014 無茶で無謀なヒロイック

 熱海 憧という人間は、周囲の風聞になぞらえて言えば『変人』だった。


 怪人を倒す仮面のヒーローは良い。

 怪獣を倒す巨人のヒーローも良い。

 剣を片手に鎧を纏い、魔物を倒す王道の主人公なんて格別だと。

 海原ほどに膨大な熱き願いを。子供染みた壮大で盲目な夢に憧れ続けて。しかし憧れるだけで終わる男ではなかった。


 熱海 憧は努力を怠らなかった。

 ヒーローの道も一歩から。

 ランニングは毎日10キロメートル。

 腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワットを各100回。

 学業と平行しながらこれをほぼ毎日欠かさずに行った。

 無論、彼の自分磨きは基礎体力作りだけには終わらない。

 主人公たるものには必殺技が必要。

 ならばその元手と更なる鍛錬を兼ねて、様々な格闘技を修めようと、空手、柔道、剣道、合気道などなど、いくつもの道場の門を叩いたのである。


 だが、はっきり言って彼は凡人の域を出なかった。

 天才が1時間、秀才が1日で習得する基礎を、10日かけて習得するのがやっとという有り様だ。

 しかしその精神は異常だった。

 ならば『十日間分を一日でやったらいい』と、天才や秀才すら裸足で逃げ出す練習量を詰め込むという荒業を、彼は平然と行った。

 圧倒的脳筋である。冗談抜きで狂気の沙汰である。

 ついでに修行にかまけてテストも赤点塗れになっていた。然もありなん。


 だが、あえていうのであれば。

 努力、根性、気合い。

 そういった体育会系が好みそうなものに才能があるとするのなら、彼は間違いなく努力の天才だろう。

 熱海憧が望むような成果必殺技こそ終ぞ得られはしなかったが、相手の動きをよく読み取る『目』と、あらゆる体術に精通する体捌きの基本を会得していた。


「せいっ!」

「だらぁっ!」


 現に、こうして歴戦の騎士たるシドウの剣に、紙一重で合わせられているのが何よりの証だ。

 努力は嘘をつかない。憧れるだけでは終わらなかった少年の無茶は、彼の無謀をギリギリで繋ぎ止める力となっていた。


「⋯⋯しぶとい」

「ぜぇっ、はぁっ⋯⋯そりゃ、こっちの、台詞だっ⋯⋯」


 けれども現実は無情だ。

 努力は嘘をつかない。なればそれは、騎士として力を磨いてきたシドウにも当てはまる。

 そもそも平和な日本と死と隣り合う世界とでは練度が違う。年季も違う。覚悟は並べど、肩はまだ並べない。

 息は乱せど無傷のままのシドウ。

 至るところに斬り傷と打撲を作り、虫の息のヒイロ。

 両者の力の差は歴然であった。 


(なんだというのだ、この男は)


 だからこそ、シドウには不可思議でならなかった。

 倒れないのだ、目の前の男は。

 何度打とうとも。何度突こうとも。


(分からぬはずがない。彼我の差を。こうまでなって、尚も理解出来ぬほどの気狂いではあるまい)


 一打浴びる度に傷を負い、一つ突く度に血反吐を落とし、苦痛と朦朧に苛まれながらも未だ倒れない。

 ふらつく足取り。手にはなまくら。

 もはや満身創痍の風前の灯火。

 だというのに、彼の瞳は意志の折れなど微塵も感じさせぬほど、真っ直ぐ己を見抜いている。


(だが、この男の目。自分の勝利を欠片も疑っちゃいない。盲目的とさえ言っていいほどの自信⋯⋯いや、確信か。ならばそれに見合った勝算があるはずだが)

 

「ハァッ!!」

「ぬ、ぐぉ⋯⋯っ!」


 シドウには分からなかった。

 この局面から見い出せる勝算などあるはずもない。

 されどまた一つ一打を受けても、ヒイロ・メリファーの目の色は毛程も変わらない。

 そう、変わらないのだ。対峙し、剣を交えた時からずっと。

 彼の瞳は、シドウには見い出せない勝機をずうっと見つめているようにしか思えなくて。


(何を狙っているというのだ、ヒイロ・メリファーよ)


