋯⋯あいつらこそが。

 人類の、天敵。


「──"魔獣"よ!」

【Gya】



 闇の塊のような黒影が、答えるように短く鳴いた。


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