第207話、トリンコマリーの空


 第一機動艦隊は、セイロン島へと真っ直ぐに進撃していた。異世界帝国軍の潜水艦が跋扈ばっこする警戒網を正面から潰しながら。


 偵察機「彩雲」の長距離からの偵察は、敵潜水艦がまだ浮上航行をしているうちに捜索、発見し、第一機動艦隊に打電。これを受けた艦隊から、試製瑞雲や流星艦上攻撃機が飛び立ち、敵潜水艦の潜行前に爆撃を仕掛けてこれを撃沈した。


 また、異世界帝国潜水艦の中には、日本艦隊を警戒して潜行して、近づくものもあったが、機動艦隊所属の伊600などのマ号潜水艦が前衛警戒についていて、近づく潜水艦を誘導魚雷で雷撃し、これを仕留めた。


 第一機動艦隊、艦隊司令長官である小沢治三郎中将は、戦艦『伊勢』の艦橋にいて報告を受けていた。


「――これだけ正面から地雷を踏み抜く勢いなのに、敵の艦隊は出てこんのか」


 敵潜水艦を早期に奇襲することで、正確な位置情報を報告されるのを阻止し、同時に潜水される前に叩く。

 報告前に撃沈できれば、敵に情報は届かない。つまりこちらの戦力や居場所が知られないようにするためにも有効――とされるが、神明大佐に言わせれば、必ずしもそうではない。


 特に潜水艦で警戒線を形成している場合、消息不明の潜水艦が相次げば、その警戒線で何かがあったことを雄弁に物語る。

 異世界帝国のセイロン島守備隊や東洋艦隊からすれば、この場合、有力な日本艦隊がインド洋に乗り出してきた、と判断するのが自然だ。


 小沢の第一機動艦隊の任務は、敵東洋艦隊を撃破し、カルカッタ侵攻のための陸軍を乗せた船団を守ることにある。

 そのため、セイロン島を根城にする異世界帝国東洋艦隊は、早々に叩かねばならない存在だった。


「長官、セイロン島偵察に向かった彩雲より報告です。コロンボ、トリンコマリー両港に、敵艦隊の姿は確認できませんでした」


 山田参謀長の言葉に、小沢の表情は苦味を増した。


「港にもいない。敵もこちらに気づいているということだ。しかし、その東洋艦隊が索敵に引っかからない。……どこにいる」


 東洋艦隊が出撃したなら、小沢艦隊に向かって決戦を挑んでくる――そう考えるのが自然だ。だが、偵察機も敵艦隊の姿を発見できずにいた。

 これまでの情報で、戦艦・巡洋戦艦合わせて9隻、空母5隻を有するとされる東洋艦隊である。それが影も形も見えないのは、何ともいえず不気味だった。


「まさか、逃げたのでは――」

「あの戦力を持ちながらか? 一戦も仕掛けずに逃げ出すなどあり得るか?」


 小沢は首を横に振った。日本軍ならば、戦艦9隻を持ち、空母を5隻もありながら逃げたら、各所から非難されまくりで更迭間違いなしである。異世界人も、そこまで臆病な者を指揮官にしないのではないか。

 そこで小沢は思い出す。以前、神明が危惧していたことを。


「敵は本気で艦隊保全に走ったか」


 小沢としては、そこまで本気にしていなかったが、そろそろその可能性を直視するべきかもしれない。日本軍の艦隊決戦の意図から逃げる戦術を、異世界人が選択したかもしれないことを。


