023 クオリオの葛藤

 喉にせりあがる不快感を堪えれば、代わりとばかりにツンと鼻を刺激する酸っぱさが襲い来る。

 何かを我慢しても、また別の何かが苛む悪循環。

 僕の人生こんなのばっかりだなと、汚れた口元を拭いながらクオリオは自嘲を浮かべた。


「貴様、また最後尾になっておいて、なにをヘラヘラとしている。次の調練も直ぐに始まる。さっさと演習場に来い」

「⋯⋯はい」


 鉛のように重い身体を引きずり演習場に向かいながら、クオリオは再び思う。


(僕の人生ってやつは、とことん僕に厳しいよな)


 クオリオは学びたがりであった。

 雨はどうして降るのか。風はどうして吹くのか。

 あの国はどうして興った。どうして滅んだ。

 道端の小石の歴史から底のない沼のような神秘にまで好奇心を光らせるほどに、彼は学者気質であった。

 だからこそ知識の凝縮である本を愛し、丸一日を読書に費やす事も珍しくない。苦にもならない。

 そんな彼が将来の夢として学者や研究者の道を掲げるのも道理だったし、自然な事だろう。

 しかしクオリオが背負うベイティガンの姓名は、そんな彼の性根と噛み合わないものであった。

 ベイティガン家は『果敢に闘う者』を崇拝するユグ教を信仰するユグレスト家系であり、代々騎士を排出してきた名家だ

 歴史があり、信仰があり、代々の誇りがあるベイティガン家は、クオリオが学者を志すことを良しとしなかったのである。

 あんまりだと、何度思ったか。

 無理矢理に放り込まれた騎士団で、来る日も来る日もしごかれる。そんな日々に意味も意義も見い出せやしなかった。


「ねぇ、あんた」

「君は、エシュラリーゼさんじゃないか。僕なんかになんの用だい」


 だからだろう。

 不意に新米隊士の中で、容姿と実力とで注目を集めているらしき噂の少女に声をかけられても、クオリオの心はさして浮き立たなかった。

 卑屈な言い回しに彼女の美貌が苛立ちに曇っても、大して気にはしない。

 けれどそれ以上に怪訝な事があった。

 目立ちはしても一匹狼気質のシュラが声をかけてくる状況には、まるで検討がつかなかったのだ。



「あんた、あいつのルームメイトだって聞いたんだけど」

「ルームメイトって。ヒイロ・メリファーのことか?」

「そ。今日の調練で一度も姿見てないけど。あんたなら、何か知ってるんじゃない?」


 なんでそんなことを知りたがる。

 浮かんだのは当然の疑問。けれど勝ったのは疑問に対する探求欲なんかじゃなく、心をささくれる苛立ちだけだった。


「いいや。僕は知らないよ。どうせサボりか何かじゃないのか?」

「あいつが? まさか、あり得ないわよ」

「っ、なんで、そう言い切れる。学園卒じゃない君は知らないかも知れないが、あいつは、あの男は、あの性悪貴族の取り巻きだったんだぞ? いまさら不真面目さが顔を出したって、別に不思議じゃあないだろ」 


 追求を嫌ったが故の、陰口のような決め付けに、されど少女は欠片も同意を見せてはくれなかった。

 それどころか怪訝そうに睨めつける紅い瞳が、クオリオの焦燥と苛立ちを煽った。


「そうだ、そうだよ。あいつの本性はそのはずなんだ。大方、苦しい調練に嫌気がさして逃げ出したんだ。きっとそうに決まって────」

「あんた、それ本気で言ってんの?」

「⋯⋯え?」

「一週間そこらでもう脱落者が出てるくらいの調練をこなして、それだけじゃ飽き足らずに毎朝毎晩に更に自主鍛錬してるような"体力馬鹿"が⋯⋯今更、調練から逃げ出すって? もう一度言うけど、あり得ないわよ」

