035 愚か者の産声
結論から言えば、失態だった。
まんまとショークをナメたツケを支払われる形になった。
「どうしたどうしたぁ! 踏ん張り効かずのへっぴり腰じゃねーかよ!」
「ぎっ、んの野郎⋯⋯!」
アイツは追い詰められるだけの鼠じゃない。
むしろその血走った
その証とばかりに、鱗粉に痺れて動きが鈍る俺へと、宣言通りに刃の潰れたナイフを突き立てて来る。
「キヒヒ、正真正銘のウスノロだな。一方的に嬲るってのは気持ちが良いんだぜ、ヒイロよぉ!」
「ぐぅっ!」
(状態異常、なんつー厄介な。でも⋯⋯八方塞がりって訳じゃない。少しずつだけど、痺れが取れていってる)
武も技もない無鉄砲な斬撃。
四方八方から殺到する攻勢に、痺れた身体じゃ防御だけでも精一杯だった。
防戦一方なのは事実だが、微かながらも身体の痺れが弱まっていくのを感じる。
多分、ビリビモスの鱗粉には即効性があっても、持続性はそんなに無いんだろう。
その証拠に、補強した腕力だけに頼った迎撃に踏ん張りが効いて来た。
「なめんなァ!」
「ぐおっ⋯⋯」
踏ん張りが効くなら、止めるしか無かった受けの剣も、こうして弾くまでに出来る。
ショークの軽い体重ごと弾き飛ばしてやれば、余裕に塗れた表情も焦りに歪んだ。
「チッ、もう麻痺が和らぎはじめやがったか。血の巡りの悪いウスラ馬鹿は、これだから嫌になる」
「⋯⋯残念だったな、クソ野郎。今度はテメェが焦る番だぜ」
「焦るだぁ? キヒヒ。寝惚けたこと言ってんじゃねーぞ勘違い野郎が。そうら追加だっ、もう一丁くらえ!」
「っ!」
わずかに見え始めた勝機。
けれどショークは、その勝機ごと潰さんと今度は"銀色の粉"を撒いた。
粉の色がさっきと違う。もしかしたら、麻痺とは違う効果のユースアイテムかも知れない。
(まずい、息を⋯⋯!)
同じ轍を踏むわけにはいかない。
慌てて口と鼻を腕で隠して、息を止める。
けれど奇妙だ。対処法はもうバレてるんだから、てっきりこの隙に攻めて来るのかと思っていたのに。肝心のショークはニタニタと笑いながらも、黙って俺を見てるだけ。
(こいつ、一体何のつもりで⋯⋯)
まだ音に出来ない違和感に探りを入れようと、注意深く視界を尖らせた時だった。
「⋯⋯っっ、カッ──カハッ!」
急速に喉に襲い来る咳気に、俺は激しく咳き込んでいた。
「キヒ、キヒヒヒッ! 馬鹿はつくづく馬鹿でやがんなぁ。そいつはホグウィードの花粉。さっきの鱗粉と違って、息を止めたって対処法にゃなんねーぜ。何故なら⋯⋯」
「うぐ、ゲホッ、ゴホッ! の、喉が⋯⋯!」(こ、今度は喉が、焼けるように、熱い!)
「ホグウィードの特殊な花粉は、付着した傷口に染み込み、状態異常『風邪』を誘発するっ! ケケケ、その喉じゃただでさえちんけなテメェの魔術も、もはやまともに唱えらんねーだろうぜ!」
(く、くそっ。麻痺の次は風邪だって? あの野郎、次から次へと!)
