第18話 先輩には誘惑されちゃダメだ…俺には好きな人がいるから

 プールの水は青い。

 透き通った感じ。鏡を連想させるほどに、洗礼されているかのよう。




 昨日、本格的なプール掃除を終え、水を入れ、泳げる状態にしたのである。

 その上、教頭先生にも話を通し、水泳部としての活動の許可も貰ってきた。


 本日。火曜日から水泳部としての練習が始まる。


 少々緊張した面持ちになりつつも、浩紀はある程度の決心を固めていたのだ。

 昨日の夜は、色々と悩んだりもした。


 水泳部に対してはある程度の不安がある。

 でも、その不安の元となっているものは、この学校には存在しないのだ。


 だから、多少は心が落ち着いている感じであった。




「浩紀、そろそろ始めるよ。着替えてきなよ」


 プールサイドに佇む春風浩紀はるかぜ/ひろきの近くには、すでに水着姿になっている先輩がいる。


 夏芽雫なつめ/しずく先輩は学校の授業が終わるなり、直でプールに足を運んでいたようで、一人で泳いでいたらしい。


 先輩はプールから上がってくる。

 彼女の全体像が分かると、その姿に見惚れてしまうほどに、ドキッとした。


 この前から散々、先輩の水着姿を見ているものの、未だにどぎまぎするのだ。




「えっと……美玖先生は?」

「先生? 美玖先生は、ちょっと今日ね。用事があるってことで来れないみたい。だから、今日は好き勝手やってもいいって」

「そうなんですね」

「そうだよー、だからね、今日は初めてだし、そんなに真面目な感じにはやらないから。安心してよね」


 夏芽先輩は軽くウインクして見せた。


 そして、浩紀は先輩の方へと視線を向けられなくなる。


 そんなに意味深な態度を見せないでほしいと思う。

 そんなことを思いつつ、先輩から指示された通りに、更衣室に向かうのだった。






 夏芽先輩の匂いがする。

 エッチな感じがして、どうしても興奮を抑えきれなくなった。


 今、浩紀はプール近くの更衣室にいる。

 まだ、水泳部として活動が始まったばかりで、男女共有の部屋を使うことになっていた。


 男女と言っても、基本的に先輩と浩紀。その二人しかおらず。たまに、美玖先生も更衣室を利用するかもと言っていたくらいだ。


 着替えるくらいであれば、時間帯を少しずらせば問題はない。数人しかいないのに、そこまで部費をかけたくないのだろう。


 そもそも、この学校の水泳部は昔、実力がなさ過ぎて廃部になった。ゆえに、過去のレッテルにより、教頭先生から数万円ほどの部費しかもらっていないのである。


 普通であれば、数十万円ほど。

 なのだが、実力のない部に、今時、振りまくこともできないのだろう。




 そんな中、浩紀の心は次第にエッチな気分に誘惑され始めていた。


 先輩が先ほど着替えていた場所。

 そこに残る匂いが、浩紀の心を奪うのだ。


 先輩自体が不在な更衣室なのに、ここまでの影響力を受けてしまうとは――

と、浩紀は少々困惑していた。


 い、いや……ダメだ。こんなところで誘惑に負けるなんて……。


 浩紀は頑なに拒んだ。

 何としてでも耐えなければならない。


 なんせ、浩紀には好きな人がいる。

 それは、東城夢とうき/ゆめ


 幼馴染のことが好きだからこそ、夏芽先輩が残した匂いの誘惑に打ち勝とうとしていたのだ。






「浩紀、ようやく戻ってきたね。なんかあったの?」


 夏芽先輩は食い気味に聞いてくる。


「い、いいえ。何でもないですけど……」

「へえぇ、なんか、怪しいなぁー」


 夏芽先輩のジト目気味な視線を受け、浩紀は少々気まずげに俯きがちになった。


 そういう風な目を向けられると反応に困るものだ。


「きょ、今日は簡単な内容なんですよね。で、では、さっそくやりましょうか」


 浩紀は気まずい空気を一変させるため、少々強引ではあるが、話題を変えるのだった。




「今日は簡単に、プールに浸かるって歩くとか、そんな感じでいいわ。あと、最初に準備体操ね。プールの中でケガをしてもよくないし」