 見えないものを、人は恐れる。

 幾度と重ねた戦いの中で、片方の光を失った騎士の目にも、ヒイロの異常なしぶとさは不気味に映った。


(それとも、ただの蛮勇だったのか)


 見えないものを、人は決め付ける。

 誰かの優しさを保身だと、誰かの悪意を配慮だと。

 清職者と呼ばれるほどに汚職や暗躍を嫌うシドウとて、誰しもが持つ心の法則には逃れられない。


(⋯⋯ヒイロ・メリファーよ。貴殿の気概は買うが、それは愚かさと何も変わらん。蛮勇だけを持ち合わせた騎士に、護れるものなど何もないのだ)


 だが、愚かと語り蛮勇と決めつけたシドウの論は、見当違いではあるが間違いではない。

 そもそも、ヒイロ・メリファーが折れぬ理由が『主人公ならば耐えていれば覚醒イベントが来て勝つる』だなんて、見抜けるはずもなかった。


「⋯⋯もう、良い」

「あ、ァ?」


 結論は出たと、シドウは断じる。


「最後まで諦観を持たぬ意気や見事。だが、身の程知らずの蛮勇は、ただ身を滅ぼす自害の剣だ。蛮勇ではなく、賢しさを磨き⋯⋯またいずれ、騎士を志せ」

「テ、メェ、なに、勝った気で、いやがる⋯⋯! まだ勝負は、こっから⋯⋯!」

「否。これで終いにする」


 蔑みではない。その心の強さは惜しいとさえ思う。

 だからこそ引導を渡してやらねばならない。

 それが入団試験の総括教官たる己が役目なのだから。



「──シッ

「な」


 一息で背後に回り込む。全力の疾走。それは今までとは比にならず、あのシュラよりも疾い。

 それでもヒイロは見失わなかったが、満身創痍の身体ではろくな反応も出来ない。それほどに速く、疾く。


だっ──!」


 無防備な後ろ首を、断った。

 肉ではない。意を断つ一閃。

 蛮勇なる者へ向けた、敬意を込めた一撃だった。


「⋯⋯、ァ」


 ぐらりと、ヒイロの身体が崩れた。

 まるで糸を切った人形のように、力が抜ける彼の背。

 塞がれてない片目で、その崩落を見届ける。

 蛮勇だった。愚かだった。

 されど灯す意志はきっと、誰よりも強かったのだから。

 今は敗北を知り、そこから自らの危うさを学び。

 やがて力とし、再び立てるほどの強さを持つと信じて。



「⋯⋯ぐ、ぎ、ぎっ」



 しかし。

 馬鹿はそれでも折れぬから、馬鹿なのである。


「ずあァァァァッ!!!」


 崩れかけた片足で地を踏み。

 折れかけたもう片足で一歩を刻み。

 零れ落ちそうだった柄を握り直して、我夢沙羅がむしゃらに斬りかかった。


「──!」


 だがそれでも届かない。

 意断の刃を極限の意志で耐え、我武者羅に振るった反撃の一撃は⋯⋯シドウに刃は届かなかった。

 届いたのは、痛みの証。

 首を打たれ巡りすぎたヒイロの吐血が──"シドウの手を真っ赤に汚した"。

 ただ、それだけ。



「な、にっ⋯⋯馬鹿な。まだ! まだ倒れんというのかっ!」

「あ、ァ? まだ、だと⋯⋯?」


 本当にそれだけなら。

 ただの蛮勇で終わったのだろう。

 けれど終わらなかった。


「いつまでも、だろうがよ」


 諦めない男の狂気にも似た意思は、崖っ縁に立たされようとも。終わらなかったのだ。


「テメェ、に──勝つまでは⋯⋯終わらねぇッ!!」


 唖然とするシドウに、最後の一歩を踏み込ませて。

 爪先から天辺まで。身体の隅から絞り出す膂力りょりょくで放った、乾坤一擲の斬り下ろし。


「──────」


 反射的に上段水平に構えたシドウの手から、剣のみを叩き落とし⋯⋯そのまま。

 最後の力を振り絞ったヒイロは。

 ついに一太刀も届かせることなく、地に倒れ伏せたのだった。



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