第605話、それは罠


 ムンドゥス帝国第一潜水艦隊は、およそ120隻の潜水艦でカリブ海を進撃していた。

 米軍への通商破壊、補給で下がった分を差し引いた数だが、これまで消耗を重ねた分、最初に遠征で連れてきた分より少ない。

 結構な数が、日本海軍によって撃沈されたが、ズィーア・ピスティス大将にとって、カリブ海の日本艦隊には、今回でトドメを刺すつもりであった。


おと暗号受信――前衛右翼、配置完了!』

『同じく、左翼、配置完了!』

「よろしい」


 旗艦『ヴァスィア・ネラ』の発令所で、ピスティス大将はニヤリと笑った。参謀長のコミス中将は事務的に言う。


「あれだけ大きな音を立てて移動とは、連中は何を慌てているのでしょうか?」

「さあな。こちらの目撃情報を元に急行中かもしれんぞ」


 ピスティスは余裕を崩さない。

 実は米軍の哨戒機などに複数の潜水艦が発見され通報されているが、それらは後衛部隊であり、すでに前衛と主力はカリブ海に進出している。


 つまり、その通報を受けて日本艦隊が急行しているならば、彼らの想定より前にすでにピスティスの主力艦隊が展開していて、その針路を待ち伏せしているのである。


「ソナーの探知が極端に悪くなる高速航行をしているということは、敵も我々がすでにここまで入り込んでいることに気づいていないということだ。その油断に付け込み、こちらが先手をとる!」

『前衛隊、攻撃完了』

「よし、前衛に攻撃開始を命令!」


 ピスティスは腕を振り上げた。

 旗艦より音暗号――モールスのような意味を持たせた音を鳴らして、簡単な命令を伝える異世界帝国潜水艦隊の攻撃音が海中に響いた。


 それを受けた前衛の新鋭潜水艦、TR級の艦首魚雷発射管4門から一斉に魚雷が放たれた。

 左右それぞれ80本、計160本の魚雷が、21ノットの速度で移動する日本艦隊――古賀艦隊に向かっていく。


 航走速度を調整し、ソナーでの探知を遅れさせつつ、多数の魚雷が敵へと伸びていく。

 しかし――


『こちらソナールーム。日本艦隊のスクリュー音が消失しました!』

「なに?」


 ソナーマンの報告に、ピスティス、そしてコミスは耳を疑った。

 高速推進により、ソナーマンたちには、大行進にも等しい騒音だったそれが、唐突に聞こえなくなるなどあり得るのか。


「消えた? 停船したというのか?」

『わかりません。突然、音が消えたようで……。駄目です、敵艦の音が拾えません!』


 何が起きたのか――ピスティスは困惑するが、コミスが口を開いた。


「もしや、日本艦隊は転移したのでは?」

「転移……」


 確かに、日本海軍は転移技術を持っている。この技で、ムンドゥス帝国の水上艦隊は、日本海軍に手痛い目にあってきていた。

 しかし――


「転移だとして、どこに転移したというのだ!?」


 迎撃のために急行しているように見えた。もし転移で移動したのなら、何故最初からやらなかったのか? こちらが攻撃したタイミングで消えるというのは、実に都合が良すぎるのではないか。


「っ!」


 ピスティスは背筋に電撃が走ったような衝撃を感じた。もしかしたら、敵はこちらの攻撃を予見し、多数の雷撃があったら即座に転移で逃げることを決めていたのではないか。


「長官、前衛に確認させますか?」


 参謀長が提案した。海中にいるから、音でしか敵の位置を測れない。日本艦隊は転移したのではなく、洋上で停止したという可能性も万に一つあるかもしれない。


「当然だ、確認させろ。ただし浮上させるのは1隻だけだ」


 もし、日本艦隊が予定された転移であったなら、迂闊に浮上すれば敵が待ち受けているかもしれない。

 そして数分後、それは現実のものとなる。


 TR-10潜水艦が浮上し、潜望鏡で確認。何も見えなかったため、洋上に出て、潜望鏡ではなく直接目で周囲を見ようと姿を現したところで、光弾機銃とロケット弾が叩き込まれた。

 爆発が広がり、海中にもその音が轟く。


 ピスティスは歯噛みした。やはり、敵機が待ち構えていた!

 直後――


『海上に着水音らしきもの、複数! 前衛部隊の方です』


 ソナーマンがヘッドホンに耳をすませつつ言った。距離があるが、わずかだが音を拾ったのだ。


『航走音……! 誘導魚雷らしもの、前衛に――!』


 魚雷一斉発射は、どうやら敵航空機群から目撃されていたらしい。

 日本艦隊が消えたか停船したのは、誘導魚雷を確実に潜水艦に向けるためかはわからないが、どうやら魚群を狙う海鳥の群れよろしく待ち受けていたようだ。


 そして投下されたのは、対潜用誘導魚雷。米軍のはムンドゥス帝国製潜水艦艇ならば振り切れる。地球製鹵獲潜水艦では、水中速力より魚雷のほうが早いため逃げ切れないが、前衛部隊はすべてTR型。余裕があれば回避できるが……。


『魚雷命中音、複数! ……船体破壊音――数隻がやられた模様』


 一斉雷撃で海面近くにいたのが、逃げる間を与えなかったかもしれない。あるいは防御シールドで身を守ることができた艦もあった。

 だがどちらも間に合わず、やられてしまった潜水艦が複数あったようだ。


「前衛隊に潜航深度100まで潜らせて、後退させろ。我が主力も撤退の用意だ」

『了解』

「撤退するのですか?」


 コミスが不思議そうな顔をした。ピスティスは苛立つ。


「我々は、どうやら罠にはめられたようだ……! もたもたしていると、退路を失うぞ」


 第一潜水艦隊は反転し、カリブの海の中を行く。その間も海上からは、対潜魚雷が落とされ、完全にマークされていた。

 だが速度も遅く、索敵深度が浅めに設定されているのか、深度100を超える第一潜水艦隊に届くものはなかった。

 しかし――


『魚雷、深度45メートルのところを一定範囲を周回中』


 届かないが、しつこく潜水艦を探しているらしく、投下された魚雷が、ぐるぐると周回していた。仮にムンドゥス潜水艦が浮上しようとすれば、周回する魚雷が追尾してくるということになる。


「迂闊に潜望鏡深度にも浮上できませんな」


 コミスが息を呑んだ。魚雷の航続距離もあるから無限ではないにしろ、海面に上がるのは難しい状況である。

 この辺りは、比較的浅い場所が多い。場合によっては潜航深度を上げるか、迂回する必要もあるかもしれない。


 気をつけねばなるまい――ピスティスは呟くが、ソナーマンの低く押し殺したような声が響いた。


『突発音! 魚雷、艦隊に急速接近!』

「敵の潜水艦が潜んでいたか!」


 ピスティスは察したが、すでに手遅れだった。時間差で放たれた魚雷が連続ヒットして、TR級やO級といったムンドゥス帝国潜水艦が次々に沈められていった。ピスティスは叫ぶ。


雷魚らいぎょ装填! 敵の位置を割り出せ!」

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