「っ。なんで君がそれを⋯⋯」

「理由はどうでも良いでしょ。でも私でさえ知ってるようなこと、ルームメイトのあんたが知らない訳ないわよね?」

「!」

「あんた⋯⋯やっぱり知ってるんでしょ。"あいつが居なくなった理由"」


 突きつけられた結論に、暴かれた嘘の裏側に、クオリオはピタリと息を止めた。

 ヒイロが此処に居ない理由。知らないはずがなかった。心当たりがない筈がなかった。

 なにせ、心がざわめいて仕方なかったのだ。

 今朝。起きたときにはもう既にもぬけの殻だったヒイロの寝台を見た時から。

 そして、ヒイロが早朝に"鍛錬しているはず"の空き地に行ってから、ずっと。

 今もずっと、心がうるさくてうるさくて、仕方ない。 


「うるさいっ!」

「!」

「知らないったら知らないんだよ! あいつがどこに居て何をしようが、僕には関係ないんだ!」


 膨らみ過ぎた風船が破裂したかのような癇癪は、まさしく彼の頭をさいなませるものへの怒りだった。

 クオリオには理解できなかった。ここ数日は特に。今日に限っては酷く、理解出来ない事ばっかりだ。

 クオリオにとって、ヒイロ・メリファーの評価は地を這うほどに低かった。憎く、悪しく思うのも当然だ。自らの不注意が招いたとはいえ、貴重で大切な本を捨てた張本人なのだから。

 関わりたくない男だった。学園時代に耳に挟んだ彼らの悪評も一層、ヒイロという人間への嫌悪感を高めていた。


 だというのに。望まぬ再会を果たして以降の彼は、まるで別人のようだったのだ。

 調練に対する真面目さも、ひたむきに強くなろうとする姿も。なにもかもが違う。生真面目なだけじゃない。

 僕に関わるな、と拒絶した翌日にも関わらず、調練についていけずに倒れ伏す自分に手を差し出して来たのだ。戸惑うな、という方が無理な話だった。

 理解なんて出来ようはずもなかった。


「あいつの事なんて知らないし、分からない! いいや、そもそも僕が分かろうとする必要だってないはずなんだっ!」


 ヒイロがルズレーと揉めたらしいというのは風の噂で聞いていたし、事実ヒイロに対して憎しみすら帯びた眼差しで睨めつけるルズレーを、クオリオ自身の目で見たことがあった。

 だから、単に孤立を恐れてるだけだとさえ思った。

 かつておとしめた相手にさえ、擦り寄るような矮小な男なんだっただけだと。引っかかる違和感を、冷めた満足で蓋したはずだったのに。


『⋯⋯悪かった』


 違うだろうと思った。ふざけるな。お前はそんな奴じゃない。もっと悪どく、他を省みないような奴だったんじゃないのか。

 なんで今になって。止めてくれ。止めてくれよ。

 父も母も、祖父も祖母も、家訓ばかりで僕を省みなかったのに。

 なんでよりにもよって──お前なんかに省みられなきゃいられないんだ。

 これ以上、僕をみじめにしないでくれ。


「関係ない。関係ないんだ。あいつがどうしようったって僕には。僕には⋯⋯関係ないことだ」


 だからこそ。希望赦しをちらつかせて、卑怯な男を遠ざけたのに。せめてもの静寂を願ったのに。

 今朝からずっと、うるさくて仕方ない。 

 こびりついたような『罪悪感』にクオリオは今も、苛まれ続けていた。

 

「⋯⋯あっそ。もう良いわ」


 突き付けた拒絶に、少女の唇から静かな溜め息が零れる。

 ならもうあんたと話すことはないと、エシュラリーゼは背を向けた。

 納得してないんだろう。クオリオに負けず劣らず苛立ってる心模様を隠そうとしない。けれど華奢ながらも伸びた背筋が、鬱屈に丸まるクオリオと対照的だった。


(なんで、僕が⋯⋯こんな、惨めで苦い思いをしなくちゃならないんだよっ)


 クオリオの人生は、確かにクオリオに厳しく出来ているのかも知れない。

 けれど。

 読み歩きの不注意も、誠実に思えた謝罪を遠ざけたのも、元を辿れば自分自身が撒いてしまった種ではあったから。

 

(全部、あいつのせいなんだ。くそっ。なんで、なんでこんな時に限って──)


 どうして何処にも居ないのか。

 ひょっとしたら、あいつは。

 先に続く言葉から逃げ出すように、クオリオは演習場へと足を進める。

 本の虫が身体を動かしたいと思った。騎士団に入って以来はじめての事だろう。

 その皮肉さを誤魔化すように、クオリオは道に転がる小石を蹴飛ばした。





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