第5話:再会

 プリオシン港第17倉庫。そこが相手に指定された場所だ。もう使われていないそのからっぽの廃倉庫に、ジョンはバイクを滑り込ませるように侵入した。


 「ライセンス捜査官0057M、コードネーム"ジョバンニ"だ! 要求通り一人で来てやったぞ!」


 倉庫には大きなトレーラーが一台あるだけ。恐らくあのトレーラーに共和国のテロリストがいるのであろう。ジョンはバイクから降りるとヘルメットを脱ぎ、両手を肩より上に上げ抵抗の意思がないことを示した。


 「専用の接続端子を持ってきた。これを使えば0032F、カンパネーラと”直結”できる。彼女は無事なんだろうな!?」


 無事なものか、とジョンは心の中で唾棄した。ネーラは記憶を無理矢理ハッキングされて心を閉ざしている。思い出したくない記憶まで掘り起こされた屈辱、ネーラの心にどれだけのダメージを与えただろう。本当ならあいつら全員惨殺してやりたかったが、そういった激情をジョンはなんとか抑えた。まずはネーラの身柄の安全確保が先だ。


 数秒、数十秒経ってもトレーラーにはなんの反応もなかった。ジョンは腰の銃帯に差していたハンドガンも床に投げ蹴った。銃はジョンから数メートル離れ、すぐには取りにはいけない距離に転がる。これで武装はなし。こっちは完全に丸腰である。この様子をテロリスト共はきちんと確認しているのだろうか。

 銃を捨て更に数十秒経った時、トレーラーの影から何者かが現れた。電動車椅子に乗っていたそいつは、華奢な女だった。殆ど白髪と言って良い潤いのない長髪。痩せこけた顔のやけに大きい瞳……


 「ネーラ!?」


 女が顔を上げた。やはりそうだ。あの顔は、特別処置室でいつも寝ている"眠り姫"、ジョンの、ジョバンニの相棒、登録番号0032F、コードネーム”カンパネーラ”と呼ばれる少女。精神世界でしか見たことがない目の色は、少し濁っているものの同じ海のような青だ。

 ジョンはネーラの元へ向かった。他に誰かいるかと思ったが、彼女の側には誰もいない。


 「無事か、ネーラ?」


 ネーラはまだ焦点の定まらない目でこちらを見ている。どこか呆けたような彼女の様子を見て、まさかテロリスト共に何かされたかと思い、ジョンは彼女の肩を揺すった。


 「俺だよ、ジョバンニ。ライセンス捜査官としてのお前のバディ相手のジョバンニだ」


 ぴく、とネーラの肩が動き、カサカサの唇が蚊の鳴くような声量で、「……ジョ、バ、ン二……?」と掠れた声でジョンのコードネームを言った。ネーラの肉声を初めて聞けて興奮したジョンは、「そうだよ、ジョバンニだ。お前の相棒だ、わかるか!?」と畳みかける。


 「ジョ……バン、二……ジョバンニ……」


 ネーラはその名を、何度か確かめるように呟く。まだ意識が完全に覚醒していないのか? それとも覚醒後はいつもこうなのか? とジョンは考える。思えば彼女が睡眠から覚醒している姿を見るのも初めてだ。

 とにかく彼女の身体に異常がないか確かめて――


 そこまで考えたとき、ジョンの腹部に鋭い痛みが走った。


 何が起こったかジョンにはわからなかった。腹部にはアーミーナイフが刺さっており、そのナイフを突き刺しているのは、目の前の車椅子の少女、カンパネーラだったのだから。


                      

 「やっちゃいましたね、彼女」


 トレーラー内のモニターには、この倉庫内に設置してある監視カメラの映像が映っていた。そこにはコードネーム"カンパネーラ"が、相方である”ジョバンニ”を刺している姿が拡大され表示されている。


 「まだあの幻覚剤は試用段階でして、あの程度の量では効果もすぐに切れてしまうのですがね。情報獲得のためには役に立ちましたが……」

 「ハッキングよりは容易だっただろう? 彼女をこちら側に引き入れるのは」


 オペレーターが苦々しく頷く。先ほどまでカンパネーラが寝ていた台の側の床には、何本もの空の注射器が転がっている。


 彼女の記憶を一通り見たテロリスト達は、カンパネーラのトラウマを利用することを思いついた。

 共和国謹製の最新の幻覚剤と自白剤を大量に投与する事により精神混濁状態に持って行き、”刷り込み”を行う。つまりカンパネーラを苦しめていた記憶部分を更に強調し、記憶の上書きを行った。自分は連邦ではなく共和国に救われたのだと。自分はであり、連邦は自分をこんな目に合わせた”敵”だという偽の記憶を。


 勿論、ここの簡易な設備ではそれは完全ではなく、もしカンパネーラを本当にこちら側に引き込みたいならもっと本格的で長期的な処置が必要であるが、今、彼女を”洗脳”し、機密情報を手に入れるにはこれで十分だ。

 強引にハッキングしてもこちらに勝算はない。ならば向こう側から扉を開いて貰おう。そうテロリストの長は考えた。誰だって自分の味方には情報を共有する。予想通り自分が共和国の強化兵士であると”刷り込まれた”カンパネーラは、情報深度レベル4までの情報をあっさり提示してくれた。今までのハッキングはなんだったのかとオペレーターは呆れたような、自分たちの苦労を返してくれと言わんばかりの視線をリーダーに寄越した。


 しかし彼らが本当に欲しい情報はレベル5以降にある。即ち、パートナーであるコードネーム”ジョバンニ”の量子暗号が必要な深度に。だから、洗脳が済んだカンパネーラを先行させた。

 我々ならいざ知らず、パートナーである彼女に手を上げることはジョバンニには出来ないであろうと読んでの作戦だった。念のために武器を持たせたカンパネーラに彼に鍵を渡させるよう説得させるつもりだったが、まさかいきなり刺してしまうとは意外だった。


 「少し、トラウマを刺激させすぎましたかね」

 

 部下がリーダーに耳打ちする。

 先ほどまで見ていたカンパネーラの記憶によれば、ジョバンニという名は元々彼女を捨てた男のファーストネームだ。憎しみの記憶が強調されたカンパネーラには、その名を持つ男は刃を向けるに値する憎き相手だったのだろう。


 「どうせ相手は防弾ベストを着ているから、身体にダメージは与えられないが、精神的にはいいカウンター攻撃になっただろう」


 言いながら、テロリストのリーダーは、耳の通信機の電源を入れた。


 「そろそろきちんと働いてもらおうか。聞こえるか、”同志”、カンパネーラ……」

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