やたらめったら斬りつけて来たのはこれが狙いかよ。
というか、傷口に染み込む花粉なんてのまで用意してるとは。
まずい。本当にまずいぞ。
いくらなんでも、情報のアドバンテージがあり過ぎる。
「青の魔術の素質でもありゃ、楽だったんだろうによ。ヒイロの癖に、俺やルズレーに歯向かったからだ。もっともっと苦しめてやるぜ、ヒャッハァ!!」
「ゲホッ、ぐ、ぐうぅぅぅ!」
きっと、俺がこの世界で過ごした月日より、ルズレーやショークとつるんだ年月の方が多い。
俺の魔術の素質についても把握してるだろう。こっちの手の内はある程度透けてても、向こうの手はちっとも見通せない。
(⋯⋯ここまで良いようにやられるなんて)
油断ならない相手だったのは認める。
俺の迂闊さが招いた自体なのは紛れもないとはいえ、こうも術中に嵌まるなんて。
馴染みきれてない世界の未知そのものが、俺の敵として立ちがっている気分だった。
「いつまで保つか見物だなぁ、えぇ、おいっ!」
「うっ⋯⋯ぐはぁッ!」
容赦のないナイフのラッシュと、隙間を縫うように放たれた蹴りの一打が、横っ腹に深く刺さった。
まだ麻痺が残った片膝が耐え切れずに、ついにガクンと崩れて。
侮った相手に、俺は呆気なく見下されていた。
「這いつくばったなヒイロ。やっぱりお前は、地べたが似合ってんだよ」
「ゲホッ⋯⋯く、そ⋯⋯」
完全に勝ったようなつもりになってるショークの声色に、ギュッと唇を噛みしめる。
敗北感に打ちのめされてる訳じゃない。審判役はまだ勝負の終わりを告げちゃいないし、俺の心だって折れちゃいない。
こうして片膝をついたままでいるのだって、勝ちを確信したショークが悠々と近付いて来る瞬間を待っているからだ。
(⋯⋯本当はこんな手、騙し討ちみたいで好きじゃないんだけど)
少し、爪を噛みたい気分だ。
代わりに唇を噛み締めたのは、純然たる悔しさからだった。
分かってる。ここまで追い詰められたのは、俺が自惚れたせいだ。俺自身の侮りと無知さが、姑息と言わざるを得ない手段を取らせる事態を招いてしまった。
かといって、このままむざむざと敗ける訳にはいかない。後悔も反省も後で出来るし、とことんやる。
でも今は勝つために全神経を傾けたかった。
本隊行きの為だとかは、この時ばかりはもう、俺の頭の中に無い。
なにがなんでも勝利を掴む為にと、蛇のような執念で必死に機を窺っていた。
掌を堅く握り締めながら。
「むかつく目しやがって」
「ゲホッ、ゲホッ⋯⋯あァ?」
「癪にさわんだよ、お前ってやつは」
だがショークは、俺にトドメを刺そうとするどころか、忌々しげに怒りに顔を染めていた。
「昔っからそうだ、お前は気に障って仕方がねえよ。図体の割には肝が小さい。自分一人じゃなんにも出来ないししようともしなかった、尻馬乗りのウスノロめ」
直前まで優位性に浸り、弱者を嬲る事への悦はどこにもない。
「なんなんだ、今のお前は。気色の悪い目をするようになりやがって。なにを小綺麗に頑張ってんだか。見てるだけで健康に悪いぜ」
魂に溜まった泥を吐き出すような声色は。
重い軽蔑だった。
「分かれやデク。今更立ち直ろうったって、
暗い目だと思った。
夜闇のような底知れない邪悪じゃない。
昼間でも路地裏に忍ぶ、ありふれた薄暗さだ。
「ヒヒ、なんてな。今更お前が身の程知って、元に戻りたいです〜なんてほざいたって、誰が許すか。お前は俺をコケにした。無能のゴミクズの分際で、唾を吐きやがった。だから徹底的に傷めつけてやるよ」
「⋯⋯ハッ、有り得ねえ妄想語ってんじゃねぇぞ」
「今に妄想じゃなくなるかもな? よく見ろヒイロ。この瓶の中身が何か、思い出せっか?」
「⋯⋯瓶の中身⋯⋯赤い、粉?」
下卑た笑みを浮かべると共にショークが手にもった小さな瓶には、赤い粉が入っていた。
赤い粉。思い出せるだけの記憶なんてない。
けど、あれが色彩が強いだけの粉じゃない事なんて嫌でも分かる。十中八九、バッドステータスをもたらすユーズアイテムだろう。
「ケケケ。最後のバッドステータスは『頭痛』だ。ベニテングの胞子が誘発する激しい頭痛は、
「──へし折る、だと?」
「そうさ、折ってやんのさ。心ごとボキッとなぁ! おまえの分際を教えてやんぜ! ヒャハハハッ!」
「⋯⋯ボキッと、折る、ねェ⋯⋯?」
(⋯⋯⋯⋯心を、折るって?)
途端に、世界が静かになった気がした。
不思議なこともあるもんだ。
あんなに目の前で、黒い意欲のままにゲラってる男がいるってのにさ。
静かになった世界で、握り締めていた掌からサラサラと 金色の粉が零れ落ちていく。砂時計の砂のように。
片膝をついた際に、床に積もっていたものを密かに掻き集めて作った反撃の一手。その名残りが、ただの残骸になっていく。
(あぁでも、もう要らないか)
もう要らない。
たった今、要らなくなった。
なにせ手段を選ぶ必要が出てきたんだ。
なにがなんでも勝つつもりだったけど、それじゃあ駄目だ。
もう駄目になった。
(だって、こいつは言ったんだ)
意志を折るってことは、つまりさ。
諦めさせるってこと、だよな。
諦めさせるってことは、つまりだ。
俺に。この熱海 憧に、主人公であることを辞めちまえって──。
そう、言いたいんだな?
そういうつもりなんだよな?
そっか。
そうなんだな。
へえ。
⋯⋯
⋯⋯⋯⋯
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯、────。
うるさいな、こいつ。
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