036 小悪党の誤算

 他者より幸福を実感しながら生きるためには、悪どさと小賢しさは必要不可欠だとショーク・シャテイヤは考えていた。

 誰だってそうだろう。自分よりも強い者や偉い者には媚びを売り、弱き者を虐げる。

 人を下に見る人間は最低だというが、人間は人を下に見ることで心の安寧を養う生き物である。

 自分ではない誰かがそうしていれば悪と憤りながらも、いざ自分が加害に回る時には受け手側に悪を貼る。

 生きていくという事は、そういう薄情さを必要としていくものなのだ。


 だが自分の醜さから目を逸らして、無自覚のままで居る人間は悪ではない。至って「普通」なのだろう。

 自覚してなお開き直る事こそが「悪」であり、ショーク・シャテイヤは悪党だという自覚があった。

 そういう意味ではショークは自分の身の程をよく知り、弁えられる類ではあるのだ。


 小悪党は臆病だ。一人では何も出来ない自分のちっぽけさを知っている。

 だからこそヴァルキリー学園に入学した際に、まず彼は被れる虎の威を求めた。


 権力があるといい。けれどあり過ぎると身の破滅を招く。そこそこに呆れられ、それでも無視出来ないくらいの虎の威だと尚良い。

 小賢しい狐は欲して、見つけた。ルズレー・セネガル。騎士社会となったアスガルダムでも力の残る貴族でありながら、本人は高慢であり身の程知らずのドラ息子。高慢具合に難はあるが、何より気前の良い金づるは絶好の的だった。

 並以上の裕福が、媚びへつらだけで付いてくるのだ。ショークからすれば最適であった。


 ショークの裕福な生活に、吹いた追い風はルズレーだけじゃなかった。


 いつの間にやらルズレーが連れて来た、ヒイロ・メリファーという人相の悪い男だ。どうにも昔からの縁があるらしい。

 大きいのは図体だけで、要領が悪く口下手で、クラスから孤立している惨めな三下だ。彼の身の上を聞いて、ショークはほくそ笑んだ。何故なら、彼はいかにも"底辺"の人間だった。

 こんな自分でさえも見下せるような、小さい男。ルズレーの横暴に付き合う内に、溜まったストレスを発散するにも都合が良い。

 ヒイロの存在は、まさにショークにとって追い風だった。

 追い風だったはずなのに。


「へし折るかァ。ゲホッ⋯⋯いいぜ、上等だ」


 ある日を境に、木偶デクの腐った瞳の色は、強い光を宿すようになり。

 追い風は気付けば、向かい風に生まれ変わってしまっていた。


「だったら、俺も折ってやるよ」

「っ⋯⋯へぇぇ。んなボロボロのザマで、一体何を折るって言うんだよ、ヒイロ」

「ハッ、決まってんだろ。とんがり伸びた、テメェの鼻っ柱だよ」

「⋯⋯⋯⋯馬鹿は死ななきゃ治らねーのかよ、ヒイロ」


 気に入らなかった。その眼に宿る強い意志が。

 虫唾が走った。敵うはずのない相手シドウ教官を前に、それでも決して退かない姿勢が。身の丈に合わない心の強さが。


 散々だった。

 決定的に決裂して以降、荒れるルズレーに必要以上の苦労をさせられたし、何故だか他人の不幸から蜜の味が薄くなった。

 何より調練へのひたむきさで、徐々に頭角を表そうとしているヒイロを見る度、並々ならぬ苛立ちが沸くのだ。皮膚ごと胸を掻きむしりたくなる衝動だってあった。

 理由は知らない。知りたくもない。

 無論、許容だけは死んでも出来なかった。


 かくして機会は巡り、ショークは人生において初めて、全身全霊でもってこの選抜試験に臨み⋯⋯そして。

 追い詰めた。周到に。這いつくばらせた。徹底的に。


 なのに、この男は赦しを請うこともなく。

 身の程を改めることもなく。

 まだ足掻こうとしていた。

 あの忌々しい光を宿した眼で、自分を睨めつけながら、立ち上がった。

 お前なんかとはもう違うんだと──吐き捨てるように。


「目を覚ましやがれ、英雄気取りが」


 ばら撒いた胞子の赤と、脳を焼いた怒り。どちらがより赤かったかは定かじゃない。

 けどもよろめきながら、降り注ぐ赤を吸わぬように鼻と口を塞ぐ事しか出来ないヒイロの姿に。

 真っ赤な舌が見えるほど、ショークは口角をあげた。


 避けることは叶わないからと、ビリビモスの鱗粉と同じ対処法を選んだ事に関しては正解だ。

 しかし、意味などない。大口叩きの身の程知らずはきっと分かっていないのだろう。


「ゲホッ、ぐ、くっ⋯⋯!」

「キヒッ」


 なんの為に大した魔術も使えないヒイロを"風邪"にしたのか。

 全ては呼吸を著しく乱して、このベニテングの胞子を防ぐ手立てを無くす為である。

 かくして狙い通り、ヒイロは吸った。吸ってしまった。


「キヒヒヒヒッ! 残念だったなぁ、風邪っぴき! 思いっきり吸っちまったなぁ、ベニテングの胞子を、大量にぃ!」

「っ、っっ⋯⋯風邪は、これが、狙いか⋯⋯!」

「ヒャッハハハ! 遅え遅え、もう遅っせえよ! 今におまえは激しい頭痛でまともに攻撃すら出来なくなる! 無能のデク野郎が遂に、なーにも出来ないデク人形になっちまったなぁ!」

「⋯⋯ショークゥッ!」


 呼吸という生きるための本能に、返って首を締めているヒイロの有り様は痛快だ。

 最高の気分としか言いようがない。

 どう足掻いてみても、ヒイロは己より下。

 覆らない力関係なのだと、知らしてやった。思い描いた通りの形で。

 ならあとはもう思う存分、嬲るだけ。


「さあて、お楽しみの⋯⋯弱いもの虐めタイムだ!」


 思い知らせてやれるだろう。

 思い知らせてやれただろう。

 結局、間違ってたのはお前の方だと。

 

「たっぷりと後悔しなぁ! お前自身の思い上がりをよぉぉー!」


 手の内のナイフを握り締めて、折れたかのように俯くヒイロに殺到したショーク。

 最高の悦楽に浸るその顔は、醜悪の一言につくのだが。





「ヒャッハァァァァ──おぶふゥッッッ!?!?」




 拳がめり込み、鼻っ柱が真横に折れたショークの顔は。

 それはもう、見るに絶えないほど醜いモノだった。


ひゃひゃんでなんで⋯⋯?」


 浮かんだ疑問は、辛うじて口には出来はした。

 だが、ベニテングの胞子がもたらす頭痛以上の激痛に、ちっぽけな心が耐えられるはずもなく。


 たった一発の拳の前に。

 小悪党の意識は容易く折れた。





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