 夏芽先輩は浩紀の方へ歩み寄ってくる。


「私も一緒にやってあげるから♡」


 先輩のおっぱいを感じながら、事が始まる。


 浩紀は彼女の体を前に、挙動がおかしくなるのだ。


 き、気まずいんだけど……。

 で、でも、大丈夫……いつものことだから……。


 浩紀は自分の心に何度も問いかけ続けるのだった。




 今、プール内には二人しかいない。

 周りには誰もいないのである。

 水泳部が活動を始めたことは、ごく一部の人にしか伝えていないのだ。


 けど、水着姿が兎に角似合う先輩が水泳をやっていると聞いたら、男子生徒が覗き込んでくるかもしれない。


 そう考えると嫌だった。

 夏芽先輩の魅力的な姿を他人の前で晒したくないという思うが、ふと、浩紀の中に浮かび上がるのだ。


 い、いや……別に、先輩のことは……好きでもないから。


 浩紀は強がった態度を、心の中で抑え込んでいた。




「浩紀、ちょっと固くない? 大丈夫?」

「だ、大丈夫ですから……そ、そんなに強く触らないでください」

「えー、私はもっと触りたいんだけどなぁ」


 夏芽先輩は浩紀の背後に立っている。

 彼女が話すたびに、浩紀の首筋に息が当たるのだ。


 嫌らしい感じの吐息であり、浩紀の体は、そのたびにビクついていた。


 先輩からマッサージなんて……。


 夏芽先輩から、肩を揉まれているのだ。


「緊張しないように、体を解さないとね。あとのことは、一人でもできるでしょ?」

「はい……」


 先輩は、浩紀の背後から離れると、プールの中へと入っていった。


「浩紀は、さっき教えた通りにストレットをやってから、水に浸かってね」


 と、夏芽先輩は明るい口調で言い、そのまま泳ぎ始めたのである。






 ……大丈夫かな……いや、こんなところで怖気ついていたら、どうしようもないよな。


 浩紀はプールサイドでストレッチを終えたのち、先輩の泳ぐ姿を見ていた。


 今から水の中に入るとなると、体を解したのに体が強張ってくるのだ。


「……」


 昔の嫌な記憶がフラッシュバックする。


 昔は普通に親友とも呼べた存在がいた。そいつから裏切られたのだ。


 それは中学二年生の夏休み前。

 その苦しみは突然やってきた。


 親友とは一緒に大会に参加する予定だったのだが、当時予定としていた日から一週間前に戦力外追放されたのだ。


 予期せぬ事態に、その時は困惑した。

 その日になる前までは、普通に仲が良かったからである。


 今まで楽しくも苦しくもあったが、それを上回るほどの苦痛であった。


 その親友に、どういうことがあったかわからない。

 真実を聞こうと思っても、無視されるようになり、部活にいても孤立するようになった。


 幸いなことに、その親友とはクラスが違ったこともあり、日常生活では得に何ら問題はなかったのだ。

 だから、浩紀は、夏休みになる前に水泳部をやめた。


 それからというもの。ひたすら勉強をしたのである。


 他に得意なことは何もなかった。

 その上、水泳をやめてしまったことで、推薦で良い高校への進学も断ち切られたのだ。




 けど、すべてが悪いことではない。

 その結果、浩紀は、中学三年生になった頃には、学年の中でもトップ二〇には入るようになっていた。

 学年人数、一〇〇人いる中での二〇なのだ。


 勉強が得意ではなかった浩紀からしたら驚きの順位であった。




 そのあと、その親友とは、数回ほど学校の廊下ですれ違ったこともあったが、得に話しかけられることはなかった。


 親友は、自身のクラスメイトらと楽し気に会話しているだけで、浩紀のことなんて気にしている様子もなかったのである。


 これでいいんだと思う。

 そう思わないと、浩紀の中でやりきれなかったからだ。


 けど、あの時、部活をやめたことで、浩紀の人生の価値観や、人間関係は大きく変わったような気がする。


 色々な意味で――

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