第6話:0057M「ジョバンニ」

 「…………了解」


 耳に手を当てながらカンパネーラは答えた。耳に通信機でも入っているのか? アーミーナイフが床に落ち、カシャンと乾いた音を響かせる。ジョンは先ほどネーラに刺された腹の辺りをさすった。ライダースーツには切れ込みが入っているが、ジョンはその下に防刃防弾ベストを着用していたので肌に傷はない。少しチクッとしただけで、どのみちナイフを持つので精一杯の握力のネーラでは刺し殺すことなどできない。だが……


 「ネーラ、一体――」


 問いかけようとしたとき、ネーラは銃口をこちらに向けていた。9×19口径の小型拳銃を両手でしっかり持ち、ジョンの頭部に狙いを定めている。


 「ジョバンニ、私と直結して、あなたの量子暗号を入力して」


 感情のこもっていない声音で、ネーラは淡々と言う。その青い瞳はなんの光も灯していない、ガラス玉のような瞳だった。


 「ネーラ……?」

 「来ないで」


 一歩近づいたジョンに、抑揚のない声でネーラは拒絶した。銃を持っている手は震えている。それは感情の乱れから来るものではなく、単に腕の筋肉が常人に比べとても弱いので、先ほどのナイフと同じく構えるのが精一杯なのだろう。あれでは撃った反動にも耐えられない。

 肉体を強化されているジョンにとって、ナイフで刺されようが銃で撃たれようが相手が熟練の兵士でもないかぎり致命傷にはならない。だが、問題はそこではない。


 「………ネーラ、あいつらになにをされた?」


 二人の距離、約3メートル。ネーラを押さえようと思えば瞬時に出来る距離だ。ネーラには銃の引き金をひける握力がないだろう。しかし、本当に無力化するのはネーラではない。彼女はジョンのバディ相手なのだから。


 「……やっとわかったの。自分の“本当の任務”が。私の敵が誰なのか、全部」

 「本当の任務?」


 なにを言っている? とジョンが訝しがると、ネーラは無表情のまま虚空を見上げた。


 「私が共和国の命で連邦に潜入していたこと、本当は共和国の強化兵士だったこと、やっと思い出したの」

 「はあっ!?」


 ジョンは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。するとトレーラーが開き、そこから武装した共和国兵士達が降りてきてあっという間にジョンを囲む。アサルトライフルの複数の銃口を向けられ、ジョンは両手を上げた。

 人数は15名。自分一人ならともかく、ネーラを守りながらでは非常に戦いにくい。それにこちらは丸腰である。相手は恐らく自分と同じく肉体を強化・改造された強化兵士。法務局の強固なシステムをクラッキングし、何重ものセキュリティを無力化しネーラを攫ったほどの相手だ。丸腰ではとても叶わない。

 その中に一人だけバイザーをかけている金髪の男が、ネーラの側にやってきて彼女の肩に手を乗せた。


 「おい、ネーラに手を触れるな!」


 思わず大声を上げてしまう。だがバイザーの男は動じることなく薄い笑みを浮かべている。ネーラは相変わらず無表情だ。


 「君にそんなこと言う権利はもうない。0057M、コードネーム”ジョバンニ”。彼女はもう連邦の飼い犬ではない。我が共和国の”同志”だ。そうだろう、カンパネーラ?」


 静かに、だが確実にカンパネーラは頷いてみせた。ジョンの目が驚きで見開かれる。しかしそれは一瞬で、すぐ怒りの視線をバイザー男に向けた。


 「おまえがテロリストのリーダーか。ネーラを……カンパネーラを洗脳しやがったな!」


 バイザー男は何も答えず、ネーラの後ろに移動した。するとネーラの電動車椅子がこちらに向かって動きだした。


「ジョバンニ、もう一度言うわ」ネーラが言う。


 「私の脳と直結して、貴方の量子暗号を入力して。貴方と私の量子暗号が揃わないと、情報アーカイブのプロテクトは解けない」


 何の感情も見いだせないガラス玉の瞳を向けながら、ネーラはそう言ってきた。この瞳、どこかで見たことがある。思い出した。間接結合でネーラの記憶内に入ってしまったときに見た、古びた列車で相席になったときに、父親に犯されているときに見せた、真に絶望した者の瞳だ。


