第205話、ベンガル湾に群がる狼
8月5日、ベンガル湾南方を、第一機動艦隊から飛び立った彩雲艦上偵察機が飛ぶ。
誉エンジンを搭載、2000馬力級エンジンのパワーは、この機体に最高時速694キロの高速力を引き出す。
もっとも通常の索敵中に、そこまでの速度を出すことはない。フルスピードは燃費が悪いので、持ち味の一つである長大な航続距離にも影響を与える。
これら彩雲は、セイロン島へ進撃する第一機動艦隊の前方を中心とした扇状に索敵線を展開して、偵察中である。
第一機動艦隊、旗艦『伊勢』。その通信室は、偵察機から入る通信を記録し、第一機動艦隊司令部へ報告する。
作戦室にいる神明作戦参謀と青木航空参謀は、その報告を受けて海図にまとめる。
「アンダマン諸島で、敵潜水艦が複数確認されているとは聞いていましたが――」
青木は顔をしかめた。
「これはちょっと……多いですね」
「集まってきているな」
神明は頷く。
「我々は堂々と正面から乗り込んでいる。あちらさんも食いついてきたということだ」
すでにアンダマン諸島近海を移動していた辺りで、第一機動艦隊の存在は敵に通報されたのだろう。
異世界帝国東洋艦隊、あるいはベンガル湾を預かる敵が、迎撃に潜水艦を集結させてきたのだ。
敵を警戒する第一機動艦隊もまた、偵察機を出したが、早々に敵潜水艦発見の報告が相次いでいた。
「しかし、こうも潜水艦が確認されるとなると、ベンガル湾全体で、どれだけの敵潜水艦がいるのか、恐ろしくもありますね」
どこに潜んでいるのかわからないのが潜水艦。だがこの発見頻度では、どこに、ではなくどこにでも潜水艦がいるのでは、と思えてしまう。
「正確な数がわからないところが、潜水艦の嫌らしいところだ」
倒しても倒しても、他にまだ潜んでいるのではないか? 疑えば、際限なく疑ってしまうのが、潜水艦という存在だ。故に、艦隊側では絶えず警戒せねばならず、一時も油断できない。それは乗員たちに絶えずストレスを与え、精神を削ぐ。疑心暗鬼である。
「とはいえ、潜水艦といえど、常に潜っているわけではない」
基本的に今の潜水艦は、通常時は水上航行で、戦闘や敵を回避、逃走する際などに潜水する。
これは、潜水艦という兵器があくまで、潜ることができる水上艦艇というくくりであるためだ。
いわゆる可潜艦という扱いであり、その船体形状は、水中よりも水上での航行を得意とする形であることもそれを物語っている。
搭載する電動機の性能もあるが、水中での速度は一桁ノット、航続距離も二桁海里程度しかないことを見ても、潜水艦の長大な航続力とは水上航行に限っての話となる。つまり、航行のほとんどは、普通の水上艦とほとんど変わらないのである。
だからこそ、第一機動艦隊の予想針路上に移動する敵潜水艦のほとんどが、水上を進んでいる。……通常の偵察機からでも、潜水艦は発見できるのだ。
「異世界帝国の潜水艦は、マ式機関を用いていて、この世界の潜水艦に比べて格段に潜水航行能力は高い。しかし、奴らの潜水型駆逐艦や巡洋艦を見ればわかるように、形状からして水上航行のほうが速い」
「つまり、潜水艦としての機能は優れていても、我々の世界同様、異世界人の潜水艦も基本は水上航行」
青木の言葉に神明は小さく首を動かした。
「それが狙い目でもある。長距離から飛来する偵察機に対しては、こちらの世界の潜水艦と同じだ」
そこへ、小沢長官がやってきた。
「どうだ? 敵の潜水艦の様子は?」
「こちらの針路に先回りするように集まってきているようです」
青木が海図を指し示した。
「彩雲の報告で、こちらの艦隊前方に6隻。左右に範囲を広げれば10隻以上――」
「多いな」
さすがの小沢も眉をひそめた。
「奴らはインド洋にどれだけ潜水艦を配備していたのだ……」
「東南アジアでの通商破壊を目論見、準備していたのでしょう。本格的な動員の前に、我々がベンガル湾に来てしまった。なので、潜水艦部隊を迎撃に転用したと考えます」
神明は言った。
「彼らは潜水艦を用いた戦術では、我々より一歩進んでいました。集団による襲撃法などは研究済みでしょう。おそらく同時多発的に、仕掛けてきます」
複数隻による同時攻撃、あるいは時間差襲撃。囮を利用した護衛艦艇を誘い出して、撃沈する、または護衛の隙間を突いてより重要な大型艦――空母や戦艦を攻撃する、などなど。
「対策は?」
「敵が集結前に、さっさと片付けます。幸い、まだ距離のある潜水艦は水上で丸見えです。航空機で敵潜が潜る前に仕留めます」
「例の新型の出番かな?」
小沢がニヤリとし、青木も目を輝かせた。神明は首肯する。
「それが妥当かと」
「航空参謀。『筑摩』に打電」
小沢の命令に、青木は背筋を伸ばす。
「瑞雲隊、発進。敵潜水艦を攻撃させろ」
・ ・ ・
重巡洋艦『筑摩』は、利根型重巡洋艦の二番艦である。
異世界帝国との戦いで、大破した『筑摩』は、以前同じように大破し、大改装を受けた姉妹艦の『利根』と同じく、武装の変更と、後部繋止甲板の改装工事を受けた。
九頭島ドックによる魔力式修理・改装で復帰した『筑摩』は、今回のインド洋遠征に間に合ったが、これまで水上偵察機だった艦載機が、新型機に置き換わっていた。
機体略号、E16A。愛知航空機が開発した水上偵察機『瑞雲』である。
なお、採用は決まっていたものの、制式採用は8月であり、今回の作戦に用いられているのは、試製瑞雲というプロトタイプではあったが。
そんな瑞雲であるが、偵察機であると同時に、戦闘爆撃機でもある。この機体の存在意義が、空中戦が可能で、爆撃もできる高速機という多用途機だったからだ。
航空巡洋艦『筑摩』のカタパルトから、瑞雲が順次発進する。搭載した武本夏風エンジンが唸らせて、新型水上機が飛んでいく。
第一機動艦隊の針路上に集まりつつある敵潜水艦を撃破するために。
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・彩雲艦上偵察機一一型
乗員:3名
全長:11.15メートル
全幅:12.50メートル
自重:2605キログラム
発動機:『誉』二一型 空冷1990馬力
速度:694キロメートル
航続距離:5308キロ(増槽装備時)
武装:7.92ミリ機銃×1
その他:日本海軍が開発した偵察専門の航空機。空母での運用を目的に作られた艦上偵察機であり、高速力と長い航続距離を誇る。誉二一型を装備し、アメリカの良質なハイオクタンガソリン、その他部品などに支えられて、時速700キロに近い高速力を叩き出す。1943年6月に実戦配備され、第一機動艦隊にて艦上偵察機デビューを果たす。なお、彩雲に爆撃能力を付与した型が魔技研にて考案、試作された。
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