022 過去へのケジメ



「ケケ。浮かねぇ顔だなヒイロ。飯時前にてめーのそんな面見れてラッキーだぜ」


(俺の不幸で飯が美味いってか。変わんないなこいつも、悪い意味で)


 案の定だったよ。

 下卑たことを臆面もなくぶつける辺り、騎士になろうがこいつも変わらないやつである。


 気まずいといえばルズレーとの関係も、未だに亀裂が生じてるままだった。

 敵愾心を向けられる意味合いでいえば、あっちの方がよっぽど厄介なのかも知れない。たまたま顔を合わせれば、こんな風に嫌味か罵倒か無視。ろくなもんじゃない。

 けれど新米隊士同士とはいえ、ルズレーと顔を合わせる機会は少なかった。噂によれば、貴族身分を盾に調練を欠席したりしてるらしい。


(⋯⋯待てよ。もしかしたら)


「ショーク。クオリオって奴の事、覚えてるか?」


「あん? クオリオ? クオリオ⋯⋯おぉ! 随分前にヤキ入れてやったあのヒョロガリ眼鏡か。ケケケ、なんだよ、懐かしい話しやがるじゃねーか」


 思った通り、ショークはクオリオの事を覚えていたようだ。けれども下卑た笑みに含んだ嘲りが、話の行く末の不穏さを物語っていた。



「テメェ、ヤキ入れたっつったか?」

「おいおい、なんでおめーが覚えてねーのよ。ルズレーにぶつかって来たあいつの本を水路に投げ捨ててやったのは⋯⋯ヒイロ。お前だったろうがよ?」

「⋯⋯⋯⋯本、だと?」

「あん時の眼鏡の顔は傑作だったな。今にもべそかきそうでよぉ。ま、本読みながら歩いてたあの眼鏡の自業自得って奴だな、ケッケケケケ!」

「────、⋯⋯⋯⋯」


 ああ、くそ。通りで。

 納得以上に有害な苦味が、舌をジンと痺れさせた。

 あいつに払われた時以上にずっと嫌な感触だった。

 どう贔屓目に見ても最悪の気分だ。

 

「あ、おい、ヒイロ!⋯⋯チッ、なんなんだあの野郎は」

 

 背後から聞こえる悪態に振り向く気力も沸かない。

 喉が渇いてもないのにきゅっと細くなる。

 かかとの感触がなんだか遠かった。

 クオリオが本をどれほど大切にしているかなんて、一週間も同じ部屋に居れば嫌でも分かる。 

 それを目の前で否定したのなら、あれほどの拒絶を示すのも当然と言えた。


(ヒイロ。お前、それでも主人公かよ)


 クオリオをそうまでさせたのは、過去のヒイロだとしても。どちらにせよ「俺」である事には変わらない。

 なら「俺」がなんとかしなくちゃいけない。

 主人公がヒーローが、というこだわりを置いても。

 このままじゃ絶対駄目だ。心底そう思った。









 窓の外では退屈そうな月が傾いていた。


「⋯⋯君は、一体なにをしているんだ」

「⋯⋯見てのとおりだ」


 クオリオの動揺を表すように、天井吊りのランプがカンカラと揺れる。

 調練を終えて夕食も終えて、昼間の一件もあっていつも以上に静まった寮の部屋。


 俺は土下座をしていた。



「そうじゃない。なんでそんな姿勢をしてるんだよ」

「理由なんて一つしかねぇ。俺が、てめぇの本を捨てたからだ」

「!!」

「⋯⋯詫びる」


 はっきり自覚してる。俺は頭が悪い。

 あれからずっと考えてみたけれど、関係修復の為の冴えたやり方なんて思いつけやしなかった。

 だからシンプルに行こうと決めて、敢行した。

 誠心誠意、頭を下げる。フィルターを通して歪んでしまう言葉だけじゃなく、身体ごと。 

 ぴったりと貼り付けた額から、まだ春先の床の冷たさが伝わっていた。


「君は、卑怯だ」


 頭上から降り注いだクオリオの声には、戸惑いと軽蔑が折り重なっていた。


「ルズレーに拒まれて、居場所が無くなった今になって、僕に取り入ろうとする。どうせそんな所なんだろう? その手には乗らないぞ」

「違う、そんなんじゃねえ。詫びなくちゃなんねぇと思ったから、頭を下げてる。立場がどうとか、んなみみっちい御託は関係ねぇ。それに、詫びないままの自分がどうしても許しちゃおけねぇんだ、俺は」 

「なんだよそれ。ずるいぞ! こんなの、暴力と変わらないじゃないか!」 

「暴力か。そうかも知れねぇな。だが、許さなくたって良い。これはケジメだ」 

「⋯⋯何が、ケジメだよ。卑怯者め」


 卑怯。そうかも知れない。

 結局のところ直接害した訳でもない中身の俺じゃ、上っ面の謝罪と変わらないからだ。

 俺の中の罪悪感を消すための、一方的な押し付けとも言えるだろう。

 それでも、止める気はなかった。


「⋯⋯」


 どれくらいの間があっただろう。

 丸めた手を握り締めていれば、耳の傍らに歯軋りが落ちてきた。

 苦い唾を飲み込むような、深い溜め息ごと落ちてきた。



「"プレアデスの星冠獣目録"。君が棄てた本の名前だ」

「⋯⋯本?」

「ああ。そんなに許して欲しかったら、弁償してみろよ。もっとも、あの本は異国で出版された写本だ。今この国に流通してるかも怪しい貴重なものだ。見つけるだけでも骨が折れるだろうさ」

「⋯⋯」


 プレアデスの星冠獣目録。

 俺の謝罪を上っ面だけにさせない為の、クオリオからの譲歩なんだろう。それさえあれば、俺はケジメを付けられるんだ。 

 半ばやけくそ気味に言い捨てるクオリオをよそに、握り締めた拳がかすかに震えた。


「分かったろ。だからもう、何度も言ってるように、放っておいてくれよ。僕はもう、君に関わるつもりはないんだ」

「おう、分かった」


 そっぽを向くようにクオリオが寝台に寝転ぶ。

 乱暴に毛布を包んだ背中には、拒絶というよりは拗ねた子供っぽさがあった。


(⋯⋯よし。寝るか。明日に備えて)


 やる事は決まった。決まったなら四の五の言わずに突っ走ろう。主人公ってそういうもんだろ。

 ランプを消して、寝床に潜り込む。


 途端に闇夜に染まる室内で、ぼんやり明かる月と星が、ささやかな希望とばかりに光っていた。



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