信頼の関係

 十八時になった。私は妻に定時報告のメッセージを入れた。

『今日はいつも通り七時には帰れる』

『はい』

『何か買い物は必要?』

『いいえ、気をつけて帰ってきてください』

ほぼ毎日こんなやり取りである。


「奥さんに連絡か。相変わらずマメだな」

そういうのは私の同期。

私は妻への定時連絡を欠かさない。二人で約束した訳では無いが、同棲から結婚後もずっと続けている。もしも、私が仕事やその他の用事で定時連絡できないときは妻から連絡が入る。

『いつ頃帰るの?』と。

そう連絡を貰う前にできるだけこちらから連絡するよう心がけている。

同僚の戯言は続く。

「お前は良いよな。家に帰ればあんな美人な奥さんが待ってる」

私は「まあな」とだけ返すが、もう一緒に暮らし始めて十年近く経てば、妻が美人かどうかはあまり関係がないのではないかと思うのだ。こういうことに固執するから同期のこの男は未だに独身なのだ。最近は婚活パーティーへ積極的に出ているらしいが、一言多いので恐らく誰も彼を選ばないだろう。


 私は帰り支度を済ませ、

「それじゃ、お先に」そう告げると会社を後にした。

 定時連絡も妻への気遣いも私にとっては当たり前のことでしかない。家族ならば当たり前ではないのか。私の両親は少なくともそうだった。今はそれを真似ているだけだ。真似たからと言って、夫婦仲が特別が良くなるというわけではない。事実この数年、私たち夫婦は冷めていたように思う。長く一緒にいれば、相手がどんなに美人であっても、自分の好みであっても新鮮さなんてなくなるに決まっている。“美人は三日で飽きる”というが、そういうものとはまた違う。

当たり前の日常を繰り返すことで家族になるのではないかと思うのだ。しかし、それだけでは面白味はないだろう。だからこの数年、お互いのイミングが合わなかった結婚記念日と同時に妻の誕生日をささやかながら祝おうと思ったのだ。それが停電というハプニングによって加味される形になった。

この数年、確実にセックスレスだったのだが、あの停電の夜は妻から求めてきたのだ。

私は性的に強くない。そして妻以外の女性を知らないし、知りたいとも思わない。むしろ無くても居られる。こんなこと、自信を持っていうことではないが……

しかし、自分の欲望は自分自身で解決し、妻にその捌け口を求めない。ただ、あの日は違ったのだ。妻も、私も。私は何かに目覚めたような夜だった。停電がそうさせたのか、記念日を祝ったときに飲んだロゼがそうさせたのかは分からない。私は求められるがままに妻を抱いた。その日以降も妻からの誘いを断らなかったし、むしろ私も積極的に妻を抱いた。

正直言えば、それまでの私は自信がなかったのだ。初夜は妻の手ほどきを受けはじめての行為におよんだ。だから、妻を満足させられるかどうかずっと心配だった。そう思うと妻の誘いも忌避し、その機会は自ずから失くなっていった。疑問は残る、妻はそれで良かったのだろうか。しかし、私はあえてそれを考えなかった。結婚生活はではないと思ったし、そう自分に言い聞かせた。


 はじめて会った頃を思い出せば、確かに通り過ぎる人が振り返るほどで、大学時代はミス・キャンパスにも選ばれた美人だった。その姿は私には到底不釣り合いと思った。妻はもっと高みを見てとは結婚なんかしないような女性に見えた。そして、その上昇志向な性格も決して穏やかとは言えなかった。

そのせいか、私は激しく彼女に入れ込むことはなかった。しかし付き合っているうちに、同棲といういつの間にか既成事実ができてしまい、私も妻の両親に対して責任を取らざるを得ない状況になった。だからといって彼女が嫌いではない。ひとつあるとすれば、もし彼女と結婚しなければ、恐らく私は今後結婚しないかもしれない、出来ないかもしれないと思った。彼女がそう言ってくれるうちに結婚してしまおうと……私はチャンスを逃すまいと直感的に思った。

結果をいえば、結婚して正解だったように思う。妻にはそれ相応の面倒臭さはつきまとう。しかし、もうそれも慣れっこなのだ。


 勝ち気で目から鼻へ抜けるような美人であっても、停電程度であんなにも弱々しく可愛く思えた。それなりに長く一緒に居てそう思えるのはまだ、妻の全部を知らないのかもしれない。

 

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