015 お前は何者だ

 辺りは日もまだ高いというのに、夜の静寂よりも尚、シンと静まり返っていた。

 無理もない。それほどまでに凄惨で、凄絶で、今日一日の何よりも鮮烈な光景だったのだから。

 現にほとんどは開いた口が塞がらないか、閉じた口が開かないかのどちらかであった。


「⋯⋯」


 輪の中心には、立ち尽くす勝者と横たわる敗者。

 地面は流れ落ちた血を吸い、生臭い泥を作っている。

 紅い血だまり。同じ色に染まった両手を見ながら、シドウもまた言葉を失っていた。


(よもや、これを狙っていたというのか? こんな僅かな勝ち筋を目指して、必死に耐え続けたというのか、この子供は。だとすれば⋯⋯)


 血に濡れて握力を鈍らせた上での、渾身の一打。

 もしあのままヒイロが倒れずに、もう一太刀振るう余力があったなら。きっと届いた。意地でも届かせていただろう。


(いや、だとしてもだ。こんなものは勝ち筋とは言わん。己が身をていしてでも勝利目標を目指すのは騎士として持ち得ておくべき心構えだろう。だがこれでは。いくらなんでも己が身を省みなさ過ぎている)


 意表を突く妙手ではある。しかし諸刃の剣どころか、自身が負うリスクがあまりにも大き過ぎる悪手だ。

 こんな勝算、まともな思考では描けない。勝利の為なら躊躇なく身を差し出すような愚行を、どうして実行出来るというのか。


(私の加減が一つ狂えば、それこそ一生歩けぬ身体ともなっていたのだぞ。そうはならんと確信していた? 馬鹿な。入団試験での事故事例など腐るほどある。並の技量の試験官では加減など⋯⋯否、だからこそ私を指名したのか?)


 前提を変えて、また一つシドウは思考を凝らす。

 もしや自分の手加減に期待したのだろうか、と。

 試験官の中で最も腕が立つシドウは、言い換えれば"最も限界を見極められる"存在だ。

 逆に考えれば、"最も死力を尽くせる相手"もシドウなのであるとすれば……


(馬鹿な。有り得ん。他人の強さにそこまで歪んだ信頼を持てるなど。それに、本末転倒ではないか。素直に他の試験官を指名しておけば、問題なく合格出来たであろう。何故だ。何故、こやつは自ら窮地に挑んだのだ⋯⋯)


 脳裏に過ぎった憶測を、シドウは無理矢理にでも斬って捨てたかった。

 もしそうだとしたら、このヒイロ・メリファーという男は外れ過ぎている。

 狂人。愚者。あるいは──英雄の素質。

 まともではない。決して。

 まともではない、が、果たして。


(⋯⋯底が見えぬ。強者との闘いに飢えた身の程知らずの餓狼か。それとも、限られた状況の中で最善を尽くした英雄の卵か。あるいは──勝算無き闘いに身を投じる修羅の雛か)

 

 見えないものを、やはり人は恐れるのだ。

 幾度も戦場を駆けてきた男には、剣を交えた相手の事が時に言葉を尽くす以上に理解出来たものだ。

 だというのに、ヒイロに限ってはまるで見通せない。

 淀んだ紅い血だまりのように、深く、不透明で。恐ろしいほどに強靭な意志だけが在る。


 危険な男だ。利口ではない。

 結果だけ見れば、ヒイロはシドウに一太刀たりとて届かせられはしなかった。

 過程だけ見れば、強者相手に気概と歪んだ知性でもって、後一歩まで迫ってみせた。

 

 餓狼か。英雄か。はたまた、修羅か。

 潜在は分からない。本質は見通せない。

 されど決を下すのは試験官筆頭教官たる己なのだから。



「⋯⋯ヒイロ・メリファーの合否に関しては──」



 後悔のない決断を下すには、深く吟味するしかあるまいと。

 鉄面皮に疲労を滲ませながら、シドウは大きく息を吐いた。



「一時、保留とする」



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