第211話、サウルー中将の憂鬱


 カンカサントゥレイは、セイロン島の北端にあり、異世界帝国がこの世界で跋扈し始めた頃、イギリス軍が飛行場を建設していた。


 しかし、異世界帝国がインド洋を押さえて、セイロン島を占領した時、この基地もまた制圧された。


 以後、セイロン島第三の飛行場として利用されたが、トリンコマリー、コロンボのそれに比べて規模が小さいこともあり、第一機動艦隊から飛来した攻撃隊の前には、ひとたまりもなかった。


 その後、北上してセイロン島から離脱した小沢機動艦隊は、ベンガル湾を進撃。カルカッタ方面へ向かう異世界帝国の輸送船を襲撃し、これを撃沈して回った。


 相変わらず、ウヨウヨしている敵潜水艦だが、連日狩り続けた結果か、発見される数も少しずつ減ってきた。


 だが、依然として、敵東洋艦隊の姿はない。彩雲による長距離偵察でも成果はなかった。

 この頃、異世界帝国東洋艦隊は、赤道近く、セイロン島より南西方向にあるアッドゥ環礁に駐留していた。



  ・  ・  ・



 アッドゥ環礁は、モルディブの最南端に位置する環礁である。


 この環礁を拠点にしようと最初に行動したのは、イギリス軍だった。ドイツと戦争が始まり、異世界帝国が参入し、世界大戦へと発展した。当時、英東洋艦隊はセイロン島の地理的条件、防諜状の理由から、孤島に拠点を置こうと計画。その調査を行い、このアッドゥ環礁を候補として見いだした。


 だが、それが活用されるより早く、異世界帝国がインド洋を制覇したため、イギリス海軍が拠点として使うことはなかった。しかし、英国の調査を確認した異世界帝国が、このアッドゥ環礁の拠点化を推進し、東洋艦隊の秘密の隠れ家となった。


 時期が時期だけに、日本軍は、このアッドゥ環礁に秘密基地が作られていることを知らなかった。


 異世界帝国東洋艦隊の旗艦、戦艦『ヴァリアント』。英海軍クイーン・エリザベス級の四番艦として完成されたスーパードレッドノート級戦艦である。


 就役当初は優れた高速戦艦として名を馳せたが、第一次世界大戦に参戦した古参艦であり、1940年代の新鋭艦と比べると些か劣る。


 改装により近代化が施されて、その艦橋も英戦艦の新型同様の箱型に変わっていたが、異世界帝国との戦いにより奮闘空しく撃沈され、再生された。


 今ではその異世界帝国軍によって活用され、再生傷が生々しく残るゾンビのような艦艇と変わっていた。ただ現在の東洋艦隊に所属する戦艦や空母に比べれば、まだ綺麗な方だった。


 艦隊旗艦にいたゾンマ・サウルー中将は、アッドゥ環礁内に留まる艦隊をぼんやり眺めて過ごしていた。

 空は曇天。一雨来そうな気配だ。悪天候なら、日本軍の偵察機が現れることもないかと思う。


「サウルー中将、コロンボ基地より入電です!」


 通信参謀が声を張り上げた。


「我が軍の輸送船より救援要請が複数入っております。敵機動部隊が、ベンガル湾にて通商破壊を仕掛けているようです」

「ああ、そう。わかった」


 サウルーは振り返ることなく気のない返事をすれば、通信参謀の眉がピクリと動く。


「東洋艦隊に出撃を請うております!」

「『我が艦隊は、現在、捜索行動中』、そう返しておけ」

「……」


 通信参謀は無言である。顔を見なくとも彼が苛立っているのは、サウルーはヒシヒシと感じていた。


 ――そりゃそうだ。


 本来保護すべき存在である輸送船が襲撃される、ないし襲撃されているのに対して、行動できるにもかかわらず行動しないのは、明らかに怠慢だ。


 戦えば負けるから、などという言い訳は、『やってみなければわからない』の一言で、だいぶ効果が薄れる。

 より上位の指揮官なり組織から、『東洋艦隊は損害を避けるため、敵機動部隊との交戦を禁じる』などという命令でも受けていない限り、戦域を預かっているサウルー東洋艦隊司令長官は、輸送船を守り、敵を追い払わなくてはならないのだ。