「だが、それならば、予定通りセイロン島を叩くまでだ。そうだな、神明?」

「はい。敵艦隊が出撃した時に備え、七航戦を艦隊攻撃装備で待機。残る航空隊でセイロン島の敵施設を爆撃します」


 セイロン島の敵施設を攻撃して、比較的近くにいるだろう敵東洋艦隊を誘い出す。敵が艦隊保全主義に走ったとしても、まったくの無反応はさすがにないだろう。


 かくて第一機動艦隊は前進を続け、やがてセイロン島トリンコマリー基地に向けて、攻撃隊の発艦作業にかかった。

 所属する空母は12隻。うち第七航空戦隊は、主力空母群から離れて敵の襲撃に備えているが、残る空母では、飛行甲板に攻撃隊が揃い始める。


 一航戦『大鶴』『紅鶴』、五航戦の『翔鶴』『瑞鶴』には、新鋭の零戦五三型と、流星艦上攻撃機が並ぶ。直掩空母の『黒龍』『祥鳳』の甲板にも零戦五三型が、春風1450馬力エンジンを唸らせている。


 一方で三航戦の『翠鷹』『蒼鷹』『白鷹』では、従来通りの零戦三二型、九九式艦上爆撃機、九七式艦上攻撃機トリオがそれぞれエンジンを唸らせて出撃準備にかかっている。


 配属されたばかりの『紅鶴』や修理から戻ってきた『翔鶴』は、新鋭機を搭載して艦隊に合流した。内地にいる間に、一航戦と五航戦の他空母にも、新型が配置されたが、機種転換の慣熟期間が短いため、少々不安がある。


 さらに新鋭機の量産数の都合上、三航戦航空隊は、このインド洋作戦では従来機種でやってもらうことになった。決して、新型が運用できないというわけではない。


「攻撃隊、発艦始めーっ!」


 飛行甲板に並べられた艦載機が、マ式カタパルトによって連続射出されていく。

 新型の零戦五三型が軽快に飛び立ち、本来なら6トン超え――軽量化魔法処置で3トン近くにまで軽くなった流星艦攻も続く。

 三航戦では、零戦三二型、九九式艦爆、九七式艦攻が発艦し、艦隊上空で編隊を組む。

 合計381機の攻撃隊は、セイロン島を目指し西進した。



  ・  ・  ・



 セイロン島の北東部にあるトリンコマリーは、軍港である。

 古くから天然の良港として知られ、列強各国がこの地を巡って争い、ポルトガルからオランダ、フランスと絡み、イギリスの植民地となった。

 異世界帝国が侵略するまで、イギリスが拠点としていたが、今ではその影もない。


「――敵軍港には小型艦艇しか在泊しておらず。なお上空には常時、十数機の戦闘機が待機中」


 第一機動艦隊から飛び立ち、遮蔽装置で姿を隠しながら偵察している彩雲から、報告が飛ぶ。

 航法士席に座る機長である、桂 平吉中尉は双眼鏡で覗き込む。


 トリンコマリー市内から近い場所にある飛行場では、異世界帝国の輸送機や戦闘機の姿が見てとれる。


 彩雲偵察機が観測していると、飛行場が慌ただしくなった。第一機動艦隊トリンコマリー攻撃隊は、まだ到着していないが――

 最後尾の席である電信員の隅田二飛曹が伝声管をつかんだ。


『中尉、攻撃隊が無線封鎖を解除しました! 敵哨戒艇に発見された模様です!』

「どうりで、飛行場が忙しくなったわけだ」


 桂は双眼鏡から目を離した。

 事前に聞いた話では、攻撃隊は敵のレーダーを躱して接近すべく、高度を低く飛んで侵入するはずだから、何もかもうまく行けば、敵が気づいた時には手遅れ状態で、空港ならびに軍港を攻撃できるはずだった。

 しかし、現実には港近くを航行していた敵の哨戒艇に遭遇、通報されてしまったようだ。


「そう都合よくはいかないということだな。隅田、攻撃隊に通信。トリンコマリー飛行場より敵戦闘機が緊急発進中。なお敵航空機は、トンボ型のみならず。灰色塗装のレシプロ機も含まれる、送れ」

「了解」


 トリンコマリー上空を潜伏飛行中の彩雲は、俯瞰できる位置から戦況を見守り、警告や報告を行う役割を課せられている。


 弾着観測ならぬ、戦場観測である。

 やがて、第一機動艦隊から飛んできた攻撃隊が、トリンコマリーに殺到した。

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