第517話、急転する事態


 第九艦隊は、東南アジアの防衛を任された。


 連合艦隊が遠く南太平洋、ソロモン諸島へ急行する機を狙った異世界帝国軍は、手薄な東南アジアを攻撃し、蘭印、主にスマトラやジャワを襲撃した。

 一度は撃退したかに見えた敵だったが、リンガ、シンガポールを巨大戦艦によって攻撃されたことで、日本海軍としても同地に艦隊を派遣し防衛につかせることになった。

 しかし主力は、ソロモン諸島、続くインド洋での戦いのために動いているため、第九艦隊自体は、弱体の艦隊である。


 その司令長官、新堂 儀一中将にとって、単独の敵大型戦艦を取り逃したことは、痛恨の極みであった。


「敵戦艦はインド洋に出たと思われるが、またこいつが戻ってきて暴れられたら目も当てられないので、捜索する!」


 新堂の敵大型戦艦への怒りはそれだけ深いものがあった。第九艦隊は、その航空偵察能力を活用し、徹底的な捜索活動を行った。

 第九航空戦隊の『翔竜』『龍驤』ほか、合流した特務艦『鰤谷丸』『牛谷丸』、そして水上機母艦『千歳』『千代田』『瑞穂』の偵察機が動員された。


 なお、水上機母艦3隻が第九艦隊に加えられた理由は、敵の蘭印攻撃で、ただでさえ手薄な航空戦力が失われ、その索敵能力が落ちたためだ。基地復旧と増援の到着まで、水上機母艦の艦載機がその穴を埋めるのである。


 新堂は、敵大型戦艦――『ギガーコス』の捜索を命じると共に、蘭印を襲撃した敵艦隊の母港をオーストラリア西部、ポートヘッドランドと予想した。

 もしかしたら、あの戦艦ギガーコスも、そちらに戻っているかもしれない。故にそちらへも偵察機を送った。


 新堂長官は、よほど腹に据えかねていたらしい――参謀長の倉橋少将は、オーストラリア方面から、インド洋はセイロン島方面にも伸びる広大は索敵範囲に、新堂の狂気を感じた。


「ひょっとしたら、単艦でカルカッタに乗り込んだりするのでは……?」


 そう新堂が呟いた時、倉橋は背筋がゾッとしたものだった。いくら大胆不敵な敵大型戦艦でも、そこまでは――と思うのだが、そういう『まさか』をやるから奇襲になる。

 だが、この新堂の執念は、思わぬ収穫をもたらした。もっとも、それは日本海軍にとっては、まったく喜ばしくないものだったが。


『インド洋よりベンガル湾に侵入しつつある、敵大艦隊発見!』


 待ち望んだ発見の報告はしかし、例の『ギガーコス』ではなかった。


『戦艦18、空母15、小型空母15、重巡洋艦20、軽巡洋艦40、駆逐艦100、輸送船150以上』


 この報告は、第九艦隊旗艦『妙義』に届き、そこからさらに東南アジア各防衛部隊ならびに内地の海軍省、軍令部にも飛んだ。

 第九艦隊司令部でも、予想外の敵の発見に困惑した。


「敵のインド洋艦隊……ではありませんな」


 倉橋参謀長の言葉に、新堂は渋い顔を返した。


「ここまで発見されていなかった艦隊だ。おそらくこちらの目が手薄なオーストラリア西部から出てきたに違いない」


 マダガスカル島にいたインド洋艦隊は、連合艦隊主力が交戦し、それを撃破したと第一報が入っている。

 インド洋の制海権を獲得し、ひとまず危機は去った……そう思われた直後だけに、天国から地獄を引きずり落とされるだけの衝撃があった。


 マダガスカル島の敵の動向は把握されていたから、そこから出てきた艦隊なら、その所在はとうに露見している。だからこそ、敵はオーストラリア西部から出撃したと確信できる。


「一難去ってまた一難、か」


 新堂は腕を組んだ。


「連合艦隊に、これを叩けるだけの戦力は残っているのか?」

「長官! 牛谷丸偵察機より緊急電です!」


 通信長が飛び込んできた。


「新たな敵艦隊を発見。戦艦6、小型空母10、護衛艦50に守られた大輸送船団を確認。その数、およそ300以上!」



  ・  ・  ・



「――敵は二つの艦隊か」


 第一機動艦隊司令長官、小沢 治三郎中将は、山野井情報参謀の報告を聞き、海図台に目を落とした。


「インド洋艦隊を撃滅したと思ったら、敵はすでに別動隊を動かしていた。その狙いは――」

「セイロン島、そしてカルカッタですね」


 神明参謀長は海図台上の敵艦隊を表す駒を指し示した。


「戦艦、空母が充実した敵艦隊――甲は、おそらくセイロン島攻略を目指しています。防備が比較的軽い、しかし輸送船の数が多い乙は、位置から見て、ベンガル湾を北上しカルカッタを目指していると予想されます」

「インド洋艦隊は、囮だったということか?」


 小沢は眉をひそめる。大前参謀副長が口を開いた。


「あれだけの規模を囮とは考えたくないですが……」

「主力はインド洋艦隊でしょう」


 神明は言った。


「その追加戦力、あるいは後続戦力という立ち位置だったのでしょう。……なるほど、これだけの後続部隊があるなら、セイロン島とカルカッタの同時攻略にも自信を持つわけです」

「今にして思えば、敵が東南アジアに奇襲を仕掛けてきたのは、このための伏線だったのかもしれんな」


 小沢は双眸を鋭くさせた。


「最初は、ソロモンやインド洋から我が海軍の目を逸らし、あわよくばこちらの戦力を分散させるつもりだろうと思っていたが、こちらの索敵網を一時的に潰す魂胆だったのかもしれん」


 実際、南への索敵を担うスラバヤやジャワ島の飛行場を叩いた敵艦隊は、スマトラ島外周に沿って移動し、攻撃を仕掛けてきた。

 ただでさえ貧弱だった防衛戦力を削られ、偵察力、攻撃力が落ちたところを、オーストラリア西部から出撃した艦隊が、悠々とベンガル湾ないしセイロン島を目指す……。


「幸い、インド洋艦隊主力は撃滅された」


 小沢は告げた。


「我が軍の被害は小さくはないが、今回発見された甲と乙艦隊を叩けば、今度こそ敵の意図を挫くことができる」

「こちらは転移連絡網を利用し、敵艦隊より先回りができます」


 神明は、自軍の駒を敵艦隊の駒の前に置いた。


「問題は、我が軍の継戦能力です。第一、第二艦隊は弾薬が不足しており、第二機動艦隊は、戦艦部隊が半壊状態。第七、第一〇艦隊も、損傷、離脱艦も多い――。攻撃の主力になるのは、我々第一機動艦隊と、日高見の基地航空隊となるでしょうか」


 第一機動艦隊は、戦艦、巡洋艦の大半を第二艦隊として出しているが、空母の護衛戦力として残った、伊勢型戦艦2隻、『利根』『筑摩』『鈴谷』『熊野』の四隻の重巡洋艦がある。また主力である航空攻撃も、まだまだ可能である。


 しかし問題は、それで敵艦隊を撃滅しきれるか、であり、現状はとても楽観できるものではなかった。

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