021 クオリオ・ベイティガン

 騎士団の朝は早い。

 陽が昇ると同時に通常の騎士達は起床し、警邏や任務、民間窓口の準備など各々様々に忙しい。

 なら俺みたいな新米騎士は暇なのかというと、そんな訳ない。ほとんど変わらぬ時刻に起きては朝飯を詰め込み、朝から晩まで調練漬けである。

 丸太を担いで走り、汗まみれで模擬矛を振るい、泥だらけで演習場を駆け回る。

 そのハードさには、スポ根モノの主人公だって裸足で逃げたしかねないくらいだろう。現に入団式から一週間で、何人かの姿を見かけなくなってるのだから。



「ヒイロ・メリファー、完走確認。着順は、また上位の様だな」

「ったりめぇだ⋯⋯ハアッ、ハアッ⋯⋯」

「貴様、気概は良いが相変わらず教導官への口の効き方がなっとらんな。もう一周走りたいか?」

「の、望むところだ」

「⋯⋯ふん、良いだろう。では本部外周もう一走だ。行けっ!」


 とはいえ、単純な基礎練は俺のもっとも得意とするところだ。相変わらず思い通りにならない口が災いしてもう一周を急かされても、大した苦にはならない。


(ん、あれは⋯⋯)


 身体で風を切りながら走り慣れたルートを駆けていく最中。

 苦にはならないけど、なんとも言えない苦々しさを味合わせてくれる背中が見えた。


「⋯⋯へばってんのか?」

「ぜぇっ、はぁっ、う、うるさい。僕を君みたいな体力馬鹿と一緒にするなっ」

「今にも朝飯戻しそうなザマで噛み付ける根性だけは買ってやるよ、クオリオ」

「よ、よけいな、お世話だっ!」


 負い目から少しフォローを入れてみても、相手からすれば皮肉にしか聞こえないこの口調が憎い。

 そんな俺に負けじと、眼鏡の奥の碧眼が忌々しげに睨んで来る。

 緑色の長髪をうなじで縛ってる、この優男の風貌の痩せ男はクオリオ・ベイティガン。

 俺の現在のルームメイトであり、一週間前からずっと気まずい関係が続いていた。



◆ ◆ ◆



 長い人生、身に覚えのない恨みを買うことだってあるもんだろう。人間だもの。

 と、達観なんだか現実逃避なんだか良く分からない誤魔化しが出来ればどれほど良かったか。


「なんてことだ。なんてことだよ。騎士になるだけでも嫌だったのに、よりにもよってこんな奴と同室なんて。うぅ、あんまりだ。ユグリスト家庭に生まれながらも信仰心のない僕に、戦いの神が与えた試練だっていうのか? なんてことだ、なんてことだよ⋯⋯」

(あの、出会って三秒でこれなんですが。どないせいというんですか神様)


 お互いが神様に嘆く地獄絵図が完成しちゃったよ。

 流石に途方に暮れた。家も名前も知らぬ存ぜぬな猫相手にした警察犬だって、俺より困らなかった自信あるよこれ。

 とはいえ事情も分からないままじゃ話にならない。

 絵にかいたようなインテリ風貌のルームメイトを、とりあえず落ち着かせようと声をかけた訳だけども。



「おい」

「な、なんだよ。言っておくけどな、僕に何かしようたって、今は互いに騎士で、ここは騎士寮だぞっ。学園の頃のような横暴が通用すると思うなよ!」

(アカン。これはアカンやつやん。過去のヒイロもルズレーも、どんだけ幅効かせてたっていうんだよ)


 俺の身には覚えがなくても、心当たりありました。

 絶対これ俺が関わる前の因縁じゃん。同じクラスの連中にさえ煙たがられていた学園生の奴じゃん。



「⋯⋯一つ聞かせろ」(あの、一つお聞かせください)

「な、なんだよ」

「テメェ、誰だ? どっかで会ったか?」(ええと、まずお名前と、俺とどこで会ってどういう経緯で因縁が生まれたのかをですね)

「⋯⋯⋯⋯お、お前。まさか、忘れたっていうのか!」


 うおぉい!この口語自動変換機能ぉぉ!