 「……………………」


 ジョンは無言で専用の接続端子を取り出す。そして左のこめかみをかりかりとひっかき、蓋を外す。そこに端子を差し込む。反対側をネーラに渡す。


 15の銃口が刺すように見張っている中、ネーラも同じように右のこめかみの端子差し込み口を開き、端子を差す。そしてネーラは瞑目する。

 すると、ジョンの意識は強引に吸い込まれるような感覚を味わい、それに付随するように五感が引っ張られる。ジョンは酩酊に似た気持ち悪さで吐きそうになり、思わず手を口元に持って行くが、そこで自分の身体が見知った空間にいることを知った。


 そこはネーラの意識内であった。いつも事件報告書提出とアフターケアの為”直結”する場所。だが宿舎で初めて間接結合した時と同じく、電子コードが舞い、空間を構成しているポリゴンがところどころ歪んでいる。

 ネーラは長い黒髪に大きな青い目をこちらに向け立っている。現実世界とは違う容貌。いつも電脳世界で会うときの彼女の姿である。だがその青い目がガラス玉に変わっていた。

 ジョンは酷く身体が重く、ぐるぐると何かに回っている感覚が抜けない。気分が悪く吐きそうだった。だが蹲っているジョンをネーラは何も言わず見下ろしていた。


 「はは……そういえば薬剤を投入しないでそのまま直結したのは初めてだったな。担当医務官に知らせたら喜ぶだろうな。通常意識状態で直結に成功したなんて知ったら」


 吐き気を堪えながらジョンは立った。ネーラはまだ何も言わない。


 「でもすげえ気持ちわりい。吐きそう。ここで実際に吐けるか知らねえがな。吐いたらお前は怒りまくるんだろう?」


 無言で、ネーラはジョンを凝視し続けていた。そんなネーラにジョンが一歩づつ近づく。


 「この気持ち悪さ、思い出すな。俺が女に振られてヤケ酒煽ったあの晩のことをよ。そのまんまバイクに乗って、挙げ句事故起こして、死にそうになってる時お前が俺の頭の中に入ってきてよ……」


 無表情だったネーラの顔がぴくりとひきつる。


 「初めて会ったときのこと覚えているか? 俺は驚いたよ。だって全然違うんだから。ベットで寝ているお前と、ここでのお前は。その事を指摘したらお前は凄く怒って、二度とそんな話するなってまくし上げてさ」


 はは、と掠れた笑い声を上げるジョンを、ネーラは気味が悪そうに眉を寄せ後ずさりした。だがジョンの歩みは止まらない。


 「最初の事件は東M7地区で起きた銀行強盗事件だったな。容疑者はドラッグで脳改造していて、新米の俺はお前との直結で感覚が鋭敏になりすぎて、自分の力を上手くコントロールできなかった。おかげで容疑者に重傷を負わせるわ、銀行内をめちゃくちゃにしちまうわで、お前とあのタヌキじじい……ブルカニロ課長にこっぴどく叱られたな」

 「…………さっきから、何を言っているの? そんなこと覚えてない。私はただあなた方のところに任務で潜入していただけよ。私は共和国所属の強化兵士で、あなたたち連邦に酷い目に合わされた復讐を――」

 「ああ成る程。それがあいつらが考えた””か」


 ジョンはネーラの目の前にいた。だがネーラは動けなかった。空間のコードの嵐が酷くなる。ドットがぐにゃぐにゃと崩れては再構成し、また崩れては再構成しを繰り返す。主であるネーラの心理状態を表すかのように。


 「………悪い。俺もお前の記憶を見ちまった」

 「………!?」


 ネーラが無表情にひびが入り、怯えたような、怒ったような表情に変わった。ネーラの身体が震え出す。記憶を勝手に見られたことへの羞恥のためか。


 「いくらでもなじってくれて構わねえ。殴りたいっていうなら好きなだけ殴ればいい。だけどな、俺はお前を汚いとも弱いとも思わねえよ」

 

 ジョンの鳶色の瞳とネーラの青の瞳が重なる。濁った青空に、鳶が舞う。濁りを掻き乱すように。


 「お前の苦悩が全部分かるなんて言うつもりはねえ。だけど分かち合うことは出来るだろ。俺はお前の”相棒”だから」

 「ち、ちがう……わたし、私は……」

 「あいつらがなにしたか知らねえが、人の記憶がそんな簡単にいじれるものかよ。医務官に聞いたことがある。完全な記憶の消去や上書きは今の技術では不可能だって。人の記憶は他の記憶や感覚に絡みついている。例えば、聴覚、例えば視覚。あるいは特定の単語、人の名前。それらがきっかけで消去や上書きしたはずの記憶が復元されてしまうって……」