 捜索中、と如何にも動いていますよな返信をしたところで、気休めにもならないし、これが救援を求めている者たちが知れば、一生許すことはないだろう。


 ――まあ、こちらはいくら呪われようが、それを知ることはないだろうが。


 日本軍の攻撃を受けている輸送船は、まず助からないだろう。船から投げ出され、漂流したとて、この世界ではムンドゥス世界の人間は生きていけない。


 ――同胞を見殺しにしているのだ。


 そんなサウルーの態度に苛立っているのは通信参謀だけではないだろう。クルーたちは、何故動かないのか、と憤っているに違いない。腰抜け、臆病者などなど罵詈雑言を吐いている者もいるかもしれない。


「臆病者で居続けるってのは、案外難しいんだな」


 心に秘めておくつもりが、つい口から漏れた。サウルーは、まだ動かない通信参謀にようやく振り返る。刺すような視線だった。


「この退避行動については、太平洋艦隊司令長官テシス大将と協議した上で採択したものである。いたずらに戦力を消耗するな。わかったら、行動したまえ。もし不満なら、転属願いでも何でも書け。俺がサインしてやる」


 通信参謀は敬礼して去った。やりとりを見守っていたペルノ参謀長は無言である。見ていたのなら、フォローくらいしてくれてもいいと思うが、サウルーはため息をつくだけに留めた。そしてくるりと背を向けて、司令塔の外へと視線を戻した。


 犬死には御免だが、こうなってくると、例えば死んだとしても突撃するのが正しいように思えてくる。

 さながら学校をズル休みしている心境とでもいうのか。自分でそうしたはずなのに、後悔してくるパターンである。


 ――小心者なんだ、俺は。


 戦略的には間違っていないのだが、堂々と胸を張って断言できないところが辛い。やりようによっては、間違っている可能性もあるからだろう。


 ――しかし俺には、航空機の数を埋めるとっておきの戦術なんてないんだぞ。


 何か、1機や1隻で、多数の敵にダメージを与えられる新兵器とかあるなら話は別だが、地球人のロートル兵器が多い東洋艦隊に、そのような奇跡を呼ぶ装備は存在しない。


 ――そうこうしているうちに、東南アジアの通商破壊のために貯めた潜水艦隊が失われていく……。


 日本軍の対潜能力は、サウルーの想定以上だった。そもそも、東洋艦隊将兵は動かないサウルーに苛立っているが、こちらとて何もしていなかったわけではない。


 インド洋に多数ある潜水艦を使って、敵機動部隊の漸減を図っていた。セイロン島侵攻前に、いくらか敵機動部隊の空母を減らすことができていたなら、今頃、東洋艦隊はアッドゥ環礁を出て、敵機動部隊へ突撃していた。


 ――それが叶わないんじゃ、突撃は悪手なんだよな。


 胃が痛い。サウルー中将は、恨めしい気分で曇り空を睨んだ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

・クイーン・エリザベス級戦艦:『ヴァリアント』

基準排水量:2万7500トン

全長:195.3メートル

全幅:31.7メートル

出力:5万6500馬力

速力:24ノット

兵装:45口径38.1センチ連装砲×4 45口径11.4センチ連装高角砲×10

2ポンド8連装ポンポン砲×4 20ミリ連装機銃×6 20ミリ単装機銃×24

航空兵装:――

姉妹艦:『クイーン・エリザベス』『ウォースパイト』『バーラム』『マレーヤ』

その他:英国海軍の超弩級戦艦。第一次世界大戦参戦の古参であるが、当時は高速戦艦として主力の一角を担った。異世界帝国との交戦により撃沈され、鹵獲、再利用される。

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