 なるべく刺激しないように原因を探ろうと思ったのに、台無しだよ。カッと顔を赤らめてルームメイトが怒る。残念ながら当然だった。


「くっ、もういい。良いか、僕はお前に関わらない。関わろうともしない。だからお前も僕に関わるな!」


 そしてこの拒絶っぷり。考えうる限り最悪な初対面だった。初対面なのは俺だけなんだけどさぁ。

 結局それ以降は言葉をかけても一切合切無視であり、クオリオという彼の名前を知ったのも、それから二日後の話なのである。



◆ ◆ ◆ ◆



 関係は最悪でも、一週間も一緒に居れば知れることもある。

 クオリオという青年は、外見通りにインテリであり、一言でいえば本の虫だった。しかも度が過ぎてるレベルの。

 部屋に居るときも外出中も、訓練後の小休止でさえも、片時も本を手放さない。食事も片手が塞がらないサンドイッチばかりを好む筋金入り。

 そのせいか、前後不注意でよくすっ転ぶし、壁にもぶつかる。ドジっ子もかくやというレベルで。


「ぐわっ」

「⋯⋯本読みながら歩きゃそうなるわな」

「う、うるさい。馬鹿にするなっ」

「ケッ」


 だからこんな風に、今日も今日とて綺麗な転びっぷりを披露してくれた訳だ。


「第一、なんで僕に付いてくる。放っておけと言っただろう」

「付いてってねぇよ。食堂の道は一つしかねぇだろうが」

「だったら、昼を抜けば良いだろ」

「昼からも調練あんのに抜いてられっか」

「体力馬鹿の癖に」

「てめぇこそ、いっつも吐いてる口で良く言いやがる」


 起き上がりながらも止まらない悪態にも、そろそろ慣れそうだった。

 一週間経てどもクオリオとの関係は修復どころか、元となった原因すら分からず終いである。

 正直辛かった。訓練でくたくたになった後も、重苦しい空気の中で過ごしてれば疲れだって取れない。

 身に覚えのない事で、というのもあるけど。


(はぁ⋯⋯)


 取り付く島もない現状。

 どうしたもんかなと肩を落としながら、クオリオが転んだ拍子に落とした本を、拾い上げようとした時だった。


「やめろ、本に触るなっ!」

「っ」


 伸ばした手が、強く払われた。

 勢いに息を呑む。払われた指先が、ジンと傷んだ。


「あ⋯⋯」


 驚きが強かった。というのも、こんなにもはっきりと拒絶された経験なんて、俺にはほとんど無かったからだ。

 つい茫然と自分の手を見つめれば、どこか後悔を含んだようなクオリオの呻きが耳に届いて。


「っ」


 そんなクオリオと目が合った瞬間。

 あいつは乱暴に本を拾い上げると、そのまま顔を隠すように駆け出して行った。

 不意に浮かんだ些細な後悔すら振り払うような背中は、あっという間に遠くなった。


(⋯⋯思った以上に深刻だよな)


 払われた方の手を握り締めて、深く深く溜め息を吐く。ほんと、どうしたもんかね。

 身に覚えがない事だからって、割り切れるはずもない。本気の拒絶だった。きっと余程の事があったんだろう。


(せめて原因が分かれば。けど、本人に聞いたって教えちゃくれないだろうし⋯⋯)

「チッ、デカい図体で立ち止まりやがって。どけよ、クソ野郎が」

「⋯⋯あ?」


 真剣に悩む俺の背中に、容赦なくかけられる罵倒。

 随分なご挨拶だけども、それ以上に聞き覚えのある声色だった。


「⋯⋯ショーク」


 ルズレーの取り巻きにして俺の腐れ縁たる小男。ショークが真後ろに立っていた。

 にやにやと嫌らしい笑みを浮かべながら。


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