 「ちがう!」


 ネーラは絶叫した。頭を押さえ、目を固く瞑る。


 「私は共和国の強化人間! 連邦は私を陵辱した! 早く量子暗号を渡して! 渡すのを拒むなら、私は今、ここで機密保持のため自決する!」

 「………ネーラ……」

 「本気よ! 共和国の不利になるようならそうする。私は共和国に拾われた。共和国のためなら例え死んでも――」


 瞬間、ネーラの脳内に奇妙な映像が走った。ちらほらと舞う白い雪、肌を突き刺すような寒風、岩肌が剥き出しの崖。そこに立っている自分。


 「……う……」


 私が誰かに組み伏せられている。私が誰かに罵倒されている。それは誰? 私をこんな目に合わせたのは誰? それは、そいつの名は――


 「………


 ネーラはその名を口にすると、ゆっくりと手を上げた。そこにドットがあつまり、銃の形になる。ネーラは怒りの表情で、銃口を真っ直ぐ憎い相手、”ジョバンニ”に向けた。


 「ネーラ?」

 「軽々しく呼ばないで。私を捨てたくせに。私を何度も犯したくせに。何故あなただけ生きてるの? 何故私だけがこんなに苦しまなくてはいけないの!? 全部あなたのせいよ! あなたがいるから、私は永遠に救われない!!」


 沈黙が流れる。ネーラの手にはポリゴンドットで形成された即席の銃が握られている。偽物の銃。ネーラの憎しみに呼応して作られた、ネーラの悲しみと憎しみが銃の形に凝縮されている。きっと、弾も出るのだろう。彼女が流せなかった涙の代わりに、憎しみの記憶を、それを植え付けた相手を打ち抜くだろう。


 「………じゃあ、撃てよ」


 ジョンは言った。その瞬間、ネーラが少しだけひるんだ気がした。


 「それでおまえが本当に救われるなら、気が済むなら撃てよ。俺は避けない。何発でも撃て」


 目の前の男が、両手をだらりと下げ無防備に大きな身体を晒している。あいつはジョバンニ。私を捨てた男。私が殺してしまった男。私が、わたしの、愛した、男――


 「う、ああぁ――!!」


 絶叫しながら引き金を引く。銃声はしなかった。一発の弾丸が、ジョバンニの胸に命中し、もう一発が右手に命中した。ジョバンニの撃たれた場所から細かいドットが崩れ、胸に穴が空き、右手は手首から先を構成していたドットが散らばり形が崩れていた。血は出ていない。


 「………………」


 撃った瞬間銃は消えてしまった。ネーラは混乱していた。ジョバンニ。愛しい男の名、憎い男の名、とても近くにいたような、酷く懐かしい、男、の、名………


 そのジョバンニが、私を抱きしめている。崩れた右手で私を抱き寄せ、胸の穴から身体を形成するドットがどんどん散らばっていっても、彼は私を逞しい腕で抱きしめていた。その行為には父のような歪んだ性愛も、安っぽい同情心も感じなかった。ただ、全身で、彼は私の全てを受け入れていた。憎しみも、怒りも。


 「どんな過去をもっていようが、お前はお前だ。生意気で、気が強くて、小言がうるさくて、いつも正確な情報を寄越し、俺の身体のメンテナンスを欠かさない、連邦のライセンス捜査官0032F、コードネーム”カンパネーラ”、0057M、コードネーム”ジョバンニ”の、唯一無二の”相棒”だ」


 電子コードの乱舞が収まり、穴だらけの空間が修復され再構成されていく。偽りの世界が崩壊し、元の世界へと戻りつつある。カンパネーラを形作っているモノの一部、連綿とした記憶は海馬と大脳皮質に収まり、意識がはっきりとしていく。いつの間にか、ジョバンニの撃たれた胸と右手は元通りになっていた。


 「ジョバンニ」


 カンパネーラが相棒の名を呼ぶ。ジョバンニはしっかりとその顔を見た。青い瞳はもうガラス玉ではなく、深い海を思わせる立体感のある瞳であった。


 「量子暗号を入力して」


 ジョバンニの眉根にしわが寄る。そんなジョバンニを笑うかのように、イタズラを思いついた子供のような笑みを浮かべ、カンパネーラが続ける。


 「“”の量子暗号を」

 「………ああ」


 カンパネーラの意図が分かり、ジョバンニは自分の無意識に保管してあった暗号を取り出し、入力した。

 カンパネーラの暗号と揃わなければプロテクトは解けない。二つの暗号が揃って一つのキーになる。

 暗号名は――

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